藤本壮介さんが「新たな価値を生み出す手前」で問い直していること【デザインの手前 1周年特別企画〈2〉】
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラムです。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今週は1周年記念企画の一環として建築家・藤本壮介さんをお招きし、「問い直し」をキーワードに、新たな価値を生み出すために、建築設計の手前で考えていることを伺いました。
建築の本質に立ち返って問い直す
原田:今月は、「デザインの手前」の1周年記念月間として、週替わりで各デザイン領域のスペシャルゲストの方にご登場いただいております。
今週ゲストとしてお招きするのは建築家の藤本壮介さんです。藤本さん、よろしくお願いします。
藤本:どうぞよろしくお願いします。
山田:よろしくお願いします。
原田:これまでも「デザインの手前」では、そのタイトルの通り、色々なデザイナーの方々に、デザインの「手前」のお話を聞いてきましたが、今回は1周年の特別企画で週替わりゲストということもあり、よりテーマをフォーカスして、「手前」の話をお聞きしていきます。その前に、まずは藤本さんのプロフィールをご紹介させていただきます。

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原田:藤本壮介さんは1971年生まれ、北海道出身の建築家です。 2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立し、現在は東京のほか、パリ、深セン、仙台にも事務所を構え、住宅、商業施設、ホテル、複合施設、大学など、世界各地でさまざまなプロジェクトを展開されています。
これまでに手がけた主な国内の建築には、House N、武蔵野美術大学 美術館・図書館、House NA、白井屋ホテル、太宰府天満宮 仮殿などがあり、海外のプロジェクトとしては、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013、モンペリエの集合住宅「ラルブル・ブラン」、ブダペストの音楽複合施設「ハンガリー音楽の家」などがあります。
現在進行中のプロジェクトとしては、TOKYO TORCH Torch Tower、Co-Innovation University(※仮称/2026年4月開学予定)、仙台市に建設される音楽ホールと震災メモリアルの拠点となる複合施設などがあり、2025年、大阪・関西万博では、会場デザインプロデューサーを務めていらっしゃいます。そんな藤本さんにお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
藤本:よろしくお願いします。
原田:今日藤本さんにお聞きしたいのは、「新しい価値を生み出すために、建築設計の手前で考えていること」です。
山田:藤本さんには何度も取材をさせていただいていて、藤本さんの建築はやはりユニークで、ついつい形のところにフォーカスしてしまうのですが、実際に行くと形や写真だけではわからない体験というのがかなりあるんですね。今日は、その手前で何を考えているのかというのをお聞きしたいなと(笑)。
原田:先ほどご紹介させていただいたフランス・モンペリエの集合住宅「ラルブル・ブラン」は、「白い木」という意味なんですよね。まさにその名の通り、大きなバルコニーが建物から広がっているような、あまり見たことがないような形の建築ですよね。他にも、House Nというのは、3つの箱が入れ子状になっていて、ダイニングなど本来なら屋内空間であるはずの場所と、庭という本来であれば屋外の空間のはずのものが入れ子になっていて、「これは内なのか? 外なのか?」と思わせるような建築です。これらは、バルコニーや建築における「内と外」の考え方など、一般的な建築の概念や作法をひっくり返してしまうようなお仕事が多いと感じています。そこに藤本さんの建築の大きな特徴があって、「そもそも建築とは?」「バルコニーとは何か?」といった根源的な、それこそ「手前」に立ち返るような問い直しの作業があるんじゃないかなという見立てがあり、今回こういったテーマで色々お聞きしたいなと思っていました。
