いちグラフィックデザイナーが子どもを産むと何が起こるのか? | 長嶋りかこさん〈1/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードをテキスト化してお届けしています。今週からの新ゲストは、グラフィックデザイナーの長嶋りかこさん。初回は、初の著書『色と形のずっと手前で』を出版されたばかりの長嶋さんに、執筆の動機や背景にあった思いなどを聞きました。
デザインに行き着かない「手前」の話
原田:今週から新たなゲストにご登場いただきます。僕はこの方とは10年以上前からお付き合いがあるのですが、最近「デザインの手前」的に反応せざるを得ない本を書かれたんですよね。それが『色と形のずっと手前で』という書籍で、最初にSNSでこの情報を見た時に、これはお話を伺わなければとお声がけをさせて頂きました。早速ご紹介します。グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんです。
長嶋:よろしくお願いします。こうやって始まるんですね(笑)。
原田:まずは長嶋さんのプロフィールをご紹介します。長嶋りかこさんは、1980年生まれのグラフィックデザイナーです。武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科を卒業され、広告代理店勤務を経てデザイン事務所「village®」を設立されました。アイデンティティデザイン、サイン計画、ブックデザイン、空間構成などグラフィックを基軸に活動されていて、主なお仕事として「札幌国際芸術祭2014」の公式デザイナー、「第17回ベネチアビエンナーレ国際建築展日本館展示」のVI・サイン・Webサイトなどのデザイン、ポーラ美術館のVI計画などがあります。2018年には第1子を出産され、その妊娠・出産・育児の日々を綴った書籍『色と形のずっと手前で』を2024年7月に出版されました。今日はそんな長嶋さんとともにお届けしていきたいと思います。
長嶋さんは、J-WAVEの『RADIO SAKAMOTO』に出られていましたし、音声メディアはもう慣れていらっしゃいますよね?
長嶋:いえいえ(笑)。言っても2ヶ月に1度だったし、最後まで慣れなかったです(笑)。
原田:どれぐらい出演されていたのですか?
長嶋:(札幌国際)芸術祭が始まってすぐから、坂本(龍一)さんが療養に入るまでだから、10年くらいですかね。もともと喋ることも凄く苦手だったので、語彙力が足りなさ過ぎて、一緒にやっていたU-zhaanに相談したこともあって。どうやったらうまく喋れるのかと言ったら、「りかこちゃん、本読んでる?」「あ、読んでない!」と(笑)。「やっぱり本読まないとダメじゃない?」と言われて、「なるほど」と(笑)。それから結構読むようになりました。
↓こちらからポッドキャスト本編をお聴きいただけます
▼Apple Podcast
▼Spotify
↓続きもテキストで読む
山田:でも、長嶋さんの本を読むと、とてもそんなことは感じさせないというか、慣れている人の文章だと思って読ませていただきました。
長嶋:あとがきにも書いているのですが、日常的にずっと携帯にメモを書いて残してはいたものの、わざわざ人に見せるために書くということはしていなくて、あくまでも自分のために書いていたんです。今回収録のお話を頂いて、それこそ「手前」としての書く行為というのを私はいつからやっていたのかなと振り返ってみたんですけど、そうしたら2010年に小さな個展をやっていて、そこでも実は詩を書いて展示していたりしたんですよ。内容も『色と形のずっと手前で』で扱っているテーマと実はかなり近くて、アウトプットの質や形態に変化はあれど、考えていることや疑問視していること、違和感を持っているもの自体は前から変わっていなくて。
原田:先日、書籍の刊行に合わせて行われた展覧会のレセプションで久しぶりにお会いして、収録の話もさせてもらったのですが、「デザインの手前」の存在を割と早い段階から知っていただけていたみたいですね。
