「売れる」デザインは、「良い」デザインなのか? | 山田 遊さん〈2/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人がさまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードをテキスト化してお届けしています。バイヤーの山田遊さんをお迎えする2回目のエピソードでは、バイヤー、審査員、客員教授などさまざまな立場でデザインに関わる山田さんに、「デザインの評価」をテーマにお話を伺いました。
駆け出し時代の100本ノック
原田:前回はモノやデザインを受け手や社会にどう届けているのかというテーマでお話を伺いました。今日は直球ど真ん中のテーマで、「良いデザインとは何か?」ということを、さまざまなデザインにさまざまな立場で触れてきた山田遊さんに聞いてみたいなと思います。
山田:良いデザインって何ですか?
山田遊:難しい(笑)。のっけから(笑)。
山田:前回に散々「わからないこと」について話をした後に、「良いデザインとは何か?」という大命題を。
原田:教えてください(笑)。
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山田遊:凄い無茶振りですが(笑)、最初に話したように僕はもともと何もわからないところから、無知を恥じて凄く勉強していくようになったのですが、いまでも癖になっていることがあって。展示でもモノでもデザインでも何でもいいのですが、何かを見た時に自分に正直に「いいな」と思うことと、「あまり良くないな」と思うことがあって、これはどんな人でも感じることだと思うんですよね。そう思うことをずっと大事にしてきています。僕がバイヤーを始めた時代は、まだインターネットもそこまで普及していなかったですし、まずはリアルな現場に行ってみるところがあって。でも、わからないから判断軸は「これは良いな」とか「わからないな」とか「あまり好きじゃないな」とかそういうジャッジしかできないのですが、それを100本ノックみたいにやっていたんですよ。帰りに電車とかで「なんであれ良いと思ったんだろうな」とか、「震えるほど感動したのは何でだろう?」ということをわからないなりに解き明かそうとして。それが日課だったんですよ。それは仕事をしているお店でもあって、新しい商品が届いた時になんでそれを良いと思うのか、逆になんで自分には全然引っかからないんだろうとか、ずっと考えて見続けて、自分の中の引き出しにそれらが分類されていくんです。これは僕にとって良い/良くないみたいなものを。それをやり始めた頃は引き出しの中身がゼロに近かったと思うのですが、それを真剣に意識して引き出しを埋め始めていったら、ある日おそらくそれが飽和したんでしょうね。自分の中で引き出しが埋まったんですよね、分類が済んで。そうしたら線がズバッと引けた感覚が自分の中にあったんですよ。ここからは自分が良いと思うとか、ここからは許せる/許せないとか、良い/悪いとかね。自分がたくさんのモノを見てきて、真剣に良い悪いを無理やりジャッジして、その体験が自分の中で大きかったんですよね。僕にとっての良いデザインというのは、たくさんのモノを見てきて、その中で引かれた基準がいまでも変わり続けていると思うし、無限な引き出しにどんどん埋まっていくんです。もちろんそれは時代や時間によって変わっていくこともあって、基準の軸が変わる場合もあるし、凄く言語化しづらいのですが、僕の中で良いものというのが確実にあって。ただそれは凄く身体的なもので、だからこそその良さを解き明かそうとして、なんとか自分が考えつく限りのロジックで説明しようとはするのですが、絶対に全部説明しきれないというところがやっぱり面白くて。
山田遊:いまでもわからないものがたくさんあるんですけど、でもデザインは全部わかったらつまらないじゃないですか。モノの良し悪しみたいなものが全部ロジックで割り切れて、あまりにも余白がないデザインというのは、最近結構増えている気がするんですけど、僕にとっては全部が読み解けることは何の面白さも新しい発見も感動も学びもないんです。デザインというのは凄く面倒くさいことに、「美しい」みたいな余白がいつも埋められないものとか割り切れないものとしてありがちな対象だと思うんですよ。そのわからなさみたいなことに僕は惹かれ続けているし、もしかしたら多くの方々もわからないからこそモノを手に取り続けたりするんだろうなとも思うので。僕は、優れたものほど理解が及ばない部分が多いと感じていて、だからこそもっと深く知りたいなと思うんです。