藤本:まさにおっしゃって頂いたように、「問い直す」ということは凄く大事にしていて、やっぱり建築は歴史が長いんですよね。その中であらゆることが試みられてきたわけですが、まだ試みられてきてないことも凄くたくさんある。その時に、いま現在だけを見て何かをつくろうというよりは、ずっと昔に遡って、歴史的にもそうですし、意味や本質、人間の活動の本質にも遡っていかないと、新しいものというのが薄っぺらになってしまうという意識があるんです。
例えば、モンペリエのプロジェクトだと、ここは地中海に面した街なんですね。とても温暖で過ごしやすい場所で暮らしがずっと培われてきたということがあり、シンプルに天気が良いので、外に出て暮らすということがあるんですね。そこに新しい建築をつくる。しかも、そのエリアでは最も背が高い50数メートルの建物になるということで、ずっと培われてきたモンペリエの歴史やライフスタイルと、これからつくっていく未来を接続していきたいなと。やはりその場所のライフスタイルはリスペクトしたいので、外で生活するということをどう最大化できるのか。あるいは、どうすればいままであったようなはずのものを新しい価値に転換できるのかと。色々手や頭を動かして模索するのですが、最終的にはシンプルにバルコニーがとにかくたくさん出ていると。バルコニー自体は普通のことだし、建物は集合住宅で、普通といえば普通なんだけど、それらがたくさん集まってくると、いままで見たことがないものでありながら、かつモンペリエらしさというものもあって。この集合住宅は、バルコニーが外側に向かって飛び出してるんですね。いままでのマンションは、部屋の中がメインの居住空間になるので、バルコニーもプライバシーがあって、とにかく隣が絶対見えないようにつくるんです。でも、南フランスだし、隣が絶対見えないことが本当に価値なんだろうかと。むしろ、そこでちょっとコミュニケーションがあって、コミュニティが生まれる方が良いんじゃないかという思いもあって、一番大きいものだと8メートルくらい外に飛び出しているんですね。幅は5メートルくらいで、お隣さんのバルコニーとの距離も5メートルくらい離れているんですね。だから、ほどよくプライバシーはあるけれど、断絶はしていない。むしろ、つながりが生まれて、会話をすることができるし、別に会話をしなくても、「なんかやっているな」くらいの距離感で共存することができる。ああいうバルコニーをつくることで生まれる新しいコミュニティのあり方などを織り交ぜてつくっていっているんですよね。
藤本:建築というのは人間が活動、生活する場所なので、その本質に立ち戻っていって、「もしかしたらこんなことも面白いんじゃないの?」とか、「本来はこうあるべきだよね」といった凄くシンプルな問いかけからスタートしていることが多いですね。
建築は社会の色んな状況や、あるいは土地やロケーションによっても状況が違って、色々な要望がだいたい同じ方向を向いていないんですよね。僕は「耳を澄ます」という言い方をするのですが、こっちでグイグイと出ていくのではなく、まずは矛盾を受け止めるような感じなんですよね。まず世界そのものが矛盾しているし、それが魅力だと思っていて、だから最初からひとつの方向に無理やり押し付けてしまうのはもったいないなと思っていて。矛盾を受け止めるのですが、そのままだとただのカオスになるので(笑)、その矛盾の間に一見すると反対のことを言ってるようだけど、実はこういう視点で見るとつながるよねというようなものを発見していくことが自分の仕事だと思っているんですよね。
万博は特にそうで、 世界の国がワーッと集まってくると凄いカオスになるわけですよね。まず世界がカオスであると。だけど、いまの世界状況はカオスがそのまま分断になっていって、バラバラになっていって、それはやっぱりもったいない。むしろ、万博会場という小さな場所に世界の国が集まってきて、違う価値観がすぐ隣で共存していたりするという面白さを強調してあげるというか、違う文化や表現、価値観がギュッと集まることで違いが凄くクリアに見えてくるわけですよね。単に違うだけではなくて、これだけ近くに集まれているのだから、一緒に何かやれるのではないか?といった希望みたいなものが生まれてくるわけですよね。違うものたちが集まっていること自体を、ひとつのデザインとしてつくれないだろうかと。そこから先はできるだけシンプルにそれが伝わるようにしてあげたいなというのがありました。
