スケールや時間を自在に行き来するものづくり | 永山祐子さん〈3/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターとともにデザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。建築家・永山祐子さんの3回目のエピソードでは、超高層ビルから住宅、期間限定のインスタレーション、プロダクトまで多様なスケール、時間軸を行き来する永山さんのものづくりに迫ります。
超高層ビルからジュエリーまで
原田:前回は、建築のプロジェクトを進めていく上でのコミュニケーションの話や、障壁との向き合い方などをお聞きしましたが、今日は色々なスケールや時間、あるいは次元を行き来するものづくりというテーマでお聞きしたいと思っています。
前回の最後にも少しお話しさせて頂きましたが、都市における大型の建築物から個人の住宅、期間限定のパビリオンやインスタレーション、さらにプロダクトでもジュエリーや照明などもデザインされていて、色んなスケールや時間軸のものづくりをされていますよね。
山田:永山さんは実はインスタレーションもかなりの数をされていて、かつ超高層までなので本当にサイズ感がメチャクチャというか(笑)。非常に幅広いのですが、この辺の行き来というのはご自身の中ではあまり意識は変わらないのですか?
永山:そうですね。やっぱり条件が違うので、例えば期間限定のインスタレーションであれば、恒久的な建築では使えなくても、耐久性が多少落ちても面白い素材を使おうとか、少し違う発想はできるのですが、基本的にはそこに人が介在して成り立つものだという考え方は変わらないですかね
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山田:例えば、TOKYO TORCHの話で面白いと思うのが、低層階を永山さんが担当されていて、一番上を藤本壮介さんが設計されているんですよね、「永山さんは下なんですね」と言ったら、「だってみんなが来るのは下だから、下の方が良くない?」とおっしゃってたんですよね。だから私は絶対こっちをやりたいと思っていたと話された時に、なるほどなと思ったんですよね。
永山:TOKYO TORCHの場合は、目の前に広場があって、そこからのつながりだったり、境界までの間に少しだけ余裕があったんですよね。単なる薄皮一枚での勝負というよりは、もう少しいじれる余白があったので、最初からアクティビティをデザインしたいと思っていて。運動そのものがファサードになっているような状況をつくることによって、単なるファサードデザインを超えていけるのではないかと。大体商業施設というのは、共通空間が内側に向いていて、建物の外側は裏になっているんですよね。倉庫だったり、ブランドのビジュアルが掲げられていたり、ところどころ窓はあったりするのですが、大体ツルッとしてしまうんですよ。そうではなくて、何かそれをひっくり返すようなきっかけとなるアクティビティを巻き付けていくということを最初からイメージしていました。

永山:運動体そのものがファサードになるようなことはないのかなというところから、2キロの道をクルクルと巻き付けていこうと。例えば、ニューヨークのハイラインは2キロくらいあるのですが、都市におけるちょっと高さのある視点場って魅力的じゃないですか。それを2キロくらい巻き付けていくと高さ60mくらいまでの視点場ができるんですよね。あの場所で新しい視点場ができたらそれは凄く魅力的だし、普通はエスカレーターやエレベーターで上がるところを、自分の足で歩いていくという体験そのものが凄く面白いんじゃないかと思い、体験そのものをデザインしていくということにしたんです。
原田:ヒューマンスケールのものづくりというのが、スケールを考える時に凄く大事なのかなと思っています。超高層ビルはなかなかそこに関わる人以外自分ごとにしづらいけれど、実際にそこを歩いていけるような回廊をつくっていくような。そうしたヒューマンスケールで捉えていけるようなものづくりというのがひとつ肝になるのかなと。
山田:そのヒューマンスケールということにしても、例えば歌舞伎町タワーのモニュメント性みたいなものが目で見るという意味ではヒューマンスケールじゃないとも言えるわけですよね。遠くから見た時に風景として視認できて、空に溶けていくような、先端があるというような。あのビルの表情というのはある意味でスケールアウトを現実的にはしているんですけど、体験としてはしていなかったりもするという。その辺が永山さんの面白さでもあるのかなと。