もうひとつ、「売れる」という話がバイヤーにはあって。売れる/売れない、良い/悪いという軸がそれぞれあって、「売れなくて悪い」ものとかはどうでもいいのですが(笑い)、お店やデザインに携わっている者である以上、「やっぱり良くて売れるものを選びたいじゃん」と思うんですよね。そういうモノを探したいと思うのですが、悲しいかないつでも本当に少ないんですよね。「良くて売れない」みたいなものは、でも好きだからなんとか売れるようにしたいといつも願っているのですが、僕にとって凄く面倒なのは、「全然良くないと思うけど売れるもの」というのが存在していることで、これはもう僕の仕事上大きな問題で(笑)。
原田:最も扱いにくそうな領域ですね(笑)。
山田遊:でも、それが凄い売れたりすると少し好きになってくる自分が怖かったりもして。やっぱり売れると嬉しいじゃないですか。やっぱりお店って売れなかったらつまらないし、売れると楽しいので。それもどこかに明確な基準があって、その線を超えたら良い/良くないという線が引かれているわけではなくて、それは社会と一緒でいつまでもグラデーションの中にあって、その基準もたゆたっているものだと思うんですけど、自分がなんでこれが良いとか良くないと思ったんだろうということが全部自分の中で説明がついて、言語化できて人に話すことができたり、自分の中で決着がついたものというのは正直良いと思ってない、というのが傾向としてあるんですよね。謎が残ったりする方が人間は惹かれたりもするし、いつまでもわかり得ない、わからないからこそ追い求めたりすると思っていて。言葉というもので全部説明がついたら、「それは大したデザインじゃないよね」と思わざるを得ない。僕なんぞが思いも至らない気づきとか感動とか楽しさとか新しさ、発見みたいなものを与えてくれるから僕はデザインが好きなわけで、それがないものはやっぱり自分にとっては良いデザインだとは思えないんですよね。ただ、社会にとってそれが有用であるということも当然理解はする。多様性としてね。だけど、それがたくさん売れたとしても、やっぱりそこには進歩や未来はないなと思ってしまうので、そういうものには身体がゾクゾクしないんですよね(笑)。あまりにもたくさんのモノを見すぎていて。
評価できないものにこそ惹かれる
山田:審査をする場合とバイヤーの場合でその評価は変わらないのですか?
山田遊: あまり変わらないんですよね。審査の時は、例えばデザイナーさんや研究者さんなど専門領域の方たちと一緒に、商売がわかるバイヤー崩れとして1名混ぜられていることが多いんですね(笑)。その視点を求められているから審査員をお願いされていて、大学に呼ばれる時とかも同じなので、あまりそこは変わらないんですよね。
本当にグッドを超えてエクセレントなものだけを最後に大賞として選ぶというのは結構楽なんですよね、個人的には。100個あって1個だけ一番良いものを選べと言われれば、もちろんそこには売れるという視点だったり、あと環境負荷というのはもしかしたら流通みたいな話じゃないですか。あとは当然美的であること、美しいことみたいなものも含めて、一番上のトップというのは、それも引き出しを埋める作業と一緒なので結構やりやすいんです。でも、例えばグッドデザインアワードとかもそうですけど、たくさんのエントリー数の中から絞られているとはいえ、一定数受賞するものというものはどこかで先ほど言った良い悪いの線を引かないといけないんですよね。限られた短時間でこの線を引くというのは、僕はそれをやってきたから比較的慣れているところはありますが、やっぱりその線というのは見ている人によって動くし難しいんですよね。でも、デザインというものが社会に必要なものであるとか、よりデザインを大事にしていこうということがアワードの目的だとすると、無理矢理でも線を引かないといけないじゃないですか(笑)。それはいつも難しいなと思いながら審査していますね。
原田:少し話が戻ってしまうのですが、遊さんが100本ノック的に色々なモノを自分の中でジャッジしていったという話がありましたが、何もわからない一番最初は本当に直感に頼るしかない段階だと思うんですよね。それをやっていくと徐々に自分の中で色んな評価軸がそれこそ言語化されてくるわけですよね。
山田遊:その通りです。
原田:機能とか色とか形とかどんどん評価軸がある意味増えていくと思うのですが、増えていった評価軸でも判断できないものが逆に良いデザインだというところに行き着いているところが面白いなと思いました。
山田遊:わからないんだけど、メチャ心惹かれるみたいなものですよね。
原田:わからないというのは、自分の経験の中にある評価軸では測れないものということですよね。そこに惹かれるという。