カオスや矛盾から始まっているんだけど、ある視点を通して見た時に凄くシンプルなひとつの世界像になってくる。世界中が目にする風景になるので、一番シンプルな形が良いだろうということで円にしました。もちろん、現地に行く方は世界を目の当たりにする体感をしていただけるのですが、そこに行くことができなくても、1枚の写真やパース、絵を見た瞬間にメッセージが伝わるし、体感できたり、その中に入っていくことができるようなものになっていったんですよね。
既存のデザイン文法とどう向き合うか
原田:建築にせよ、デザインにせよ、いまのお話であれば、例えばカオスや矛盾、あるいは分断といった社会の問題に対してどう向き合い、受け止めて、最終的に解決につながるようなことを提示するということがあると思います。藤本さんの建築は、その解決の仕方に新しさがあって、そこが世界的に注目を集めているひとつの要因なのかなと思うのですが、新しい解決の方法というのは、いままでの建築やデザインの言語、文法を壊していくような部分も少なからずあると思っています。「守破離」という言葉もありますが、もともとの建築やデザインにおけるやり方や一般的な常識があった上で、それをどう超えていくのかという話もひとつあるのかなと。
建築というのは、デザインの中でもちょっと特殊な言語がある気がしていますが、建築の既存の考え方や概念とどう向き合ってきたのか、それらとご自身がつくるものとの距離をどう意識されているのかもお聞きしてみたいなと。
藤本:僕は大学を卒業してから6、7年ひとりでただプラプラしていた時期があって、その時に自分が将来的に建築家になるとしたら、一番根っこを自分なりにちゃんと考えておきたいなと思って考えていたことがいくつかあるんですね。
まずひとつは、先ほどHouse N の話の中にもあった内と外の関係ですよね。これはどんな建築をつくっていても絶対に出てくるんですよね。
もうひとつは、空間と身体の関係。これもどうあがいても建築をつくる以上は絶対に出てくるもので、これからの時代、空間と身体がより相互作用していくのだろうかということを考えていました。内と外に関しては両者が良い意味で曖昧になって、わけないようになっていくんじゃないかということですね。
あとは、都市と建築。これは内と外に少し近いのですが、都市は建物が集まったものに見えるのですが、本質的には少し違いがあって。でも、別々のものではないよなという意識を持っているんですね。例えば、道というものがあるじゃないですか。道は建築ではないんですよね。建築によってつくられている隙間のようなものであるんだけど、でもそれだけじゃないと。実は道は用途が凄くオーバーラップしていて、もしかすると、建築よりももっと生き生きとした活動がそこで行われていたりする。これはちょっと羨ましいなと思って(笑)。だから、建築と道をわけてしまうのはもったいないし、その先の街というものもわけるのはもったいないから、もうちょっと融け合わないのかなと。
藤本:最後は、自然と人工物の関係ですよね。建築は人工物の世界だけど、人間が活動する環境と考えると、自然のものと人工物というのは両方あって、なんなら自然環境の方が大きいわけですよね。その一部に人工環境がある。建築に代表される人工環境だけをつくっていても、これまたもったいないよなと思って。
こうやって言うとどれも一般的なトピックではあるけれども、そこを問い直さないとこの先に何も開かれないなということで、それを自分なりの視点で見ていくという問い直しを行っていったんです。その結果として、例えば境界の内部と外部を入れ子にしてみたらどうだろうかとか、日仏学院の建物なんかは建築なんだけどちょっとした村や街のようでもあるし、階段と外廊下がたくさんあるのですが、やっぱり道をつくりたいという意識があるから、道を巡るようにして。でも、同時にもともとあった緑は凄く美しいので、当然木は切らないし、建物が建った後により緑で包まれた環境になるように、自然と建築物の関係というものを考えながらつくっていきました。
