中村勇吾さんが「デザインが社会に届く手前」で楽しんでいること 【デザインの手前 1周年特別企画〈4〉】
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人がさまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。週替りでスペシャルゲストが登場する1周年記念企画の最後を飾るのはインターフェースデザイナーの中村勇吾さん。デザインが社会に届く「手前」で楽しんでいることについてお聞きしました。
インタラクティブデザインの草分け
原田:今月は「デザインの手前」の1周年記念月間として、週替わりでスペシャルゲストに出ていただいています。今週ゲストとしてお迎えするのは、インターフェースデザイナー・映像ディレクターの中村勇吾さんです。よろしくお願いします。
中村:よろしくお願いします。
山田:よろしくお願いします。
原田:まずは、中村勇吾さんのプロフィールをご紹介させていただきます。 中村勇吾さんは、1970年生まれのインターフェースデザイナー、映像ディレクターです。1998年より、Webデザイン、インターフェイスデザインの分野に携わり、2004年にデザインスタジオ「THA LTD.」を設立されました。 以降、数々のWebサイトや映像のアートディレクション、デザイン、プログラミングの分野で活動を続けています。
主な仕事に、ユニクロの一連のウェブディレクション、KDDIスマートフォン端末「INFOBAR」のUIデザイン、NHK教育番組「デザインあ」のディレクションなどがあり、カンヌ国際広告賞グランプリ、東京インタラクティブ・アド・アワードグランプリ、TDC賞グランプリ、毎日デザイン賞など数々の賞を受賞されています。
初めて手がけた本格ゲーム「HUMANITY」では、クリエイティブディレクター、アートディレクター、デザイナー、ストーリー制作などを担当し、2023年度ADC賞グランプリを受賞されました。また、多摩美術大学 統合デザイン学科の教授として、デザイン教育の現場にも携わっています。
そんな中村勇吾さんと一緒にお届けしていきたいと思います。

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原田:中村勇吾さんといえば、インタラクティブデザインにおける草分け的な存在として、ウェブ黎明期から色々なお仕事をされていて、いまはなくなってしまったFlashという技術を使って数々の作品をつくられて、世界的にも注目を集めてきた方です。スタートは個人の表現として始まり、それが世界中から発見をされたようなところがあったのかなと思います。そこからユニクロなど企業のウェブサイトや携帯電話のUIデザイン、テレビ番組、CM、ミュージックビデオなどに活動の幅が広がり、ついにはゲームまでつくってしまったと。そうしたキャリアを歩まれてきたと思うのですが、そういう意味ではデザインするものの社会的な影響力がどんどん大きくなってきたのかなという気がしています。
ただ、今日僕らが聞きたいのは、むしろデザインが社会に届いていく手前の話です。 最近、デザインの対象というものがどんどん大きくなり、デザインへの期待が高まっています。これは番組のテーマでもあるのですが、「そもそもデザインって何だっけ?」というところがわからなくなってきている気もしているんですよね。もちろん、デザインの社会的な価値や役割が大きくなってきていること自体は良いことですが、本来デザインというものは個人的な制作から始まっているものでもあり、形や色、動きの美しさなど、デザインが社会に機能する手前で、デザイナーが向き合ってるものがあると思うんですね。ですが、いまデザインというものが大きく語られ始めている中で、そうした部分がないがしろにされがちな気もしています。そこで、改めて手元でデザインをしていくことの楽しさや喜びなど、つくることの根本的な話を、中村さんにぜひ聞いてみたいなと思っています。
中村:ハードルが高いですね(笑)。
原田:それこそ、デザインのハードルがどんどん高くなってしまっているという気がしているんです。でも、デザインというのはその手前で実はこんなに楽しいことがあるというか、それはおそらく自己満足的な要素も含みますが、「やっぱりつくる喜びというものってありますよね」といった話を伺いたいなと。
中村:そうですね。僕はだいぶ自己満足性が高いですね(笑)。
山田:同時に、デザインの領域を広げてこられた方でもあって、やはりそれは後進のデザイナーたちにとって非常に励みになっていますし、心強い存在だと思います。
デザインという言葉を使う側の問題だと思うのですが、何にでも「デザイン」とつけてしまっていて、「これもデザインなんだ」というものが横行し過ぎてしまっているのかなというところは、言葉を使う人間だからこそ課題に感じている部分ではあります。
原田:デザイナーの社会性、協調性がどんどん求められてきているじゃないですか。 もちろん、勇吾さんに協調性がないとは決して言いませんが、やはりそれだけではないんじゃないかと思っているので、その辺りのお話を聞きたいなと思っています。
承認欲求と自己充足感
原田:収録の直前に勇吾さんの最新のプロフィールをいただいたのですが、かつて使われていた「Webデザイナー」という肩書きが消えていました。これは何か意図があるのですか?