永山:もともと「Powers of Ten」みたいな世界観が好きで、ミクロの世界から宇宙スケールまで、欲を言うと全部やりたいみたいなところがあるんです(笑)。例えば、私たちが質感みたいな話をしている時は多分ミクロ単位で表面のザラザラさを感じていたり、建築の要素の中には手で触ってやっとわかるような微細な世界と、かなり遠くから見た時の風景としての細やかさみたいなものがあって、それらは並べてみると等価に扱えるのではないかということはずっと思いながらやってきました。だから、超高層をつくる時も、本当に小さなお店のグラフィックをつくるのと同じような感覚で細かく細かくつくっているというのはあります。
また、プロダクトのデザインもやっていて、こないだジュエリーをつくったのですが、建築よりは自由度が高いんですね。耳につけるといった制約はあるものの、構造的な与件としては建築より少し自由度が高いみたいなところで言うと、かっこ良いフォルムとか、こんな感じがいいみたいな描く線が凄く自由だなと思っていて。「なんか良い」みたいな造形美はなかなか建築では語らなくて、ちゃんとプランニングしながら、「だからこの形です」という理由が結構ついてまわるのですが、理由なく良い形というものを探っていった時に、それが建築にフィードバックされることもあるし、その逆もある。それぞれ求められる条件や役割は違うのですが、それぞれの条件の中で考えたり、手触り感みたいなものが異なるスケールでも活きてくるという意味で、うちでは「プロダクト担当」「インテリア担当」といった分け方はしないんですよ。建築も含め一人のスタッフが全部やるという。これはちょっと非効率的ではあるのですが、やっぱり新鮮味を持って新しい視点で各分野をきちんと扱えるという意味では、インテリアデザインでも都市計画的な視点を持つとか、新しいレンジやスケール感の視点というのが凄く大事なんですよね。それをやっぱり一人ひとりのスタッフの中に養ってほしいし、私自身そういう思いでやっているので、そういう共通言語を持ってほしいという意味で全部やってもらっています。

原田:デザインの領域によって基準となるスケールは全然違いますよね。以前に「デザインの手前」では、DESIGNTIDE TOKYOというイベントで公開収録をしたのですが、その中でAATISMOという3人組のデザインチームに出ていただきました。チームの中には建築家やプロダクト、インダストリアルデザインをされている方たちがいて、チーム内のコミュニケーションについての話で、インダストリアルデザイン的なディテールの突き詰め方をその方はしたいけど、建築をバックグラウンドに持つ方からそこはあまり重視されないという話があって、そのくらいの関係性がむしろ良いという話でした。異なるスケール感でものを考えるメンバーが集まっていることがチームとしてはよく働くこともあると思いますが、ひとりのデザイナーや建築家ということを考えると、どれだけそこに振れ幅を持てるのかということがやっぱり凄く大事な気がします。
例えば、グラフィックデザインというのは手元のものをつくっていくような仕事ですが、いまデザインに求められるものがどんどん大きくなっていて、扱う課題が気がつけば凄く大きくなっていて、その途端リアリティを失ってしまうところがあるというか。そのスケール感で物事を考えたりものをつくったりしていないと、いざそれに取り組むという時に当事者性を失ってしまうようなことがあると感じていて。それも先ほどのヒューマンスケールの話につながる気がするのですが、いかに当事者性を持ってやれるのかというところと、色々なスケールで幅広くものづくりをするということはつながってくることなのかなと感じます。
対照的な建築とアートの時間軸
山田:永山さんはパートナーがアーティストなので、ご友人にもアーティストが多いということもあると思うのですが、表現の幅の広さというのも面白いと思っています。ご自身の中では建築的に収めていくというところに必ずいっていると思うのですが、実際にそれを見ている人や体験している人にとっては、ある種の現代アート的というのかキネティックなものが非常に多いんですよね。アーティストと言っても色んなタイプの方がいるので必ずしもそうではないですが、社会の問題に目を向ける人が多くて、永山さんもそういう意味では社会の状況や問題に対してもご自身で発言なさったり、目を向けられていて、建築とアートというところをある種往来されている部分もあるのかなと。