山田遊:それが僕にとっては、「良い」を超えた「素晴らしい」デザインなのかもしれないですね。さらに言うと、時間が経って後から見ると見え方が変わる場合もあるし、理解が進んだり、むしろガッカリすることもあるかもしれないですが、「過去は変わらない」という捉え方をされることが多いけど、やっぱりそれも見方ひとつの話なんですよね。振り返ってモノの良し悪しみたいなものはやっぱり揺らいでいると思うんですよ。ただ時代に合ってなかったみたいなケースもあるわけじゃないですか。でも、アートとかでも生きている間に評価されず、死後何十年何百年していまでは大御所だったり、超有名作家の作品みたいなものもあって。その人が生きている間の時間軸だけでは評価が定まらないことはたくさんあると思うんですよね。だからこそ、少しでも自分にとっての良いデザインが、売れていくように移ろっていってほしいなと思うんですよね。それは僕が死んだ後かもしれないけど、それでも良いじゃないですか。
山田:2000年代前半に良いとされていたもので、いま見ると「?」だと思うものももちろんありますよね。
山田遊:あれだけ好きだったのに、みたいなね(笑)。あの時あれだけ好きだったのにみたいなこともありますよね。それは年齢もありますよね、いま見るとちょっと恥ずかしいみたいな。
原田:良いデザインが変わるというのは、自分自身も変わるし、時代も変わるし、両方ありますよね。あの時は良いと思っていたけど、いまは全然思えないとか、その逆もあるだろうし。
山田遊:たくさんのモノやコトも含めてですけど、やっぱり生まれ続けてそれが上書きされ続けているわけじゃないですか。
山田:ある意味でそうじゃないと社会は健全ではないとも考えられますよね。
山田遊:それが健全に起こっていて、そこで変わっていく自分も含めて楽しんだ方が。もちろん、若い頃からいままでずっと変わらずに好きであり続けるものもあったりすると思いますが、それもまた面白いなと思っていて。原体験のまま固執されていくのは、逆に安全じゃないですか。そこでは新しい発見はしにくくなっていって、保守的になってしまうこともあると思うんですよね。変わっていくことに対するおそれなども生まれてくると思うので、すべてが移ろっていくことを楽しみながら、年を取ってきたということもあると思うのですが、その方がまだ老後楽しいよなと思いたんですよね(笑)。
デザインは機能だけではない
原田:世の中のデザインに対して「良い」と思う感覚を、遊さんがどう見ているのかということも気になっています。例えば、世の中の人たちがモノをデザインとして見てるかどうかはちょっとわかりませんが、モノを良い/悪いで判断して買っているわけじゃないですか。そういう意味では、世の中で良いと思う人が多いモノが売れるデザインになっているとも言えますよね。
山田遊:たしかにそうですね。
原田:それもひとつの世間における評価軸だと思うのですが、世の中で良いとされているもの、要は売れているものの評価軸はどう見えていますか?
山田遊:モノを手に取っているお客様は、先ほどの原初的な話ですけど、直感的に「好き」とか「ほしい」と判断していて、僕はそれでいいと思うんですよ。逆に言うと、それがお客様の特権だと思っているのですが、僕はバイヤーとして、ただ感覚に頼ってモノを差し出したり届けたりはしないので、自分なりの思いがあるとすると、なんか好きだな、良いな、欲しいなという感情は凄く大事である一方、因数分解の要素としては少なすぎて、余白死ぬほどあるなと。大体余白じゃんそれ、みたいな(笑)。感情的に動くことだけではない、残りの部分がどんどん解き明かされていくけど、全部は解き明かされないんですけど。
原田:それが先ほど話されていた遊さんがデザインを学んでいくプロセスだったわけですよね。
山田遊:そうですね。それを知ったら僕は楽しかったから、みんなもデザインをもっと楽しく見るようになってくれないかなと。それでもやっぱり売れているものが好きだというのは個人の志向や趣味だから、それは全然良いと思うんですよ。だけど、その余白が多すぎる段階で「売れる」という状況になっていませんかね? ということが、僕がバイヤーとして、デザインというものに触れていて言いたいことですかね。
原田:願わくば、消費者側にももう少しデザインの評価の軸が増えてくれると良いと。
山田遊:理解が進んだり、軸が増えたりね。でも、その方が楽しいよと言いたいだけなんですよ。せっかくモノを買うんだから、余白99%よりもっと楽しめるし、そっちの方が愛せるじゃないですか。 だって、「好き」という感情だけで人と付き合ったり、結婚したりしないでしょ? と。やっぱりどんどん理解しようと努めるものだと思うんですよ。「なんで好きなのかな?」と。それは人もモノも同じだと思うので。