山田:いま進められている岐阜県飛騨市のプロジェクトもそれを凄く感じられるものですし、ブダペストに完成している音楽ホールもそうですよね。
藤本:そうですね。これは音楽博物館と音楽ホール、音楽教育のプログラムが融合した施設ですね。
山田:現地に足を運べているわけではないのですが、大屋根がかかった共有空間と言うんですかね。これも道というか場をつくっているというか。
藤本:そうですね。もともと古い公園で森になっているところに、そこに新しい建物をつくるというよりは、森がちょっとだけ建物寄りになったような場をつくっているんですね。
藤本:飛騨のプロジェクトは、飛騨古川の駅前でやっているのですが、飛騨高山にしても飛騨古川にしても凄く美しい町家と蔵の路地の街があって、僕らは大学と商業施設や温浴、子どもの遊び場、宿泊などいくつかの機能が複合した建物をつくるということを進めています。最初はそれぞれの建物が別々に建っていて、間に魅力的な飛騨らしい路地が走っているのがいいんじゃないかという話でした。それはある意味飛騨そのもののアイデンティティに立ち戻っていくということなんですが、ダイレクトに立ち戻ると本物には勝てないわけですよね(笑)。言ってみればフェイクのようになってしまう。じゃあ逆に振ってみて、飛騨にこれだけ素晴らしいヒューマンスケールの路地はあるけど、逆に非常に広い建築環境みたいなものはそういえばないよねと。それらが隣接すると相互補完的になるし、価値が生まれるんじゃないかと。
飛騨というのは見渡す限り山に囲まれている盆地で、空間体験が圧倒的なんですよ。僕も初めて飛騨に行って駅を降りた瞬間に、凄く力強い空間に放り出された感じがして衝撃を受けたので、それなら単に広いだけではなくて、盆地のような大屋根広場をつくったら非常に飛騨らしいし、同時にいままでの飛騨にはなかったものができるのではないか。既存の美しい伝統的な街区と対照を成して両方が引き立つのではないかと。お椀型になっているのですが、中に入るとお椀型の広々とした新しい空間がその先の山とつながるんですよね。飛騨のアイデンティティが再定義されるような場所になるんじゃないかと。しかも、当初は鉄骨でつくろうとしていたのですが、建設物価が上がっていることもあり、飛騨だし木造でやろうということになり、地元の木造の方がやる気になってくれています。
藤本:そういう意味では遡るんだけど、普通に遡っていった先には、意外と普通のことしかなかったりするんですよね(笑)。別に普通が悪いわけではないのですが、本質的な意味で価値を生み出すということを考えると、普通のものを超えたさらにその向こうに遡っていくようなことを発見することが楽しいし、やりがいでもありますね。
歴史というのも、「いまの時代こうだから、こういう建築が良いよね」ということだけだと、「まあそうだよね」というものになってしまいかねない。自分がすでに持っている常識がそのまま延長してしまっているだけというか。だから、自分自身もある意味アップデートするために、あえて歴史とは関係なく、「こんなものもあるんじゃないの?」というものを投げかけてみるということを行き詰まるとよくやりますね(笑)。
原田:文脈を受け継ぎつつ、意識的に非連続性をつくるみたいことですよね。
藤本:そうですね。それは文脈もそうですし、自分自身も揺さぶってみるという。そういうことはやりますね。
原初的な問いが未来をつくる
原田:先ほどの「道」の話も凄く面白いなと。どうしても建築にせよ、デザインにせよ、ある課題やプロジェクトがあった時に、建築だったり、プロダクトデザインという範疇の中で考え始めがちな気がするのですが、そもそも建築ではない「道」という存在に目を向けて、「そもそも道って何だろう?」というそれこそ問い直しがあって、そこに建築がどう接続されていくのかという、それこそ一歩手前に戻って考えられているのかなと。
これはもうだいぶ前のものですが、『原初的な未来の建築』という藤本さんの初めての著書のタイトルの中には、ある種「原初的な問い」というものも含まれていて、そこから新しい未来が開かれていくようなところがあるのかなと。
そうした「そもそもこれって何だろう?」という問い直しの作業は、どの段階で始まるのですか? 具体的な案件が来た時に始まるのか、それとも色んな問い直しが藤本さんの中で常に行われているのでしょうか?
