なぜバイヤーがデザインの「手前」に関与するのか? | 山田 遊さん〈1/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人がさまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードをテキスト化してお届けしています。今週からの新ゲストは、バイヤーの山田遊さんです。初回では、さまざまなモノと密接に関わる活動をしている山田さんに、社会や消費者に「デザインを届けること」をテーマにお話を伺いました。
肩書きは「バイヤー」?
原田:今日からまた新たなゲストをお迎えするのですが、今日はその方のご自宅に来ています。
山田:初めて家ですね。
原田:たしかにそうですね。山田さんはここには何回か来られているんですよね。
山田:はい、もう引っ越す前から3、4回くらい来ています。
原田:引っ越す前ですか? それは相当仲良しな方ということですね(笑)。
山田:いやいや、どうなんでしょうか(笑)。
原田:今回からゲストとして出ていただくのは、メソッド代表でバイヤーの山田遊さんです。山田さん、よろしくお願いします。
山田遊:よろしくお願いします。

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原田:バイヤーという肩書きは合っていますか?
山田遊:合っています。色々迷って変な肩書きをたくさんつくった時もあるのですが、基本的にバイヤーというのはずっと言い続けているかなと。
山田:そうですよね。逆になんて言っていたのですか?
山田遊:メディアの方が「デザインディレクター」とか「クリエイティブディレクター」なんじゃないかと言ってくれたりしたのですが、でもやっぱり違和感がずっと自分の中にはあって。僕の中でしっくり来ている肩書きで、絶対間違っていないと思うのは「バイヤー」なので。現在の仕事が世の中にあるバイヤー像と同じような仕事かと言うとまったくそうではないのですが、僕のキャリアのスタートであり、間違いなくベースになっているのはバイヤーという仕事を経験したことですし、いまもバイヤーはできますからね。
山田:やられていることは、バイヤーとしてのディレクションですもんね。
山田遊:そうですね。最近は「バイヤー崩れ」とも言っていますね(笑)。
原田:バイヤーという仕事はどちらかというと、デザインの「手前」というよりは、デザインされた後のものを扱う人というのが一般的なイメージですよね。
山田遊:「手前」というより「後」ですよね。
原田:ただ、どうやらそうでもなさそうだというところで、今日はその辺の話を色々聞いていきたいなと思っています。
山田:今日は「手前」でどんな悪巧みをしているのかを聞きたいなと(笑)。
山田遊:いいですね(笑)。
「選ぶ」よりも「届ける」仕事
原田:まずは、山田遊さんのプロフィールを紹介させてていただきます。山田遊さんは株式会社メソッドの代表です。東京・南青山のIDEE SHOPのバイヤーを経て、2007年にメソッドを立ち上げられ、フリーランスのバイヤーとして活動を開始されました。デザイン、工芸、美術、ファッション、美容、飲食などさまざまな領域におけるモノと密接に関わり、モノを生み出す人々に寄り添いながら、国内外の店づくりを中心にあらゆるモノにまつわる仕事に携わられています。また、武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科の客員教授や、各種アワードの審査員などを務められ、産地や教育機関での講演など多岐にわたって活動されています。
これまでの主なお仕事として、国立新美術館ミュージアムショップ「SOUVENIR FROM TOKYO」、21_21 DESIGNSIGHT「21_21 SHOP」、GOOD DESIGN STORE TOKYO by NOHARA、Made in ピエール・エルメ、燕三条 工場の祭典、NOT A HOTELなどがあります。また、東京・渋谷の事務所に併設されたギャラリースペースを展示会などで貸し出すほか、定期的に自主企画展も行い、ものづくりに関わる方たちの発表やコミュニケーションの場もつくられています。
そんな山田さんにこれから4回に渡ってお話を伺っていきます。よろしくお願いします。
山田遊:よろしくお願いします。
原田:いまご紹介したお仕事の中では、「燕三条 工場の祭典」はダブル山田で関わられたプロジェクトだと聞いています。
山田:そうですね。僕は後から合流させて頂いたのですが。工場の祭典が立ち上がって数年が経ち、ちょうど僕が会社を辞めたタイミングでお声がけいただき、一緒のチームに入れていただき、テキストなどを担当しました。
原田:その辺のお話もお聞きできればと思っていますが、まず1回目となる今回は、モノにまつわる色々な仕事をされている遊さんが、モノやその背景にあるデザインというものをどうやって消費者なり社会に届けているのかというところを大きなテーマに色々お話を聞いていきたいと思っています。
バイイングの仕事というのは、僕ら編集者の仕事と近いところがあると思っています。扱っている対象がモノなのか情報なのかという違いはありますが、色々なものを集めるだけでなく、それらを組み合わせて差し出していくというところは割と近いところがあるのかなと。
山田:それで言うと、遊さんがより編集者的なバイヤーだと言えるのかもしれないですね。
山田遊:どんどん怪しくなってきた、肩書きが。エディトリアル・バイヤー!? (笑)。
原田:(笑)。一般的にバイヤーというのは「目利き」のイメージが強いじゃないですか。 「目利き」というのは選ぶだけで終わりそうな感じですが、その先までやられるのはバイヤーとしては珍しいんですか?