山田:たしかに全部わかったと思って結婚するから、離婚するのかもしれないですよね。
山田遊:そうですよね(笑)。 だから、いつまで経ってもわかり得ないんですよ。何事も100%理解できるとか、もしくはそれに近い感情を持てるものはやっぱりつまらないなと僕は思ってしまう。例えば、アート作品などにしても、 うちのギャラリーで展示をした時などに、「これ何に使えるの?」とお客さんに聞かれるんですよ。凄く純粋無垢に聞いてくれたりするのはうれしいのですが、その反面「なんでも使えなくてもいいじゃない」と(笑)。だって、家の中にある道具だって、365日24時間使っているモノなんてないじゃないですか。お箸は食事の時しか使わないでしょ? 寝る時には使わないじゃんと(笑)。大体のモノ、機能があるモノはほとんど使っていないんですよ。そういう前提があるんだから、使ってないんだから使わなくたっていいじゃん、といったことをギャラリーで切々とおしゃべりすることもあります。
山田:僕もこないだ買ったメソッドのギャラリーで箱型のオブジェがあるのですが、それ見て「「何を入れるの?」と聞く人がいるんです。「いや、何も入れないけど」と言うと、それを不思議がるというか。そもそも不思議がる人じゃないとそんなこと聞かないと思うのですが。何かモノを入れる箱にするなら別のものを買うよと。そうじゃなくて、やっぱり目を喜ばせるために買っているわけだから。
山田遊:僕は店頭とかでそういうことをずっと説明し続けてきたなと思っていて。だからこそなのですが、理解が進んだ方がそのモノとより楽しい時間を過ごせると思うんです。ほとんど使わないんだから、せめて一緒の時間を楽しく過ごせることができるモノといた方が、本当に一顧だにしないモノ、それがいくら役に立つものでもほとんど使わないのだから、そういうモノを置いておくとやっぱり豊かじゃないなというか、なんか寒々しいなと思ってしまうんですよ。
原田:デザインは機能と紐づいてるものだから、それが「良いデザインなのか」という話と、「良いモノなのか」という話は微妙に違いますよね。モノとして見たら別に使わなくても、それこそ見て良ければそれでいいじゃんという話になるけど、「良いデザイン」と言った時に、「使わないのにデザインなの?」と思う人もいると思うんですよね。モノとデザインのちがいによって、捉え方や評価の仕方が変わるなといま聞いていて思いました。
山田:それはあと4回ぐらい回を取って議論しないと答えが出なそうですね(笑)。
山田遊:僕が思うのは、デザインが機能面に特化したものなのかということです。よく社会に効くデザインということも言われますが、それは思い上がりだなと思っていて。
原田:デザイン=機能するものという形でどんどん規定されていっていますよね、時代的には。でも、実はそこからこぼれ落ちるものもデザインとして捉えるような鷹揚さが必要だと凄く思うんですよね。
山田遊:即機能、即物みたいな風潮や傾向は理解はできるけれど、それは成熟された社会ではないなとやっぱり思うんですよね。役に立てばいいのかと。
山田:だから「目が喜ぶ」ということだって機能ですよね。
山田遊:美しいなって思うことの方が、9割使わないと仮定したら、むしろそっち方が役に立ってるじゃんと僕は思ったりするんです。デザインが社会に対して効くとか、課題に対して解決するということももちろんありますよ。でも、そこだけを負わせるというのは、やっぱり僕が好きなデザインではないんですよね。
原田:経済合理性を求めていくと、どんどんそっちに向かっていくじゃないですか。それによって、文化としてのデザインというものがどんどん減退していくという状況がありますよね。
山田遊:デザインとアートがフィールドとして近くなってきていて、例えばデザインは課題解決で、アートは問いだという言説もよく見聞きしますけど、なんならいまはデザインも問いを求められている時代のような気がしていて。だからこそ、美的な要素みたいなこととかわからなさみたいなことが大事で、わからないからと除外したり、軽々しく役に立たないものとして見るということ自体が、僕は貧しさだと思ってしまっていて。時代として、いま日本というのは満ち足りていると思うんですよね、物質面では。逆に言うと、それが足りなかった時代というのも親やその前の世代にはあったから、それを即物的に求めるというのはわかるけど、やっぱりこの時代の流れの中で、そこが変わらないといけないんじゃないかなと。でも、意識というのは、意外と変わっていくのに時間がかかるから。
「選ばれるデザイン」には何が必要か?
