建築家になる「手前」に始めたロッジア研究 | 金野千恵さん〈1/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人がさまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値やこれからの可能性についてお話しするトークプログラムです。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今週からゲストとしてお迎えするのは、建築家の金野千恵さん。最初のエピソードでは、金野さんが学生時代から現在に至るまで続けているロッジア研究について伺いました。
いま最も注目される建築家
原田:今日僕らは浅草橋にあるビルに来ているのですが、ちょっと不思議なビルですよね。
山田:そうですね。これは築何十年になるんでしょうか。鳥越神社のすぐ近くにある古いビルを1棟丸ごとリノベーションされていて、そこに2つの設計事務所が入り、さらに別のフロアには共有の空間もあるところなのですが、1階が大きな窓を持っていて、街に開かれたような空間の中で今日はお話をさせて頂いています。
原田:このスペースは街の人たちも使っているらしくて、ちょうど次の週末(収録時)にあるお祭りでも使われるそうです。ということで、このオフィスを使われている方が今回のゲストになります。建築家の金野千恵さんです。よろしくお願いします。
金野:よろしくお願いします。

原田:まずは簡単に金野さんのプロフィールを紹介させて頂きます。金野千恵さんは神奈川県出身の建築家で、東京工業大学の建築学科でアトリエ・ワン塚本研究室で学ばれました。学生時代は「ロッジア」という屋根付きの半屋外空間の研究調査をされていて、大学院の博士課程修了後に神戸芸術工科大学の助手を務められ、2015年にご自身の建築事務所「t e c o」を設立されました。
現在は、住宅や公共施設の設計、アートインスタレーション、街のリサーチなどを幅広く手がけられていて、「地域ケア よしかわ」や「ミノワ座ガーデン」など福祉関連の施設の仕事でも注目をされています。企画段階から6〜7年かかったという神奈川県愛川町の地域共生文化拠点「春日台センターセンター」で2023年の日本建築学会賞、グッドデザイン金賞を受賞され、いま最も注目されている建築家の1人ではないかと思っております。
山田:t e c oの設立は2015年という紹介がありましたが、ご自身の事務所は2011年に設立されているんですよね。
金野:はい、そうなんです。大学出てすぐに神戸の大学で勤めながら、設計の仕事も始めていまして、それが2011年でした。その4年後の2015年に立ち上げたのが現在のt e c oになります。
原田:僕は春日台センターセンターに一度行きました。週末だったのでそんなに人はいなかったのですが、建築自体が凄く新しくて、色々な方たちが色々な過ごし方をしているような光景が想像できる場所でした。そんな金野さんをお迎えし、これから全4回にわたってお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
金野:よろしくお願いします。
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スイス留学で触れた「ロッジア」の魅力
原田:今回は、建築家になる「手前」の研究というテーマで、金野さんが現在に至るまで研究を続けているロッジアについて色々伺っていきたいと思います。
山田:僕が最初に金野さんにお会いしたのは取材で、2011年のデビュー作でした。それがまさに「向陽ロッジアハウス」という建築でしたね。
原田:お母さんが住まわれているというものですね。
金野:そうなんです。
山田:僕も学生時代に建築を勉強したのですが、 「ロッジア」というのはその時までまったく聞いたことがない言葉で。
金野:いいですね(笑)。
山田:写真を見ても理解はできるのですが、空間体験をして初めて「なるほど」というものだったんです。まずはこのロッジアというものが何かということをお聞かせいただけますか?