中村:Webは…、だいぶやっていたなと(笑)。かつて、Webシーン、Flashシーンみたいなものがあったじゃないですか。インターネットでWebのデザインができるようになった時に、掲示板とかでみんなが「こんなんつくったけど、どうよ?」と言って、「Cool!」と言い合っているみたいな感じだったんですよね。そこに世界中の人々、と言っても合計100人、200人くらいの人たちが集まる「天下一武道会」みたいなものがあったんですよ。 「天下一武道会」っぽいのが僕は好きで(笑)。 個人でやっている時も、そういうところに出して、「どや?どや?」とやっていて、「すげーじゃん」と言われて「でしょ?」みたいな(笑)。そういうことをずっとやっていたんだけど、だんだんそういうシーンがなくなって、次にWebが実社会で活用されるようになった時に、そういうシーンの人たちがごそっと仕事をし始めて、実社会が同じようなシーンになったんですよ。クライアントワークでの「天下一武道会」みたいなものがあって、そこでも「どや?どや?」と見せていて、そういうのは凄く面白かったんですよね。
原田:まだクリエイティブとコマーシャルが共存できていた時代ですよね。
中村:そうですね。 まだ、(Webが)始まったばかりの時代だから、何が効いて何が効かないのかといったこともまだわかっていなくて、「実験」という名のもとに色んなことが許されたんですね。そういうことをずっとやっていて、気がついたら「あれ、この天下一武道会、どっか行ったな」みたいな(笑)。
かつての天下一武道会の猛者たちは、アメリカ人だったらGoogleやAppleなど名だたる企業の中枢に行っちゃったんですね。急に、情報のベールの奥側に行ってしまって、「あれ?」と。「みんなどこ行ったのよ?」とキョロキョロしても誰もいない、みたいな感じになり、張り合いがなくなってしまったというか。
原田:Webデザインというものが、勇吾さんが表現したいと思えるクリエイティブな領域ではなくなってきてしまったと。
中村: やっぱりみんな、関西弁で言うところの「かしこ」になっちゃったなと(笑)。
原田:Webデザイナーの肩書きが外れたとしても、おそらく勇吾さんの中で興味があることはずっと変わらないんだろうなと思うんです。それが今日お聞きしたい話にもつながるのですが、勇吾さんにとって、デザインやものをつくることにおける根本的な楽しさというものが変わらずにあるんだろうなと。
中村:中学生くらいの時に、『Dr.スランプ アラレちゃん』が流行ってて、とぐろ巻きのウンコの表現が凄く流行っていたんですよね。当時僕は、1限から6限までずっと丸一日かけて、スーパーリアルウンコを描いていて(笑)。それを後ろの席にプリントを流すフリをして渡して、「どや?」とやってビックリさせるみたいな(笑)。昔からそういうことが好きで、その時はCG的な陰影をつけることが僕の中で流行っていたので、それを磨いていたのですが、いまはプログラミングとかアニメーション的なことが好きだし、得意ではあると思うので、それで色々やっていると。
それがデザインかどうかという話で言うと、もちろんデザインは好きだし、好きなデザイナー、尊敬できるデザイナーはいて、自分が好きなこととデザインというのは重なる部分は凄く多いけど、ギリギリ問い詰められたら、「別にデザインじゃなくてもいいです」「趣味でもいいです」という感じなんです。よくおじさんが船をつくって瓶の中に入れているようなものがありますが、別にそういうことでも大丈夫ですと。
原田:手工芸的なことですよね。自己充足的な行為とも言えると思うのですが、勇吾さんの中ではそれもデザインだという認識があるのですか?