原田:リスナーにはデザインをしている人も多いですが、その立場からするとやっぱり評価されたいじゃないですか。デザイナーを生業にしていくためには、ちゃんと選ばれるデザインでなくてはいけないわけですよね。つくり手にとって「選ばれるデザイン」というのは何だろうと。それを目的にするべきではないと思うのですが、結果的に選ばれないといけないわけですよね。そういったつくり手目線で考えた時に、「良いデザイン」とか「選ばれるデザイン」に近づいていくためにはどういうことをしたらいいのかというのは、ピュアな問いとしてあるのかなと。
山田遊:理解してもらえるという話で言うと、そのデザインを言語的に相手、それはクライアントなのかお客様なのかわからないですけど、ちゃんと説明できるかという話じゃないですか。それをデザイナーがどこまで負っていくのか。僕はデザイナーはより良いデザインをつくるべきだと思うのですが、その説明をしないと選ばれるデザインにならないからこそ、ロジック部分に重きが置かれて、余白が少ないデザインがどんどん生まれるみたいな循環になっていると思うんですね。
原田:端的に自分が良いと思うデザインをやっていればいいという話なのか、それとももう少し何かが必要なのか。
山田遊:僕は、余白と説明できる部分を明確に意識した方がいいだろうなと思っています。すべてを説明しようとしても説明できないものはあり得るし、そこにミステリアスな魅力があるからこそ選ばれたりすることもあれば、逆にわからないと言われて敬遠されることもあって、そこには何かちがいがあるはずなんですよね。その余白に対して敬遠されるか、選ばれるか。こればっかりはいっぱい失敗してそこに近づいていくべきだと思うし、やっぱり全部説明できるというデザイナーの慢心は捨てるべきだし、余白に対して意識的になることも大事なんじゃないのかなと。良いバランスであるからこそ選ばれたり、良いなと思ってもらえたりするんじゃないかなと。
原田:シンプルにそれ難しそうだなと思いました(笑)。
山田:デザイナー側がある意味「ここはわからなくて良いだろう」と考えているところを、「いやいや、そこはわかった方がいい」というツッコミをしたり、逆に「ここはわからせた方が良い」というところに対して、「いや、ここはわからなくていや、かも」といったアドバイスをするというのが。
山田遊:それがデザインをしない、例えばジャーナリストもそうかもしれないし、大学の先生もそうかもしれないですが、ある程度デザインを理解している他者の話は大切だと思います。いまの話というのは、デザイナーだけですべてを賄おうという感じじゃないですか。でも、アワードなどもそうだと思いますが、デザインにまつわるさまざまなステークホルダーたちによって気づきが生まれたり、余白のわからないこととわかる部分が明確になったりみたいなことが、やっぱり人間としてコミュニケーションのやり取りがあるので、やっぱり大事なことは「人に聞く」じゃないですかね(笑)。
原田:それは大事ですね。
山田:良いたとえかわからないですが、お笑いで言うとやっぱり良い「ツッコミ」が大事というか、遊さんがデザイナーに良いツッコミを入れているところは何度か横で見ていて。
山田遊:僕がデザインができないのになぜデザイナーと一緒にいるのかというと、多分僕の役割として翻訳をしてクライアントに伝えて、選ばれたり理解してもらうように努めるということにあると思うんですね。その努力はいつもしていて、橋渡し役というか、それはモノと人の橋渡しでもあるし、デザイナーとクライアントの橋渡しでもあり、専門家と非専門家の橋渡しでもある。僕はデザインができない非専門家だけど、一方でバイヤーとしてデザインを理解しようと努めてきた専門家でもあるので。バイヤーであればモノと人で、デザインだったら専門家と非専門家の橋渡しとして自分にできることがあれば、それは役に立っているということだから嬉しいなと思います。
原田:今日は山田遊さんに、「良いデザインとか何か?」、デザインの評価についてお聞きしてきました。「どうすれば選ばれるのか?」という話の中でも出てきたように、それはデザイナーだけで考えることではないという点では、遊さんはコミュニケーションの仲介役にもなっているのかなというところで、3回目は実際に遊さんがデザイナーとどういうコミュニケーションを取り、どんな関わり方をしているのかという話を聞いてみたいなと思っています。
山田:今日は、これまでで一番リスナーの方々が聞いてみたい話が聞けたかもしれないですね。
原田:意外とこの話は、デザイナーには聞けない話ですからね。
山田:そうなんですよね。
原田:良いお話をお聞きできたかなと思います。では、来週もよろしくお願いします。
山田遊:よろしくお願いいたします。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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