山田遊:もともと僕は大学を出てから、IDEEというインテリアショップに入社したのですが、最初は店員として働いているわけですよね。働いているうちに、今度は店内の家具のコーディネートみたいな仕事が定期的にあって、それを担当させてもらうようにもなったのですが、働き始めて1年半とか2年くらい経った頃にバイヤーをやられていた方が退職されることになったんです。当時の店長は大熊(健郎)さんといういまCLASKAというお店のディレクターをやられている方だったのですが、「なんかモノ好きそうだからやらない?」と言われて。僕は大学時代に美術を学んでいたわけでもないですし、実際に働き始めてから特にプロダクトのデザインに触れていくようになったのですが、バイヤーになった時は怖かったんですよね。デザインやプロダクトの良し悪しはもちろん、まだ20代前半なのでそんなに物事も知らないし、わからないことへの恐怖が凄く強くて。正直、バイヤーになって、怖いから夢中で勉強をし始めたんです。そこから休みの日には色んなお店や展示を見に行ったりということがずっと続いて、それがそのまま日課になって、そこから僕はデザインに触れ始めたんです。
バイヤーの仕事というのは、基本的にモノを選んで調達して、それが納品されて、梱包を開いて検品して並べるというものですが、もともと現場にもいたのでお店に出て接客をするということもずっとやっていました。モノがお店に届く、その手前で選ぶわけなのですが、そこからお客様の手にわたるまでの一連を全部お店で体験してきたので、独立してからはそれが「どうやったらお店という形でなくてもできるのかな?」ということを20代中頃から悩み続けていました。
そうすると、やっぱり「手前」の話ですよね。モノができる前にまでどんどん踏み込んで行きたくなって、2011年の東日本大震災が個人的には契機になっているのですが、産地を回り出だすようになりました。それまでは、上がりのデザインの良し悪しをジャッジしているだけでいいのかなと思っていたのですが、やっぱりその手前のことを知らないと、そのモノの成り立ちも含めて、すべてを理解できないという思いがあって産地を回り始めて。その過程でお仕事が生まれて、(山田)泰巨さんと一緒にやっていた「燕三条 工場の祭典」はまさに手前の話で、お店と産地、モノが生まれる場所と売られている場所というのがあって、日本の場合はモノが売られている場所が都市で、つくられている場所は結構地域や産地だったりすると思うのですが、その距離の遠さみたいなことを、そこに全部関わっている自分としてはずっと気になっていて。すばらしいものづくりを僕は産地で見ているけど、売り場でそれをお客さんにちゃんと伝えようと努力して、当然接客だったり文字情報でPOPをつくってみたり、写真を使ってみたり、使用シーンをイメージしてスタイリングしたり、映像を使ってみたりとさまざまなことをやっていたのですが、結局値段を見て「高い!」と言われてお店を去っていく人とかを残念ながら目にせざるを得ないんですよね、お店にいると。もちろん値段というのは凄く大事な要素で、モノを売る上でもお客さんがものを買う上でも凄く重要なのですが、その手前を知ってもらうというか、僕自身それを理解したくて産地を回っていたように、お客さんにも都市部のお店だけでモノと出合うのではなく、それがつくられている産地で出合うということがどれだけお客さんの理解やデザイン、ものづくりへの理解だったり、購買行動に変化があるんだろうと思って始めたのが、工場を開いて一般の方に自由に工場見学をしてもらうというイベントで、それを2013年に立ち上げました。そんな感じでどんどん「手前」の方に行ってしまったというイメージです。
山田:「工場の祭典」で凄く象徴的だと思うのが、100円の包丁を1万本分売るのと、1万円の包丁を100本売るのは同じことだと。
原田:売り上げとしては同じ。
山田:はい。別に100円の包丁が悪いとかそういうことではなく、クオリティの良いモノをしっかり届けていくためにはどうしたらいいかという時に、つくっている現場を見てもらう必要があると。僕たちは仕事柄色んなモノをつくっている現場を見ているから、「これがどうしてこの値段になるのか?」「いやむしろ安いんじゃないのか」ということを知っているけど、多くの人はそれを知らないので。それを情報として開示していくというか、そこに愛着を生ませるということも含めて、「なるほどな」と目を開かされるところがあったし、いまでこそ「みんな産地行っているでしょ?」という顔をしているけど、10年くらい前は違ったんだよなと。