中村:それはデザインではない気がしますね。僕が最初につくったサイトは、いまでは名前を言うのも恥ずかしいのですが、「mono craft」と言って、デザインではなくて、プログラミング手工芸みたいなイメージだったんですね。別にデザインとしてとかアートとしてこうという話ではなく、「ちょっとこれ、凄く良くできてない?」みたいなことをやるという。デザインのことを知ってしまったいまの僕からするとそれはデザインではないのですが、まあでもいいじゃんと(笑)。「デザインもできますよ」という感じですね。
原田:つくったものを「どや?」と見せたいというのは、ある種の承認欲求的なものだと思いますが、そうした部分と本当に純粋にものをつくりたいという自己充足的な部分のバランスは勇吾さんの中でどうなっているのですか?
中村:セットですね。ガラスの中の帆船とかをつくって、ポンと棚に置いておくだけというのはゴールとしてつまらないなとは思います。デカい瓶の帆船をつくったら、「ちょっとどうすか?」と同好会の人に見せたり。
山田:人には見せたいんですね。
中村:見せたいですね。承認欲求が強いんです。
山田:先ほどの学生時代の話もそういうことですよね。つくったものを結局は見てもらわないとダメだと。
中村:そういう欲望が強いです。
原田:どんどん勇吾さんの知名度が上がり、インタラクティブデザインやWeb業界の外にどんどん名前が広がっていくと、色々な業界や職種から話が来ると思うんですね。ユニクロ的な仕事もそうかもしれないですが、仕事を続けていくとどんどんディレクター側に回されていくところがあるじゃないですか。つくることが楽しかった勇吾さんは、そうしたディレクション側に回らざるを得なくなってくる状況とはどのように向き合ってきたのですか?
中村:やっぱりIT業界には、すぐ偉くなっちゃう問題というのがあるんですよね(笑)。それは人材がいないからなんですが、僕もそういう例に違わず、どこかの会社のCXOみたいな、つくるというよりは全体の方向性をアドバイスするような立場にもなってきて。もちろん「こうした方が良い」ということは言えるんだけど、だんだん予定表の中にそういうミーティングが増えてきてしまって、だんだんつくる時間がなくなっていって、仕事を振る側になってきたりして、もうちょっとつくる方のが得意なんだけどなと。ディレクターとかプロデューサーとかクリエイティブディレクター的なポジションでこそ凄く力を発揮する天才っているじゃないですか。僕が付き合っている人で言うと可士和さんとかね。ユニクロの仕事などで間近で見ていると、こんなに楽しそうにクリエイティブディレクションをしている人がいる中で、なんとなく義務的にやっている自分と差を感じたんですよね。僕が何が得意かと考えると、やっぱるつくる方ができるんじゃないかと。
具体から生まれるボトムアップのデザイン
山田:あまり言い方が良くないかもしれませんが、ご自身がデザイン村にいるなと気付いた瞬間というのは、どういうタイミングだったのでしょうか?