藤本:昔は案件がほとんどなく、年に1つとかそういう時代には、日々そういうことをスケッチブックに書きながら考えていました。幸いなことに最近は案件がいくつもあって同時並行で動いているのですが、これがまた結構面白いんです。規模も用途もロケーションも違うものが同時並行で動いていると、それぞれ個別の状況からの問い直しというものも当然面白いんですよね。でも、それらを横断した時に見える「そもそも」という問い直しもオーバーラップしてくるじゃないですか。プロジェクトに良い意味で巻き込まれることによって、まったく違ったロケーションの歴史のことが学べるし、クライアントさんのヴィジョンもそれぞれ違って、それぞれ面白いんですよね。そんな風にこれからの社会を捉えられるのか、と。
例えば、太宰府天満宮は1000年以上の歴史があるわけですが、40代の当代は、「歴史を引き継ぐということは、単に古いものを残すことじゃないんだ」と言うんですね。その時々で最新のことにチャレンジして初めて1000年という時間が刻まれるということを話していて、それくらいの時間スパンで見ているのかと。建築も1000年前、2000年前の建物もあるのですが、その時間をリアルに生きている人を目の当たりにすると、やっぱり凄いんですよね。
藤本:また面白いのが、僕らがつくった仮殿は3年間限定なんですよ。そういう意味では、1000年の歴史を経た現在に3年間という不思議な短い時間スパンの建物がつくられていて、でもそこに全集中・全投入する当代の宮司がいて。最終的には森を浮かべるような案になったのですが、これは周りの環境や、菅原道真公を慕って京都から飛んできた飛梅の伝説などにインスパイアされたものです。彼と話しているのは、3年経ってこの建物はなくなるけど、上に植えている木は境内に移植するよね。そうすると、クスノキをメインで選んでいるのですが、実は天満宮の境内にもの凄い数のクスノキがあって、だいたい樹齢1000年超えなんですね。一番古いものは樹齢1500年くらいのものがリアルに目の前に立っていて、そうするといま僕らが移植するクスノキもおそらく千年先まで生きるだろうと。1100年以上前に始まっている太宰府天満宮が、その歴史に比べると「3年」というほんの一瞬のような仮殿をつくるんですけど、その3年で育った樹木がその先の1000年を生きていく。そのちょうど狭間にある3年間というのが凄く面白くて。こんな時間スパンを見据えながら設計をすることはいままでなかったし、これからもさすがにそこまではないんじゃないかと思うのですが、凄く本質的な体験をさせてもらった気がしました。
山田:あの仮殿は行く度に表情が違うんですよね(笑)。どんどん鳥が種を運んできて、新しい植物が芽吹いて、行く度に「どうも様相が違うぞ」というのも、これまでの建築にはあまりないアプローチではあるのかなと。
原田:これまでにない時間スパンで建築を考えることが、結果的に「建築って何だろう?」という問い直しの新しい視点になるところがあって、それが結果的に「見る度に変わっていく建築」というアウトプットにもつながっているのかなという気がしました。
山田:ある意味で凄く根源的な場のあり方、建築のもっと以前にある「場」をどう考えるのか、どう捉えていくべきなのかということを藤本さんは考えられているのかなと。
藤本:そうですね。本当に「場」という言葉が僕は凄く好きでよく使うのですが、建物や建築よりももう少し遡った「場」ですよね。それはさっきの「道」なんかも含んでいるのですが、「場」が凄く良いなと思うのは、ある意味で凄く開かれていて、色んな活動や人々を許容できるもので、これからの建築にはたぶんそういう力、性質が求められるのかなと思っています。場のつくり方によって分断が起きたり、よくわからない何かが押し付けられてしまったり、色んなことが起こるわけですね。そういう意味で建築は凄く恐ろしいものでもあって、場のつくり方によって人間を抑圧も開放もする。分断もするし、融け合わせることもできるのであれば、場をどうつくると、色々な価値観を持つ多様な方たちが共存できるのか。無理くりみんなが仲良くする必要はないと思うんです。むしろ仲良くなくても共存できて、そこにいることをとりあえず認められるような場ですよね。そこから始まって仲良くなるかもしれないし、時には喧嘩をするかもしれないけど、とにかく共存できると言うのでしょうか。