山田遊:僕自身、2011年の前は行っていなかったですからね。通常、バイヤーというのは東京などでやっている大きな合同展示会みたいなところで商品を探すのが常で、僕もそうでしたが、その「手前」から僕のようなバイヤーとか商売人みたいな人間が関わっていた方が、結果としてお客様にモノのデザインや価値がちゃんと伝わる可能性があるんじゃないかと。モノの流れみたいなものがブツブツに分断されていて、その間を埋めないと、適切にモノやデザインを届けられないという思いがあって、ずっとやり続けているんですよね。
山田:遊さんはモノを並べるのもメチャクチャ上手いわけですよ。でも、本当はそれはVMDの仕事で、バイヤーの仕事ではないんですよね。
山田遊:たしかに。
山田:そういう意味では「届ける人」であって、その総称として「バイヤー」と言っているのかなと思うところがあります。普通はもっとそこは分業化されていますからね。
原田:一般的にバイヤーというのは、「届ける」よりも「選ぶ」に紐づきやすい仕事ですよね。
山田:「選ぶ」人であるんだけど、「届ける」中に「選ぶ」ことは大事なことなんですよね。
山田遊:たしかに届けるのとか、結構僕は梱包とかも好きだったりするんですよね。 丁寧にラッピングをするということも意外と好きで、お店で働いている時も「どう届けるか?」ということは考えていたし、配達とかになるとロジスティクスみたいな話も入ってきますが、実はそこまで含んでいることだし、「届ける」というのはたしかにそうなのかもしれないなと。
変化する「消費」への意識
原田:モノと人の接点は本当は色々あるはずですが、「消費」という行為が長らく人とモノを繋いできたわけじゃないですか。でも、いまはそこが揺らいできている時代であって、ある程度満たされていれば他はもういらない、安ければいい、あるいは借りればいいみたいなことも含めて、消費がモノと人をつなぐ中心的な行為であり続けるのか? という話がありますよね。遊さんがギャラリーをやっているという話とも関係あると思いますし、先ほどのバイヤーの役割みたいなものも消費が人とモノの中心にあった時は、もしかしたら「点」で仕事をしていればモノも売れるし、ビジネスとしてもある程度回るということがあったと思うのですが、人とモノの関係がどうも消費だけではなさそうだということに消費者側も意識が変わってきていると思うんですよね。
山田:そう思います。
原田:そこに対して、届ける側もある程度アジャストしていく必要もあるのかなと思っているのですが、その辺で遊さんが思っていることや実践していることがあれば聞かせて下さい。
山田遊:だから最近、本当にお店の仕事が少ないんですよ(笑)。全然お店の仕事がなくて、気づいたら本当のバイヤー業、いわゆるモノを選んで、並べて、売るみたいなことが僕は結局好きなのですが、でも時代の変化に応じていくと、やっぱり接点がお店ではなくなっていくんですよね。とはいえ、形がないものだけで現実の世界が満たされるかといったら絶対にそんなことはないと思いながら。ただ、コロナ以降本当にお店の仕事が減って、最近は複合施設ばかりつくっています(笑)。
やっぱり単純なお店というだけでは消費者、お客様とのコミュニケーションの接点としては不十分で。いまはオフィスがあって、お店があって、例えばファブリケーションの施設があるような複合施設だったり、ものづくりをやっている工場なんですけど、その横にファクトリーショップがあるということは普通にありますが、さらにカフェがあって、社員食堂があって、工場見学ができるといった、みなさんがイメージするような商業施設ではなくて、その人たちそれぞれの複合施設、それをマイクロコンプレックスと呼んでいるのですが、そういう形に僕の仕事も変化しています。
これまでにもあったかもしれないけど、新しいアプローチみたいなことは、いざ場所をつくるにしても凄く大事にしていることですし、日々新しい届け方にチャレンジをしています。それをずっとやり続けないと、例えば「いくら儲かるからフォローしてみよう」みたいなことには、限られた人生なのであまり興味はなくて。
もちろん、資本主義の社会なので、経済的に成立しなければ持続可能ではないので、売れることは大事なんだと思いますけど、やっぱりそれだけで社会は成立していないので。それ以外の部分というのをどれだけ大事にしながら、経済的にも続けていけるのかということを、売り方とかお店とか場とか、あとこれはおせっかいですけど例えばデザイナーとかデザインとか、そういうところでずっと考え続けて活動していますね。
原田:「届ける」の中に「売る」も含まれると思うのですが、「届ける」というのは「売る」だけではないじゃないですか。遊さんにとっては多分「売る」よりも「届ける」ことの方が大事で、でも評価軸がわかりやすい「売る」に対して、モノやデザインを「届ける」という時に、どういう状況になれば届いたことになるのかなと。