金野:ロッジアは私も修士の1年生の時に初めて知りました。東京工業大学の修士課程で塚本由晴先生のもとで学んでいたのですが、以前から海外に行きたいと思ってたこともあって、スイス連邦工科大学チューリッヒ校に留学に行きました。そこではいくつかのスタジオで学んだのですが、最後に行ったのがペーター・メルクリという建築家のスタジオで、彼がしきりにロッジア、ロッジアと言っていたんですね。その時は私も何のことかわからなくて、周りの同級生も知らないくらいヨーロッパでも知らない人がいる建築言語でした。よくよく話を聞いていくと、ロッジアという言葉が元々イタリア語であるように、イタリアで発祥したものなんですね。屋根がついていて、アーチの柱廊などでつくられている屋根付きの半屋外空間で、吹きさらしになっているんですね。14世紀くらいにつくられたものがオリジナルなので、もう600年くらい経っているのですが、ヨーロッパでも特にイタリアなんかには大きな広場に面してそういう空間があって、昔は王様が儀式をしたり、セレモニーや大きな催事などのために使われていたのですが、時が経つにつれて小麦の配給所になったり、一時期はドイツ傭兵が寝泊まりをしていたり、色々な歴史的経緯があるんです。そういう色々な活動を寛容に受け止める場所としてずっと使われて続けてきたんですね。
金野:いまも色々なロッジアがあって、お店みたいになっているところもあれば、市場もあれば、彫刻のギャラリーみたいなところもあります。イタリアに行ってその空間を体験してみると、600年もの間ずっと使われ続けているという建築としての強さももちろんですが、その場にいるとイタリアの人たちの暮らしや文化、コミュニケーションのあり方など文化的な振る舞いのようなものを自分も共有できるような気分になれるんですよね。
その地の暮らしを反映しながら寛容に生き永らえてきた建築というのが凄く面白いなと。私の先生だったメルクリはスイス人なのですが、スイスは結構寒いのでそんなにオープンエアな空間をつくっても冬は丸々使えなかったりするんですね。それでも、そういう暮らしのあり方を積極的に取り入れた建築をつくっていて、効率を問うなら必ずしも100%ではないかもしれないけど、良いシーズンは300%の働きをするみたいな(笑)。そういう生活のリズムをつくるという意味でもとても魅力的だと思って研究を始めました。
現地の暮らしに触れられる場所
原田:ロッジアはイタリアで発祥して、現在はヨーロッパ各地にあるのですか?
金野:そうですね。ヨーロッパ各地で広がっていて、フランスとかクロアチアとか色々なところで使われています。英語の建築辞書にも載っている言葉なのですが、私もメルクリに合わなければ知らなかったですし、それを日本に持ち帰ってきて、「ロッジアというものがあってね」という話をしても「え? 何それ?」という感じで(笑)。もちろん塚本先生は知っていたのですが、あまりポピュラーではありませんでしたね。
原田:「屋根付きの半屋外空間」とだけを聞いた時は、日本における「縁側」のようなものをイメージしたのですが、ロッジアはもう少しパブリックに開かれているものなんですかね。
金野:イタリアのロッジアはかなり道や広場に面して開かれているものが多いですが、実は小さな住宅にもそういうスペースがつくられていて。家の中の方までは私もあまり入っていないのでわからないですが、道を見ていると色んな人が道端に座れる場所があったり、高いところからストリートレベルまで色んなところに人がいて、そういう居場所をつくっているのが外の空間であることが多くて、彼らはそれらもロッジアと呼んでいたりします。パブリックで大きいスケールのものもあれば、小さいものもあったりして、可能性としてバリエーションが広いと感じたところがあって。もしかしたらこういうものはヨーロッパだけではなく、日本を含めて色んな地域で応用可能な建築のボキャブラリーなのかなと。
原田:ロッジアとは呼ばずとも、世界各地に似たような空間はありそうですよね。
金野:そうですね。修士だった2007年くらいからロッジアに着目して研究を続けているのですが、世界中を旅していると同じような空間が地域固有の呼び方であって、先ほど仰っていただいたように日本だと縁側だと思うんですね。ロッジアはもう少し奥行きが深くて、テーブルセットが置けるくらいのサイズ感が家庭用のロッジアでもミニマムサイズという感じで。例えば、いま私はインドネシアにある面白い屋根付きの空間「バレ・バンジャール」というものを研究しているのですが、ネパールであれば「パティ」と呼ばれていたり、少しずつ呼び名も工法も違うのですが、そこに行けば現地の暮らしが味わえるような場所になっていますね。
山田:イタリアによくある回廊的な空間もロッジアに入るのですか?