中村:だんだん知り合いが増えていって、展覧会の内覧会に行って、「あ、どうも」と挨拶する人が増えてきた時に、俺もなんか(ここに)いるな、と(笑)。
ゲームをつくっている時はあまりそういうところとは関係なく、それこそゲーム村の人たちと結構話をしていたのですが、かなり凄いんですよね。デザイナーが見たらビックリするくらいデザイン的な思考をしているのですが、それを別にデザインとは言っていないというか、そういう面で感動しましたね。全然村が違うのにやっていることはあまり変わらないというか、むしろ全然こっちの方が凄いなというのはありましたね。
山田:意外と料理の世界にも同じようなことが言えるかもしれません。最近は、イノベーティブな料理が多いですが、根源的にはデザインと考え方が凄く似ていると思うんですね。でも、誰もその言葉を使わず、ビジネスの人たちだけがデザインという言葉を使っていたりするんですよね。
中村:そういうデザインの人たちの嫌ったらしさみたいなものがあって(笑)。よく「企業の中枢にデザイナーを置くべきだ」という話があって、もちろんそうだったらいいのですが、「企業の中枢に料理人を置くべきだ」とか、「料理人の考え方をもっと学ぶべきだ」みたいなことはあまり言わないじゃないですか。基本的に「美味しいものをつくる」という大前提や美学が料理人の世界にはあって、デザインの人はそういうことを言い過ぎだなと思いますね(笑)。デザインが凄く上手ければそれで納得というか、「参りました!」と思うんですけど。
原田:もちろん、そういう時代もあったと思うのですが、先ほどの話につなげると、ディレクターがデザイナーより偉いといったヒエラルキーが、どうしてもデザインの世界だと出てきてしまうんじゃないですか。全体的に俯瞰できる人や、色々な要素を統合できるデザイナーこそが良いのだと。時代的にはそちら側の要請が高まっていると思うのですが、全体から考えていく思考がある一方で、具体から考えていくことも非常に大事だと思うんですよね。ある種のボトムアップ的なデザインのあり方というか、本来デザインやものづくりというのはそういうものだと思うのですが、そこがどんどん逆転してきてしまっていて。どちらが良い悪いという話ではなく、それぞれに良い面があると思っています。
中村:そうですね。
原田:例えば、「HUMANITY」は、群衆がワラワラいることが面白いというところからものづくりが始まっていると思うんですよね。それが結果として、色々な解釈がされるようなゲームになっていますが、もとはやっぱり目の前のつくりたいものをつくるということが、ゲームという形で広がって、結果的に全体主義的なことを含めた社会のあり様を表してしまったみたいな、それもひとつのデザインのあり方だと思います。そうした具体からつくっていくようなデザインというのが少し軽視されているのではないかなと。
中村:トップダウン的な思考というか、いわゆる企画から入るようなことは個人的にはどちらかと言うと苦手で、単純にそういう才能が少ないというか(笑)。やっぱりそこを突破するには企画からは出てこない発見的なアイデアを偶然でもいいから見出すということをしていかないと、強い全体になりにくいというのがあるんですよね。
「HUMANITY」だったら、人のそれぞれの要素のインタラクションを積み重ねていくと、結果的に色んな現象が起こるということがあって、色んな小さな発見の積み重ねてゲームのシステムをつくっていって、そこからストーリーはどうしようと。
例えば、家で言うとトップダウン的な思考というのは、4人家族で、2LDK、3LDKで、旦那は仕事をするからこういう部屋が必要だと上から入っていって、じゃあ最終的に木造にしようといったことがあるけど、僕の場合は凄い面白いレンガがまずあると。このレンガが活きる家はどういうものかというところから、結果的に10部屋あると凄く映えるから、10人家族をつくろうといった思考というか(笑)、レンガから考えていくんですよね。その方が予定調和を崩せるというのがありますよね。
山田:中村さんが教鞭を取られている多摩美の統合デザイン学科というのは、「インテグレート」ですよね。そのインテグレートという冠の中で、色々なプレイヤーの方が教鞭を取られていることに凄く意味があるなと思っています。
中村:いわゆるデザインのトップダウン的な思考のトップの部分はだいたい一緒というか、共有し合っているような価値観があるのですが、そこに至るミクロの目線が全然違うというか、そこが凄く面白くて。
原田:「統合デザイン」という名前だけを聞くと、凄く現代的なデザインの考え方を想起するし、上から見て色々な要素を統合していく統合者のようなイメージのデザイナー像を思い浮かべるのですが、いまの話だと、統合される前のデザインがいかに解像度高くディテールを見ていられるかということの方がむしろ大事なのかなと。
山田:その上で統合するということが大事なんですよね。
原田:そこを取り違えてしまうと、凄くつまらないものしか生まれなくなる気もしますよね。
中村:統合デザイン学科という名前がつく前に深澤さんが出した学科名案に、「デザイン具体学科」というのがありました。ストレートな初期思想はそういうところに現れているんですけど、仰るように本質的にはトップダウンというよりは、色んなボトムがあって、自分では見えない種が見つかるような、そういうことで刺激をし合っていると良いんじゃないかなと思います。
「新しさ」の価値が目減りしている?