長嶋:そうなんです。この本の原型を書き始めて、タイトルは2022年くらいに決まっていたのですが、今年メールマガジンが届いて、原田さんが「デザインの手前」というのを始めたんだということを知って。でも、きっとこの番組で扱っている「手前」というのは、リサーチやものづくりの手前の話だろうなと。
原田:準備や下ごしらえとかそういう意味合いも「手前」にはありますね。
長嶋:そうそう。私が伝えたかったのはそこではなく、そこにすら行き着かない「手前」があるということだったのですが、でもいつか番組と接点が持てたらいいなと思っていたので、こうして呼んでいただいてうれしいです。
原田:前にも何度かお話していますが、「手前」という言葉は、グラフィックデザイナーの大原大次郎さんの展覧会で目にした文章がきっかけだったでした。「自然と人間」という湯川秀樹の論考の中の「自然は曲線をつくり、人間は直線をつくる」という文章があって、それにインスパイアされた大原さんが「手前」という言葉を出されていて。後にまた話が出てくると思いますが、長嶋さんもご自身の書籍の中で、「直線」と「曲線」を、「自然」と「人工」に対比されていて、そういうところでもつながっていて面白いなと思いました。
長嶋:そうですよね。自然の曲線と人工の直線というメタファーやその二項対立の構造は私も日常で直感的に感じていたことではあったし、なぜそれらが各々対立的に存在してしまうのかといったことも問題意識としてはあって。たゆたうような両者の間というものはないものなのかと、言語化はできていなかったけどずっと違和感としてはあったので、大原さんの文章にある湯川秀樹の一節を読んだ時に共感がありました。
携帯のメモ機能で書き溜めた記録
原田:長嶋さんが書かれた『色と形のずっと手前で』を起点に、今週から4回に分けてお話を聞いていきたいと思っています。1回目に関しては、なぜこの本を書くに至ったのかというところからぜひ聞いていきたいなと思っているのですが、まずはこの本がどんなものなのかということを長嶋さんの方から簡単に説明いただけますか?
長嶋:そうですね。妊娠・出産を通じてどんな変化が起こるのかという話は、作家の方が小説やエッセイとして綴ったり、社会学者の方が客観的に語ったりするような本としてたくさん出ていますよね。じゃあ自分はどうかと言えば、実際に自分が子どもを産んでみて起こった変化というのは結構強烈で、そこで感じた違和感や景色というものがやっぱりあって。当時はとにかく沸々とわいてきたものがあって、その多くは怒りや悲しみだったのですが、その感情の機微や疑問をひたすら携帯のメモに書き溜めていて。それをもとにしながら、いちグラフィックデザイナーが子どもを産むことでどういうことが現実的に起きていくのかを書くことで、超個人的なことではあるのだけど、凄く社会的な話にもなると思ったんですよ。一つのサンプルとして私を描くと、そこから社会の歪みや仕組みみたいなことが絶対に見えてくるだろうと。ジェンダーの問題も取り扱っているのですが、それ以外にも環境のこととか、先ほども出た人工と自然の対比の話だったり、そしてもっと大きなテーマとして生と死を扱っていたり、そういったいくつかのテーマを走らせながら書いた本ですね。
山田:わかりやすさのために二項対立というものをつくりがちですが、男性と女性だったり、生と死といったものには二項対立では割り切れない問題がたくさんあるということが、この本を通して凄く伝わってきますよね。僕がずっと気になっていて聞きたかったのは、スマートフォンでメモを書くタイミングはどんな時だったのかということです。
長嶋:トイレに入っている時だったり、パッと着替える時にクローゼットの中だったり、しかも苦しくて泣きながら書いたりとかしていましたね。あとは子供を寝かしつけしながら暗闇で書いたり、授乳しながら片手で書いたり。本当に片手間片手間で「チリも積もれば」みたいな感じで、本当に1分、2分とかでバッと書く感じでしたね。
原田:僕は音声メモでその都度記録していたのかなと思っていたんですが、刊行記念の展覧会を東京・恵比寿のPOSTでやられていて、そこでメモを手打ちしている映像が投影されていて、「こうやってたんだ!」と(笑)。