金野:あれは「ポルティコ」と呼ぶのがベーシックだと思います。例えば、最初にヨーロッパで大学がつくられた都市と言われているボローニャでは、学生が動きやすいことも兼ねて、都市のつくり方的にも色々理由はあるのですが、列柱の廊が都市中に張り巡らされていて。彼らはそれをポルティコと呼んでいるのですが、私は暮らしが外側に行ったり来たりしやすい中間領域的な場所にフォーカスをして研究をしていたので、研究の中ではそういうものも一緒くたにして「ロッジア空間」とちょっとぼやかして呼んでいます。
山田:アーケードの商店街も雨や日差しをしのげたりする空間になっていて、これらも近しいものがありますよね。
金野:そうですね。日本だと昔ながらの商店街がアーケードでつくられていたりして、その形に関する研究者がいたりします。それも各地で工夫や違いがあるのですが、世界をそういう目で見て比較していくと面白くて、風土や地域ならではの素材といったものが浮かび上がってくるんですよね。
ライフワークとなるテーマを見つけること
原田:たしかに色々な国の生活や風土の比較にもなるとは思うのですが、金野さんは人類学者ではないわけで(笑)、将来の建築設計の糧にしたいというところがあったわけですよね。もともと街に暮らしがはみ出していくような場や空間をつくりたいという思いがあって、研究を続けていたのですか?
金野:最初は、メルクリという先生があらゆる住宅をロッジア、ロッジアと設計していて、何が起きるんだろうと思っていたんですね。実際に彼が設計した住宅を見に行っても、ひと目見ただけではなかなか価値がわからなかったんですよね。でも、イタリアに通ったりしているうちにこういうことかと。一瞬を切り取った写真や30分見ているだけでは捉えきれない時間を含んだ空間の魅力みたいなものがジワジワと感じられるようになって、こういう空間にはフォトジェニックな豊かさとは違う、これからの価値をつくっていく可能性があるのかなと。イタリアの最もクラシカルなロッジアなどを見ていると、やっぱり600年耐えてというか、変わらずにみんながそこに寄り付いている光景に非常に力強いなと思って。ロッジアという名前はついているのですが、機能としてはずっと変わり続けていて、それでもみんなが切り捨てないで大事にしてきているというものには何か建築の本質的な強さがあるんじゃないかと。
建築家の仕事というのは基本的にクライアントワークだと思うのですが、そういう通底するものが何か見つけられた時はもしかしたら持ち主や使い手が変わっていったとしても生き残っていくというか、みんなの活動を支えていくような空間として長く役に立っていくのかなと思うようになり、いつからかこういう建築をつくりたいと考えるようになりました。
原田:僕らは金野さんの仕事をある程度見ていて、さまざまな人たちが使う多機能な建築、空間をつくられていることを知っているので繋がりがわかるのですが、学生時代の金野さんは、ロッジア研究を重ねる中で自分が設計をするならこういう方向だというのがだんだんと定まってきた感じだったのですか?
金野:そうですね。その時にはまさかそこから20年弱経ったいまもロッジア、ロッジア言っているとは予想してなかったんですけど(笑)、なんと息の長いビルディングタイプというかボキャブラリーなのかと凄く惹き込まれたところがあって。結果的にいまもライフワークとしてやっていて、多分おばあちゃんになってもずっと続けているんだろうなと思っています。そういうものに修士の時に出会えたというのは、いまとなっては凄く大きな財産だなと思いますね。
原田:学生時代に研究していたテーマとここまで直結した建築をつくり続けている方というのは、そんなにいないんじゃないかという気もします。
金野:そうですよね。これは良いのか悪いのか、自分の中の問いでもあるのですが、社会は変わり続けているし、自分も色んなことを吸収していく中でどんどん変わっていけるということはひとつの魅力だろうと思いつつも、何人か私の周りで40、50代になっても修士の学生の時に見つけたネタから自分の建築がこうなってきてと語る人は何人か思い浮かぶんですね。決して多くはなくて、多分1割もいないくらいだと思うのですが。大学で何か見つけたことに対してみんなでディスカッションしたりしながらちゃんと論にしていくとか、そういう土壌があったことが凄く助けになっていて。長く変わらないテーマとして持ち続けられるものというのは、みんながみんな出合えるものでもないので、私にとってはラッキーだったかなと思います。

建築家になるまでのプロセス
山田:先ほど縁側という話も出てきましたが、要は中間領域というか非常に曖昧な空間で、大学の建築の授業などではあまり学問として着目されないというか、経済性を考えていくと省かれやすい場所がまさにロッジアであり、縁側もそうだと思うんですね。それを金野さんは最初の作品であるご実家の建て替えに取り入れているわけですが、そこにはどんな考えがあったのですか?