原田:勇吾さんがクリエイターとして、「面白い」とか「新しい」と感じるものがあると思うんですね。昔は新しい表現自体に価値があると思われていたと思うのですが、時代的に「新しければ良いわけではない」という風潮が強まってきているような気がしています。新しさというものが社会的にどのくらい求められているのか。新しいものの価値が相対的に下がってきているのではないか、ということを感じたりするのですが、その辺について思うことはありますか?
中村:やっぱり人間の根本的な価値観として、「新しい」というのはずっと上の方にあるとは思っています。でも、僕ら目線からしても、そういう新しさの価値がたしかに目減りしているなとは同じように感じるのですが、単純にITテクノロジーみたいなものに新しさを感じなくなったということなのかなと。「これ、例の新しいやつでしょう?」 みたいな感じで、分野自体の目新しさみたいなものが飽きられつつあるというのは凄く思いますけどね。
原田:特にデジタルの領域はそれが強いのかもしれないですね。 Web黎明期というか、勇吾さんが活動されていた時はそれ自体が結構なアドバンテージになっていましたが、そこが一度まっさらになり、その上で何が新しいのか? ということが問われているのかもしれないですね。
中村:そうですね。やっぱり見ている人は見ていて、Webのキャンペーンサイトが流行っている時期にユニクロでもそういうことをしていたのですが、その時に柳井正さんがポロッと「これは、Webという仕組みで新しいことをしていること自体を楽しんでいるのであって、それ自体に価値があるのかというのは、もう少し先の判断になるよね」と言ったんですね。「その通りでございます」と(笑)。いままさにそうなってきているんだと思います。
原田:とはいえ、勇吾さんはやっぱり新しいものを追求するというスタンスは変わらないのですか?
中村:自分がたまたま好きだった分野、コンピューター的なものがずっと新しさを更新し続けていた幸せな時代に生きてきたので、それがさらに新しくなる分にはもちろんうれしいから、追っていくという感じですかね。
山田:表現の新しさがある一方で、体験としての新しさもあるのかなと思うんですね。体験の新しさというのは、実は表現が古くてもできたりすることもあるじゃないですか。その辺りはどのようにお考えですか?
中村:それは結構色んなパターンがあると思うのですが、例えば技術や表現手法的に新しいということではなく、昔結構もてはやされたけど、いまは誰も振り向かない何かが意外と急に良く見えたり、「こんな使い方があったんだ」ということがありますよね。それこそ横井軍平さんの「枯れた技術の水平思考」ではないですが、「こんなの落ちてたよ」という感じで、昔捨ててしまったものの可能性を再発見するというパターンがありますよね。普通にやっていくとどんどん足し算的になっていって、新しい良さを加えて加えて、良さのてんこ盛りでお腹いっぱいになる時に、スコーンと何か抜いたら意外と良いなみたいなことって色々ありますよね。
IT系、デジタル系は新しいネタがどんどん移り変わって、まだ食べ尽くしていない美味しかったあれがいつの間にか古くなっているみたいなことがあって。ちょっと待って、人工知能とか言っているけど、このKinectというのを実はもうちょっと触りたいんだけどな、みたいな。Kinectはさすがにないですが、そういうことはありますよね。
原田:とはいえ、デジタルやプログラムの領域は、最新の技術をある程度キャッチアップすることも必要ですよね。そこはそこで継続してやりながらという感じなのですか?