長嶋:そうなんです(笑)。音声だと子どもを寝かしつけしようとしてる時に起きちゃったりするし、PCだとおんぶやだっこをしてる時に移動ができない。目の前にあって書きたいと思った時にパッと書けるのが紙でも鉛筆でもなく、携帯のメモ機能だったんです。
山田:書けるタイミングが突然終わる可能性もあるからということですよね。
長嶋:そう。突然赤ちゃんが泣き始めたらもう書けないし、本当に隙間隙間でこれしかないみたいな感じで書いていたんですよね。それを書いている時に、「私はこれで色と形をやっているんだな」という意識はちょっとありましたね。色と形ができないから、これを私はやっているのかもと前から感じていて、その時に「色と形のずっと手前」にいる意識があったんです。だからタイトルは、本を書こうと思った時にもうすぐに思い浮かんでいましたね。
子どもを産んで友達が増えた
原田:妊娠・出産・育児の日々が綴られている本なので、やはり女性の方がより共感できるというのはあると思いますが、性別、年齢、ライフステージ、職業、その人の置かれた状況によって本当に感じ方・捉え方が変わる本なんだろうなという印象を受けました。それで言うと、僕はもうすぐ9歳になる女の子がいる男性として、山田さんはお子さんがいらっしゃらない男性の立場としてこの本を読んでいて、それぞれ感じ方が違うだろうし、どうしても自分の経験と照らし合わさざるを得ないような本なので色々なことを考えましたね。
ジェンダーや仕事、生活、社会の話など色々な切り口があって、各論各論で思うところはあるのですが、それよりも色々な立場の人たちの存在や生きてきた人生を肯定してくれるような本だと感じました。色んな人達がいて、色々な考え方があるんだという長嶋さんのまなざしがベースにあって、それを感じた上で本当に色々な対話を生むような本だなと。
長嶋:そうですね。読んだ方から想像以上に声を送って頂いて、こんなに見えてこなかった声や視点があるんだと感じました。女性が置かれている状況にやっぱり違和感を持っている人がたくさんいることもそうだし、切実な状況にある人もたくさんいるということもそうだし。あとはこの本によって内省したという男性も結構いたりして、誠実に声を届けてくださるので、何がしかの形で彼らの次の行動や心持ちの変化に繋がったら、書いた甲斐があったなという感じがします。
原田:そうした色々な声が届けられるのは、おそらく長嶋さんご自身の痛みや葛藤などある種凄くぶっちゃけてさまざまなことを開示しているからで、だからこそみんなが反応できるというのはあったと思います。それをよくここまで書けたなと思ったし、それが凄く届きました。
長嶋:いま言われて思い出したのですが、そういえば私子どもを産んでから友達が増えたんですよ。「子育て、きっついよね」もそうだし、しんどさままならなさを一人で溜めずに人に話すようになって。そうすると相手も「実はね」って切実な心情を吐き出す。そういう話はやっぱりどんな人にも多かれ少なかれあるんですよね。育児環境で言えば、離婚している人もいればしていない人もいるし、家族の手がたくさんある人も足りていない人もいるし、本当に色々なんだけど、どのお母さんと会っても、「とはいえ、きついよね」という前提がだいたい一緒で。あとは家事育児関係に限らず、子供がいるいないとか、老いとか病とか、それぞれ何がしかの違和感やままならなさがある。そんな話をお互いにしていると、社会的な肩書きとか、そういうことを一切取っ払って、デザイナーではなく「人」としての関わりみたいなものが増えたなという感覚があるんですよ。前は私自身がもうちょっと肩肘を張っていたというか、肩書きを自分でも演じてたところがあったかもしれないのですが、そういう感じが子どもを生んでから全部なくなって。だからなのか、友達が増えました(笑)。
原田:嫉妬とか自分の中のドロドロしたような感情を、すべてとは言いませんがかなりの部分出されているように感じました。それらを紙や本に残すことも含めて怖さはなかったのですか?