そういう場を色々なスケールでつくっていく。家であれば家族だし、もう少し大きな学校や公共施設、街もそうですし、今回の万博のように世界が集まってくるというある意味で究極の場みたいなものもある中で、どんな場もオープンでありながら、ある種のまとまりがある。完全にオープンで何でもしていいよということになると、結局それはほぼバラバラと一緒なんですよね。やっぱり人々がここをみんなで共有しているという感覚が生まれることで何かが起こらないかなと思っています。そういう意味では国や民族などを超えて、人々のための場をつくるフェーズに入ってきているんじゃないかなと。
歴史の中に自分をどう位置づけるか
原田:「場」というものを「デザイン」に置き換えながらお話を聞いていたのですが、デザインというものも凄く力があるものだと思っていて、やはりどう使うかで良くも悪くも転ぶ状況になっている気がするんですよね。先ほどの問い直しという話に立ち返ると、デザインはそもそもどんな力があって、それをどこに使っていったらいいのかということを一歩手前に立ち返って問い直す時期に来ているのではないかなと。デザインや建築のあり方を問い直していくことが大切なのかなと思って聞いていたのですが、問い直すということは、ある種の再発明やアップデートをしていくということにつながると思うんですね。
建築やデザインにまつわる課題も常に変化し続けたり、複雑になったり、多様になったりしていく中で、答えの出し方も常にアップデートしていくことが必要だと思うのですが、建築なら建築という世界の中で、ずっと続いてきた文脈があるわけですよね。そういう建築の歴史や文脈に対して、ご自身をどう位置づけているのかというところもお聞きしてみたいなと。
藤本:建築は歴史が長すぎて、時にあきらめモードになることもあります(笑)。もうすべてやられていると。でも逆にそれが面白くて、例えば2000年前にやられたことが、いまの時代に持ってくると違う意味を持ったりするわけですよね。まったく新しい視点で見ることができたりする。ある意味では、少し暴力的に文脈を剥ぎ取って、視点を変えてみた時に発見があったりするんですよね。ローマ建築でもギリシャ建築でもゴシック建築でも日本の伝統建築でもそれ以外の国々の建築でもいいのですが、やっぱりそれぞれの時代や場所で人間たちの活動の場になっているということだけは共通しているんですよね。だから、時代背景や政治、経済のシステムが全然違ったとしても、そこに人間が活動しているという面白さがあるんです。
一方で、建築の歴史は大きな意味で産業や政治など時代に合わせて変化してきているんですよね。我々がいまいる現在というのは、産業革命があって、工業化社会が来て、色んなものが大量生産・大量消費され始めたのに合わせて、コンクリートやガラスなどの新しい素材が出てきたことと連動して広がったのが近代建築なんですよね。いまも我々はその只中にいるのですが、近代の考え方は結構暴力的なんですよね。つまり、「人間色々いるよね」ということではなくて、「人間だいたいこういうものだから、これを繰り返しておこう」という考え方なんです。その方が効率が良いからで、例えば同じボトル、同じ服、同じ何かをとにかくつくって売ると。そうすると「ちょっと違和感はあるけど、だいたい使えるよね」と(笑)。知らず知らずのうちに人間が制度だったり、標準化されている何かに合わせてきていたんですよね。これまではそれでなんとかなっていたのですが、だんだんそれがなんとかならなくなってきているのが現在なのかなと思っていて。
藤本:標準化・平均化されたものが繰り返されて、それは建築だと均一空間と言われたり、ユニット化されていたり。それがなんとかならなくなってきたのが現在で、やっぱりそれぞれが違うということを人間が気づき始めたことと、あとは自然環境というものが、標準化や平均化とは全然違うものとしてずっとあって。こっちの産業化、工業化といったことが自然環境にダメージを与えていることがだんだんわかってきて、それが正しかったんだっけ?と。言ってみれば僕ら人間も自然の一部なわけですよね。そういう意味では、これまで凄く便利で良いと思っていた近代の考え方というのが、もしかしたら人間に結構我慢を強いていたんじゃないの? ということが、20世紀後半から21世紀の現在までに色々分かってきて、「じゃあどうしよう?」というフェーズにいま入っている気がするんですね。