永山:自分の中では結構違う人種だなという認識なのですが、アーティスティックですねと言われるようなことは結構多いんですよね。どちらかというと私は、自分の中からテーマを絞り出すというよりは、その状況がどうなるといいのかという観点から、状況を咀嚼して変換していく作業が多いかなと思います。ただ、手法に関しては、最初のルイ・ヴィトンからして結構多岐にわたっているのですが、そもそも私がそういうことに興味があるというのはあるのですが、デビュー当時はそういう作品ばかりだったので、「永山さんは建築をつくらない」と凄く言われたんですよね。でも、「じゃあ建築って何なの?」と(笑)。私としては、建築としてやっている意識があって、建築というのは空間を1から10まで全部つくるだけではなくて、この場合はファサードだけど体験そのものは同じようにつくり出しているから建築と言えるんだと理解しながらやっていたところがありました。「体験の束」が建築であるという認識の中で、自分はこのプロジェクトでどのパートを担っているんだろうと。その関わり方が全部という場合もあれば、部分という場合もあるけど、建築という全体像の中で何かしらをつくっているという意識がすべてのプロジェクトの根っこにありますね。

原田:アートの話に関連して、時間軸の話にもつなげたいと思います。いまのお話にあったように、アートと建築というのは割と対照的な要素があると思うんですね。アートは割と直感的に思考し、訴えかけてくような側面がある気がする一方で、建築はしっかり計画をしてつくっていくという側面が強い。受け手とのコミュニケーションにおけるスピード感など色々対照的なところがあると思っていて、それで言うと建築というのはやはり長い時間軸が必要なわけですよね。ただ、アートも建築も時代を表していくようなものをつくっていかなくてはいけないところがあると思うのですが、その中で建築というのはつくり始めの段階で未来を想像していく作業が入ってくるのかなと思っていて、わからない未来を想像しながら、そこに向けてつくっていくということを永山さんはどのように捉えているのかをお聞きしてみたいです。
永山:まず、アートとの関係という話で言うと、夫である藤元(明)は「ソノ アイダ」という活動をしているんですね。それこそ使われなくなった場所に、そこで制作をするアーティストを招聘し、最終的にそこで生活をして売っていくということも含めてやっているのですが、こういう凄いスピードの早いアクションが都市の中で起こっているというのは、いまお話しされたように開発などにおいて何年、何十年という中でものをつくっていく建築とは対照的で、凄く刹那的なんですね。そこに人間らしいハプニングが起こっていくし、そこからのフィードバックは凄く面白いなと。「開発とアート」みたいな話を私は藤元と話すことも多いのですが、開発の中に凄く単発的なアクションが起こっていくということは、先ほどのヒューマンスケールの視点に近い感覚なのですが、時間軸の短いアクションと言うんですかね。そういうものが起こって検証されていかないと、リアリティのある都市計画にならないんじゃないかと思うし、そこにプレイヤーとしてアーティストが入る意味は凄くあると思うんですよね。そこからフィードバックされるものも凄いあると思っていて、そこが上手く協業していくとアートの社会的意味合いというのも深まっていくと思っています。
建築というのは時間軸が凄く長いのですが、とはいえ日常の小さなアクションの積み重ねが何十年になっていくので、いきなり遠くに投げるというよりは、現在の延長線上で「こうあったら良いんじゃないか」ということを模索しながらやっていくしかないし、そこでもし違えばチューニングしながら使い手が変えていくということもあると思います。そういう意味で、チューニングできるような余白や場所を残しておくことも大事かなと思いますし、私たちが思う理想的な未来像をちゃんと形にして次に繋いでいくということも大事なのかなと。

原田:建築の時間軸の遅さといったある種の弱点を補うために、アートというものがあり、そこに呼応としていくというか、建築には固定的なイメージがありますが、そこに余白を持たせつつ、変わっていける建築をつくるというイメージですかね。
山田:先ほどのチャールズ&レイ・イームズの「Powers of Ten」の話にも繋がりますが、ミクロとマクロの往来というものが時間においても同じことが言えるということですね。
永山:そう思います。
山田:この番組は「デザインの手前」というタイトルですが、「手前」と「その先」みたいなところをどう見ていくのかというところが、永山さんの活動の中で凄く重要なポイントを担っているのかなと。
社会への関心がアウトプットを拡げる
山田:前回のお話からも感じていたのですが、永山さんの社会にコミットする能力の高さはどこで培われたのでしょうか?