山田遊:理解をしてほしいというか、上から言っているわけではないのですが、学びや発見があったり、わからなかったものに理解が進む体験というのは、個人的には凄く好ましいものだと思うんです。僕はデザインや工芸などモノ全般を専門領域だと思っているので、自分がこう思っている、理解しているということを説明して、お客様、相手に対して「このデザインにはどういう意味があったんだ」とか、デザインを理解して楽しむというのはそういうことだなと。僕らはデザインしていないのでデザイナーの真意とズレてしまうこともあるのですが(笑)。でも、それが僕は凄く刺激的で、自分がわかるようになってきたことが凄く楽しかったので、それを感じたことがなかった方たちにも感じてもらうことができたら、これ以上の幸せはないなと思うので、それを伝え続けたいという気持ちがあります。
山田:例えば「工場の祭典」というのは、包丁の工場がたくさんあって、包丁が山のようにつくられている中で、遊さんの場合は自分で色々試しながら、それぞれに良さを語っていく人なんですよね。ひとつのものを目利きである著明な人たちが、「私はこの包丁なんです」と語るのとは違って、10本選んで下さいと言われたら10本それぞれに語っていく人なんですよね。そういう視点を持っている人だから、またややこしいというか(笑)。
山田遊:違う、違う(笑)。僕はバイヤーになった時に、本当にわからなかったから、どの包丁がいいのか何もわからなかったので、僕自身が一般のお客様と同じかそれ以下くらいの感じで。その状況からバイヤーをし始めるというとんでもないことになってしまったので、ひとつを選び切って残り9個を世の中からないものにするような選び方はできないんですよね。豊かさというのはある種の多様性や選択肢の多さということも絶対にあると思うし、人それぞれ合っているものも好みも個性も全部違うので、その人にあったモノというのはきっとあると思うんですよね。河井寛次郎が「物買ってくる自分買ってくる」みたいなことを言っているように。その境地に立てば、1個のエクセレントなデザインだけを称賛して、残り9個の可能性をないものにするというのは僕には向いていないんですよね。
山田遊:例えば、パンがめちゃ切れるという意味ではAという包丁がいいかもしれない。でも、例えば見た目のモノとしての佇まいやあり方、デザインはBの方がいいかもしれない。でも、切れる/切れないみたいなことは、究極日本の包丁はどれも切れるんですよ(笑)、誠実につくられているモノたちは(笑)。その差分もわからない人には感知できないレベルの誤差だったりするんですけど、その差分も含めてその人が何に価値を見出すのか。もしかしたら切れることよりも、手に取った時のハンドルの触り心地が気持ち良いからという人もいるかもしれないし、「とにかく切れてなんぼでしょ」という人もいるかもしれないし、「いやいや、キッチンにポンと置いてあって綺麗だから」みたいな人もいるかもしれない。それもゆらぎがあるというか、機能面、情緒面でゆらぎがあるから、そのわからない部分も含めて提案ができて、自分にフィットしたモノを身の回りに増やしていけたら、それは生活として豊かだなと。
本当に理解できない、人の購買というものを求める気持ちを俯瞰しながら、どういうモノが人の心を掴んで、そのモノを届けることができたりとか、持ち帰ってもらったり、愛してもらえるかということも含めて、そういうことをいつも考えながらやっています。
原田:モノやデザインを人に届けるという時に、届ける立場としてはそれをちゃんとわかってなきゃいけないという側面は当然あるわけじゃないですか。でも、「わからない部分もある」みたいなことを、その状態でも伝える人に差し出していくというか、全部をわかってるから選んで伝えているわけではなくて、わかっている部分もあるけどわからない部分もあって、それも含めて届けていくということをされているのかなと。
山田遊:全部をわかって届けるものは、たしかに売りやすいものになるかもしれないすが、なんか楽しくないですよね(笑)。 人間にはわからないものってずっとあるじゃないすか。でも、わからないけどそれをわからないままにしておかず、わかろうとするというのは楽しい行為だと僕は思うんですよね。だから、自分が「目利き」であるかどうかということよりも、探求、勉強、学び、気付き、発見みたいなことを日々続けられるといいなと思っています。
モノと暮らすことでわかること
原田:人とモノの関係が消費だけではなくなってきているという話で言うと、例えば最近の遊さんの仕事で「NOT A HOTEL」はまさに売るためのモノ選びではないのかなという気がするのですが、これまでと考え方が変わってくるところはありましたか?