金野:まず、どうしてこうしたテーマに着眼していったのかというのは、ロッジアの研究を始めてから少し後に、塚本研究室でYKK APという企業からの委託研究として窓の研究が始まったんですね。建築における窓というと、性能がどうかとか開き方がどうかという話になりがちなんですね。性能は数値でも測れることが多いので、そういう対象として価値を判断してしまうのですが、実際に窓の周りで起こっていることというのは、窓を開けた先に何があるのかとか、その手前にどんな家具があるのか、窓が街中でどう連なるとどんな風景ができるのかとか、窓単体の数値として語れる価値よりも、その広がりとして捉えられる価値が凄く大きいんじゃないかと。要は、近代に数値化、システム化されたり、産業の中に取り込まれていったものからこぼれていったものに本来的な価値があるんじゃないかという話をずっと議論していて、ロッジアもそのひとつだったなと思っています。
金野:私は2007年に修士論文を始めて、2011年に博士論文を書き終えたのですが、そのプロセスの中で実家をやると決まった時に、もうロッジアをやるしかないと(笑)。いまはリノベーションも増えてきているので、もう少し身近なところでショップなどからスタートすることもあると思いますが、20年くらい前だと新築が前提だったというのも土壌としてあり、親族が手を差し伸べてくれないとなかなか最初の仕事ができないというのが建築家のキャリアとしてはあって。私もちょうどそういう機会があってやらせてもらったのですが、設計にはいままでで一番時間がかかりました(笑)。小さな住宅の設計を3、4年くらい続けたのですが、修士に行ったくらいから「そろそろ建て替えないとね」という話は出ていて、サイトも決まっていたので規模も限定されるのですが、迷いに迷って凄く時間をかけた結果、最終的には真ん中にロッジアをつくって、それを囲むように南側が庭で、北側が室内空間というプランにしました。いまも楽しんで住んでくれているとは思っています。
原田:素朴な疑問なのですが、この仕事が金野さんにとっては建築家になった瞬間ということになるのですか? どこかの設計事務所で下積みをするわけでもなく、大学で働かれていて、そこから建築家に至るまでのプロセスはどうだったのですか?
金野:たしかにそうですよね。建築家というのは資格は一応あるのですが、どこか曖昧な職業で、資格を取っていない有名な建築家もたくさんいて、自分で建築家だと言えば建築家になれる感じなんですよね(笑)。私の場合は、ロッジアのついた実家の住宅を設計させてもらってから、恥ずかしながら「建築家」と略歴に書き始めるようになりました。
原田:そんな金野さんが学生時代から現在に至るまで研究を続けてきたロッジアの本が出るんですよね。
金野:そうなんです。もう本当に長いことかかってしまっているのですが、実は2010年頃にいただいた補助金を皮切りに世界中で調査をずっと続けていて。いま最後の原稿を出しながら編集者の方とやり取りをするというのが始まっているのですが、今年中ぐらいでこれまで行ったロッジアの中から厳選40数個について手で絵を描いたものが250ページぐらいの本として出る予定です。世界を旅行しているような楽しい本になると思います。
原田:それが現時点における金野さんのロッジア研究の集大成となりそうですね。
今日は、建築になる「手前」の研究というところでロッジアについて伺いました。次回は、これもまた「手前」の話になりますが、設計をする「手前」のコミュニケーションというテーマで、冒頭にご説明した「春日台センターセンター」の事例を中心に、建築を建てる前のワークショップや地域とのニケーションなどについてお話を聞いていきたいと思っています。
山田:今日はありがとうございました。
金野:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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