中村:そうですね。でも、さすがにAIの深層学習みたいなものはもうわからないですね。なんでChatGPTがこんなに人間みたいに振る舞うのかということも、色々読んでこういう感じかというのはわかるけど、もう自分で追体験できる域を超えているから、もうちょっと僕が利用できるフェーズまで落ちてきたら使わせていただきます、という感じではあります。
原田:それこそ生成AIが出てくると、本来デザイナーが楽しかったはずの行為が、便利だからという理由で代替されてしまうような状況も出てくるのかなと思うのですが、デザイナーにとって生成AIの登場はどういうものだと思いますか?
中村:AppleのUIキットとかを組み合わせて体験をつくるだけみたいなことは、容易に置換されて本当にそうなるだろうなと思うし、データベース的なイラストで目や口を変えていくような、かつて東浩紀とかが言っていたデータベース的なクリエーションみたいなものは、すぐにAIに代替されると思います。なんだったら、AIに(データを)食わせるためにみんな準備していたんじゃないか、そういう計画があったんじゃないかと(笑)。そういうことは僕はもともとつまらないと思っていたから、そんなに変わらないんじゃないかなと思いますし、自動的にできてラッキーみたいな感じです。やっぱり考えて、自分なりに練って新しいものをつくるということを手放さない人は手放さないんじゃないかなと思いますけどね。
囲碁とAIみたいな関係で、僕は囲碁のことを知らなさすぎて、何を手放して何を握っているのかということはわかりませんが、何か上手くやっているじゃないですか(笑)。AIによって面白さの質は多分変わっているのだと思いますが、新しい折り合いをつけてやっているっぽいじゃないですか。そういう新しい折り合いの付け方があるのかなと思うんですよね。
山田:中村さんのお仕事はやはり影響力が強いので、正直に言うと模倣というか、考え方とかも世界中で真似されているわけじゃないですか。そういう模倣とクリエーションの中にある問題意識や面白さみたいな話を、AIとはまた別の角度からお聞きしてみたいなと。
中村:僕は最初、ジョン・マエダになりたいと思っていたんですよね。ジョン・マエダがやっていたことをWebでこうすれば実現できますと。模倣の善悪とかそういうことには全然意識がなく、ジョン・マエダがCD-ROMで出していたような、文字がマウスに反応するような動きをいい感じにやるとこうなるということをやっていました。その後、本人に怒られたんですけどね(笑)。後でマエダさんに、もちろんフォロワーであることを前置きした上で、もっとこういう感じで広げたら良いと思うんですみたいな話をしたら、「それは良いね」という感じで何となく許してくれたのですが(笑)。だから僕も、明らかにこれはやられたなというものがあると、ちょっとうれしいと言うか。前田さんに俺が抱いていたこの感じを、世界のどこかのコイツは知ってか知らずか思っているかもしれないと。最初の「どや?」みたいな話ですよね。
デザインを始めた最初の段階から、色んなものを見てそれを超える何かをつくれるわけはないということを学生にもよく言っていて、とりあえず真似で良いんじゃないと。好きなものがあったら、それを1回120%くらい真似たら、その先に何かあるかもしれないと。
山田:おそらく自分の根源的な欲求にちゃんと向き合っていくというところからみんなデザインを始めたはずなんですよね。その原点にちゃんと目を向け続けられる魅力というか良さを改めて感じることができた収録だったかなと思います。
中村:良いまとめですね(笑)。
デザインがコモディティ化した先に
原田:今回の特別企画では、ひとつだけ共通の質問をしています。スペシャルゲストの皆さんには主に「デザインの手前」の話をお聞きしているのですが、最後はデザインの「この先」の話も聞きたいと思っていて、端的にこれからのデザインやデザイナーに求められることは何だと思いますか?