山田遊:凄くありました。家を建てたのもコロナがきっかけだったりしますし、実はNOT A HOTELのお仕事もやっぱりコロナの期間中にお話をいただいて進めていた仕事なんですよね。自分はこれまで売るモノをずっと選んできて、その意味で誠実にモノを選んできたつもりだし、デザイナーやデザインと向き合ってきたつもりだったんですけど、コロナの時に「オレ使ってねえなぁ」と本当に思ったんですよ、モノを。
原田:ユーザーとして。
山田遊:でも、本屋さんの店主が置いてある本を全部読んでいるかといったらそれもないとは思うのですが(笑)。でも、僕はインテリアショップや生活雑貨のお店とか、ミュージアムショップなどを中心につくっていて、もちろん選んではきたのですが、当たり前だけど全部使ってきたわけじゃない。NOT A HOTELの仕事はそれを突きつけられた仕事だと思っていて。
山田遊:NOT A HOTELというのはホテルでも家でもないような新しい概念の場で、ホテルの建物の中に置く備品やアメニティといったモノを選ぶには全部使わないと無理だなと思ったんですよ。もともと年間でサンプル代の購入金額は高い方なんですが、たぶん例年の3倍くらいになってしまって(笑)。ひたすら買いまくって使ってみるということからスタートして、使ってみる中でもちろんある程度NOT A HOTELという人格と相性が良いだろうと思うものをレンジとしてセレクトした上で、特に開業前だったからこそ全部買って試してみるということをやっていました。それと並行して家を建ててみようということが起こっている時に、使ってこなかったという気付きと負い目をもとに、家で使ってみようと。それはNOT A HOTELの仕事が結構きっかけになっていて。いままで僕はそこまでできなかったと感じていた「使う」ということだったり、あとは置いておいてずっと眺めてみるとか、同じモノでも並べ変えてみたら違うように見えてもっと愛せるようになるかもしれないとか。そういうことをずっと家の中で続けたいと思って家を建てましたし、コロナの時にそれぞれの暮らしというものが大事にされたからこそ、そこを追い求めていくということが結果として豊かであったり、デザイン面、機能面、情緒面みたいな部分での質が上がっていくことにつながっていけばいいなと。
正直、コロナ前は僕は本当に仕事人間で、家は寝るところみたいな認識でした。本当に純粋に仕事上でモノを選んでいる時よりも、より生活者の視点と言うとなんですが、僕の中での解像度が上がった中でモノを手にしているし、見ているなという印象がありますね。やっぱりそのモノとずっと暮らしていかないと気づかないことというのはたくさんあるので、それを凄く新鮮な体験として楽しんでいますね。
原田:今日は、山田遊さんにモノないしデザインをどう届けているのかというテーマで色々なお話を伺ってきました。次回は、バイヤーとしてだけではなく、アワードの審査員やキュレーター、大学の客員教授など色々な形でデザインに関わられている方で、その色んな立場を持っている遊さんが、デザインというものをどう評価しているのか、端的に言うと「良いデザインって何ですか?」といった話を聞いてみたいと思っています。ここまでありがとうございました。
山田:ありがとうございました。
山田遊:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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