長嶋:あります、あります。特に性被害の話や元夫のことも書いていたりするし、自分の良い面ではなく、凄く弱いところとかダメなところとか蓋をしてきたところを書いているだけに、どういう反応が来るかわからないというのはあったし、それによってまず私が傷つく可能性もあると思って。最悪イヤになった時に自分の責任でやめられる状況はつくりたかったし、怖さを誤魔化さないでおくために、誰にも迷惑をかけずにやめられるように自分の会社に出版部門をつくって、自費出版したという経緯がありました。
女性の視点・男性の視点
山田:本の構成も散文的というか、時系列に沿ったところもありながら、途中で行って戻ってきたりするところも多いじゃないですか。その辺りが立体的に長嶋さんの考え方や気持ちを浮かび上がらせるものなんですけど、こういうことって編集者がアドバイスで入ったりとかする部分でもあるのかなと。でも、今回はご自身で全部やられていますよね。本の構成をどのように考えていったのかが気になりました。
長嶋:最初は自分のメモをバーっと時系列でつなぐこともしたんですけど、結果「怒りのデスロード」みたいな(笑)。ほぼ怒りのみみたいな感じになってしまって、これはまずいなと。本にして何かを人に伝える時の強度はない状態の文章だったと思うんですが、でも自分の中では必要な時間ではあったんですよ。それを一旦やることによって1回全部出すみたいな。それを何人かの友人知人に読んでもらって、それでもやっぱり共感してくれる女性はいたのですが、男性にはもう少し共感だけじゃない別の視点もあって。あとがきにも書いていますが、中崎 透くんという現代美術家の友達は、やっぱり怒りが強すぎると(笑)。生と死、人工と自然みたいなテーマもあるし、それがジェンダーの不平等の話でかき消されてしまうのはもったいないんじゃないかと話してくれました。
原田:男性と女性で受け止め方は当然違うと思うのですが、僕個人としてはどちらの視点も感じられるところがありました。それはいまの僕の状況と関係していて、仕事と並行して育児のかなりの部分を見ているところがあるんですね。それはパートナーがお店をやっていてほぼ家にいないという状況があって、かつ僕は割と働く時間や場所をコントロールしやすい仕事ということもあって、3食つくることとか、子どもを寝かしつけるということをやりながら仕事をしているんです。そういう意味では、なかなか仕事ができないという状況はよくわかる。パートナーがいる夫婦に限った話になりますが、そこはある程度役割分担なのかなと思いつつ、とはいえおっぱいをあげるとか役割分担できないところもありますよね。本の中にも「父親は逃げられるけど母親は逃げられない」みたいな記述があったり、育児をする奥さんに旦那さんは特に感謝しないけど、逆に家事を手伝ってくれた旦那さんには奥さんが感謝するという話もあって、「たしかに」と思うところがありました。どうしても役割分担できない部分があるし、やっぱり男性は色々な意味で優位な立場にいるということを受け止めた上で何をするのか、何をしてきたのかということを個人的に振り返ったところがありました。
山田:最近別の本でも読んだのですが、男性はやっぱり物理的な変化がないことが凄く大きいというのはジェンダー論などでよく聞く話ではあります。僕は子育てを体験していませんが、周りを色々見ていて子育てには幸せな部分と大変な部分が両方あるということは感じられます。一方で、子どもにしても母親にしてもあっけらかんとしたタイプもいるし、本当に手がかかる子ども、なかなか体調が戻らないお母さんなど、母と子の関係にも色んなファクターがあって、一般化できないんですよね。そういうことは大人になってだんだんわかってくることですが、子育て中の友達に声をかける時にもなんて言っていいかわからなかったりするんですよね。こちらでケアできることもあれば全然できないこともあって、そこが本当に難しすぎて。
原田:本当にそれぞれが全然違いますよね。この本の中でパンチラインだと感じた表現に「グラデーションは歩み寄りの技術」というのがあります。これは凄く秀逸というか、それこそグラフィックデザイナーならではの伝え方だなと思ったんですよね。この「グラデーション」もそうだし、「直線」と「曲線」の話もそうだし、各章のタイトルにも色や形にまつわる言葉が多く使われていて、視覚的に世界を捉えているグラフィックデザイナーならではの感性が凄くプラスに働いている部分が多々あることもこの本の特徴だと感じました。
長嶋:そこは結構意識しました。小説家でもエッセイストでもないグラフィックデザイナーが文章を書くからには、そこに視覚的な要素を感じられる方が必然性があると思ったし、結構意識して入れていったというのはありましたね。