中村:難しいですけど、一応僕は「デザインあ」という子どもにデザインの良さを伝える番組の全体的なディレクションみたいなことをしていて、そこを通じて思うのは、もっともっとデザインがコモディティ化したらどうなるんだろうということです。全然デザイナーではないんだけど、ものをつくるとか設計するみたいな意識が高まっていくと、世の中が良くなるんじゃないかと。
例えば、観光地に行ったら、良くわからない風景が並んでいるような、役場で決められたようなものがよくあるじゃないですか(笑)。僕らの中では、あまり余計なことをしない方がいいという感覚がありますが、それが普通に広まったらいいんじゃないかなと。実際にそうなりつつあると思うのですが、もっと進んだらいいのにと思いますけどね。
原田:「デザインあ」の活動にはそういう思いもあるんですね。
中村:そうですね。デザイナーを育成する番組というよりは、将来色々な仕事に就く人たちに、色々なバランスを取って良い感じにすることがデザインで、そういうことが得意な人が世の中にはいるから、何かをする時に頼んだ方が良いよとか、自分で考えた方が良いよという意識を、子どもの時に持ってもらえるといいのかなと。
原田:ちなみに、統合デザイン学科に来ているような、プロのデザイナーを目指している学生には、心構えなどの面で伝えていることはありますか?
中村:色々ありますが、ものづくりや表現することを目指している人は、自己表現欲求が凄く強い人たちですよね。美大とかを見ていると、そういうこととどう折り合いをつけるのかということで悩むわけですが、デザインが面白いのは制約があることだと思います。自分の面白さの見つけどころで自己表現を全開にするというよりも、自分が設定した制約とか人からもらった制約の中でやるとより面白いものがあると。そういうことが性が合う人はデザインが合っているんじゃないかなと思いますね。
山田:そこはアートとの本質的なちがいだったりしますよね。番組を1年間続けてきたのですが、今日はこれまでにない視点でお話をしていただけて、また新鮮な目でデザインというものを捉えていただける回になったんじゃないかなと思います。
中村:こういう話をする度に、だんだん仕事が減っていくんですよね(笑)。
山田:でも最近、このポッドキャストを聴いた方から仕事の依頼が来たという人もいらっしゃいました。
原田:こういう仕事をしたいと話したら、本当に依頼が来たんですよね。
中村:僕はこう見えて何でもやるヤツなんです。何でも良い感じにするのが、僕の長所なんです(笑)。
原田:最後に、中村さんの方で今後のお知らせや告知がありましたらお願いします。
中村:ちょうどいま、『デザインあ展』というものをやっています。10数年前から1回目、2回を経て、3回目となる展覧会が、ちょうどこの収録をしている3、4日前くらいからオープンしていて、結構良い感じなんですよ。展覧会というのは、蓋を開けてみないとわからないじゃないですか。企画の時に「こうなったら面白いよね」ということをみんなで話していても、設営されてみなければ実際のところはわからない。今回は、仲間内というかみんなで「結構面白いんじゃない?」と言い合っているような状態で、ぜひ見てほしいなと思います。
山田:会場はTOKYO NODEですね。
中村:はい。虎ノ門ヒルズの上にあるところです。
原田:結構周りでも話題になっていますし、僕も近いうちに伺いたいなと思っています。9月23日までなので、結構会期は長いですね。
山田:会期が長い展示はウカウカしていると終わってしまうんですよね。
中村:夏は万博に行っても暑いので、室内でやっている『デザインあ』展に行くのが凄く良いんじゃないかなと(笑)。
原田:次回からは、コクヨのインハウスデザイン組織「YOHAK DESIGN STUDIO」のシリーズとして、組織のさまざまなメンバーにお話を聞いていく予定です。
それでは勇吾さん、ここまでありがとうございました。
山田:ありがとうございました。
中村:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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