スタイルとしての近代建築とかポストモダンとか、その後の展開は細かく色々あるのですが、そういう話とは別に大きな転換点がいま近づいてきている、あるいはすでにその只中にいるのかもしれないなと。そうすると、「そもそも人間ってどんな生き物だったっけ?」「 どんな社会を築いていて、どんな共同体の中で生活をしているのか?」ということをもう少し解像度高く見ていかないと、この先建築はつくれなくなってしまうのではないかということを最近なんとなく僕が感じていることです。少し前までは、「近代建築はこうしていたから、それをどう乗り越えようか」という建築のスタイルの再発明・再発見をしようとしていて、それももちろん面白いし、その思考みたいなものはこれからも役立つと思いますが、さらにひとつ下のレイヤーで起こっていることを見ながらこの先を考えていかないといけないなと思っているんですよね。
さまざまな者たちがいられる「場」
原田:ここまで、藤本壮介さんのデザインの「手前」の話として、「問い直し」をキーワードに新たな価値を生み出す手前に藤本さんが考えていることについて伺ってきました。
最後はせっかくなので、デザインの「この先」についてもお聞きしたいと思っています。これからのデザイン、あるいは建築に求められることを藤本さんはどうお考えでしょうか?
藤本:今日のお話を受けると、多様なもの、色々なものたち、それは人間も人間以外のものも含まれてくると思うのですが、さまざまな者たちがいることができる場をつくることでしょうか。建築の場合はそれが建築的な場になりますが、プロダクトでもグラフィックでもそれが生み出すある種の「場」のようなものがあるような気がしていて、それが人々をつないでいったりするわけですよね。そういうところが、まさに「この先」の建築であり、デザインなのかなという気がしますね。
原田:ありがとうございます。そのひとつの成果が見られるのが、今回の万博なのかなと言う気がしています。
藤本:そうですね。ある意味でいままで誰も見たことがないものだけれども、我々の世界というのはこれからまさに多様な世界がそれでもつながっていくということの意思表明でもあるし、人類の希望でもあるような万博になっているんじゃないかと思っています。
原田:最後に、藤本さんの方で告知やお知らせがあればお願いします。
藤本:ありがとうございます。2つあります。まず、4月13日から万国博覧会が始まります。10月13日までの6ヶ月間になりますが、始まってしまうとあっという間だと思います。建築もデザインもそうですし、何よりいまの世界の状況を目の当たりにできる機会なので、特に若い方々あるいはお子さんがいらっしゃる方はぜひ連れて行ってほしいなと。ここで若い人たちが受けた衝撃やインスピレーションがこの先の50年をつくると思いますので、ぜひいらしてください。
あとは、7月2日から森美術館で僕たちの展覧会『藤本壮介の建築:原初・未来・森』が開かれます。これは建築の展覧会で模型もたくさんありますが、それだけではない色々な表現で建築的なるものや、我々が考えるこれからの建築を表現してますので、ぜひこちらもいらしてください。
山田: 楽しみですね。
原田:ちょうど収録前に、「万博はいつ行くのがいいのか?」という話をしていました(笑)。仕事で行けるのも良いですが、しっかり見るならプライベートで行った方がいいんじゃないか? とか、その辺はなかなか悩ましいところです。
藤本:1日ではなかなか見切れないですからね。おすすめはやっぱり混む前の早い時期が良いと思います。
山田:前回の万博で例えば携帯電話のプロトタイプが展示されていたりしていましたが、本当の評価が見えてくるのは50年、100年後だったりするものだと思いますが、色んな意味で期待できる博覧会かなと思います。楽しみにしています。
原田:ますます万博が楽しみになった収録でした。藤本さん、今日はどうもありがとうございました。
藤本:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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