グラデーションの幅を拡げる
山田:子育てにしても介護にしてもようやくここにきて色んな情報やケーススタディが出てきた感じがします。そういうものによってだんだん自分の知識が増えたり、長嶋さんの文章で言えば「グラデーション」を知っていくというか、そういう機会をどんどん増やしていかないといけないなと。それも自分の年齢的な成長とともに何となくわかるようになってきたところが大きいから、長嶋さんの本を読んだ時の捉え方も世代によって全然違うだろうなと。20代の人たちで男性でも女性でもピンと来ない人はいるだろうし、逆に凄く切実に読む人もいる。たぶん若い世代ほど男性でも共感を持って読める時代にはなってきているとは思いますが。
これは本当に男性にはわからないことですが、同じ女性でも生理が重たい人、軽い人がいると言うじゃないですか。そのように女性の間でもわかり合えない部分がある。出産にしても大変な人もいれば、スポンと簡単に産まれた、全然苦労しなかったと言う人もいて。その辺は本当に人体の摩訶不思議だよなと思いつつ、大変な思いをされている人、大変な状況にある人を社会全体がもっとサポートしていかないといけないというのは確実なことで。その時に何ができるのかということも含めて、僕たちのグラデーションを拡げてくれる本だなというのは凄く読んでいて思ったんですよね。
長嶋:一本化できない多様なグラデーションがある時に、どうやったら歩み寄れるのか。そのためには、異なる他者の立場に1回立ってみる練習みたいなことをする必要があるんじゃないかなと思うんです。子育てに限らず、男女の話や老いや障害のこととかもそうかもしれないし、色んな異なる他者と生きるためにはどうすればいいのか。私の場合は子育てをすることで、ままならない身体になった時期があったおかげで、ままならない身体の人に対して想像することもあったんですよね。例えば、自分が妊婦の時に動線が一緒になるのが、障害を持っている方だったり、老人の方だったり、車椅子やベビーカーの方だったりしました。社会的弱者と呼ばれる人たちと同じ導線になることで、そこに対して少しイメージが膨らむみたいなところもあって。ままならない体験によって得られた視点を、別の人たちの状況に対して馳せることももしかしたらできるのかもしれないなと思いました。
長嶋:もしかしたら、みんなそれぞれに持ち場というものがあるのかもしれなくて、私だからこそ感じられること、気づく視点みたいなものがたぶんあって。それは各々違っていて、子どもがいる/いないもそうだし、離婚や経済状況や老いや病や障がいやLGBTQなど、各々がどういう場所でどんなことを考えていたり、何に違和感を持っていて、何が喜びで何が悲しみなのかということなどがもっと出てきて、そういう痛みや悲しみ、怒りがあるんだとという声が当事者以外の他者に伝わるとさらにグラデーションの幅が拡がっていくのかもしれないし、そこから歩み寄りが始まるのかもしれない。だから、私は私の持ち場でできることをしようという気持ちにもなっていて。例えば、せっかく本を書いて色んな声が出てきているから、もちろん許可を取ってですが、集まった声で副読本みたいなものをつくれたらいいなと思っています。トークイベントなども企画していたりするから、声を視覚化する、見えなかった声を見えるようにしていくことができたらいいなと考えています。
原田:ここまで長嶋さんの書籍『色と形のずっと手前で』が書かれた経緯やそこにあった思いなどをお聞きしてきました。次回は、この本でも語られていることではありますが、お子さんが生まれたことによって長嶋さんの働き方がどう変わってきたのか、あるいはデザイナーとしてのキャリアをどのように考えてきたのかといったお話を聴いていきたいなと思います。今日はありがとうございました。
長嶋:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
「デザインの手前」は、Apple Podcast、Spotifyをはじめ各種プラットフォームで配信中。ぜひ番組の登録をお願いします。
Apple Podcast
https://apple.co/3U5Eexi
Spotify
https://spoti.fi/3TB3lpW
各種SNSでも情報を発信しています。こちらもぜひフォローをお願いします。
Instagram
https://www.instagram.com/design_no_temae/
X
https://twitter.com/design_no_temae
note
https://note.com/design_no_temae