永山:どうなんですかね(笑)。結局、私自身がそこに興味があるかということってありますよね。「 相思相愛」というのはそういうものなのかなと思うんですけど。やっぱり私もある程度社会に興味があったりとか、私たちは仕事の種類は多岐にわたるし、クライアントも色々な分野の方とお仕事をするのですが、初めての世界に触れ合うことに凄く興味があるし、そこを入口に「この世界はどうしてそうなってるんだろう?」ということを知れることそのものが私にとっての喜びだったりもするんですね。その中で、「ここってもう少しこうなっていた方がいいんじゃないかな?」ということを、いままで知らなかった新しい視点で見るからこそ、ずっとそこにいる人では気づかないようなことにもしかしたら気づけているのかもしれないなと。そういうファーストインプレッションみたいなものを凄く大事にしているのですが、そもそも私自身がそこに興味があるということが凄く大事なのかなと。
山田:昔の建築というのは凄くクローズドというか、建築のことだけを考えているような原理主義者ではないですが、そういう人もいたわけじゃないですか。ただ、やっぱり建築というのは本質的に社会とコミットするものなので、まさにその役割を担わないといけないものですよね。この十数年くらいで建築のあり方もだいぶ変わってきたんじゃないかなと思うのですが、永山さんにとってはそういう意味で仕事というのはしやすくなりましたか?
永山:そうですね。建築家に求められていることが、ただ建築をつくることだけではなくて、もうちょっと手前のストーリーから一緒につくってもらえませんかとか、コンセプトメイキングのところから一緒にお話ししてつくれませんかと言われることが凄く増えたんですよ。それは凄くうれしくて、結局形のバリエーションではもうなくなっていて、やっぱり建付けから新しければ新しい建築になるし、最初の出発点から一緒に並走していけるというのは、私たちにとって魅力的な建築をつくるための条件になっていて、やっぱりそこから関わりたいなと思うようになったし、まさにそこを求められているようなことも増えてきたと思います。

山田:そうすると自ずと考え方にも広がりが生まれてくるし、色々な知識も増えておいくところがあって、それがまた建築にフィードバックされたり、凄く良い循環が行われているのかなと。
永山:そうですね。本当に最初はカウンセリングみたいな感じで(笑)、「どこが問題なんでしょう?」 みたいなところから聞いていったりという感じですね。
原田:「デザインの手前」で収録をしていると、色々なデザインのジャンルの方にお話を聞くのですが、比較的活動が領域を越境している方が多くて、皆さんやっぱり「好奇心」という言葉が出てくるんですよね。好奇心や社会に対しての興味・関心が強いから、結果としてアウトプットの方法が次元を行き来したり、スケールが変わっていくといった状況があって、特定のデザインの領域に興味があるというよりも、もうちょっと先に興味があるから、アウトプットにも振れ幅が出てくるんだろうなと凄く感じますね。
永山:そうですね。領域をまたぐ時にデザインというのは凄くやりやすいツールなのかなと思っています。色々なものが縦割りで分けられているのですが、デザインや建築というのはそこに横串を通していかないとどうしてもできないことがあったりするし、そこをズカズカと(笑)入っていけるのも私たちの特権というか、役割なのかなと思っています。
「思い」を媒介にして動く建築
山田:永山さんご自身の活動が未来のために何かアクションをしているとすると、それはどういうところなのかなということを最後にお聞きできたらと思います。
永山:万博の話で言えば、前回も少しお話ししたように、前の万博で使われた資材をもう一回リユースするという話はやられていそうでやられていなかったことなんですよね。万博の意義というのは、新しいことを実装実験する場だとも言われていますが、それぞれが「こういうことをやってみると新しい社会のあり方につながるんじゃないか」といったことを自由に実験できる場じゃないかと思うんですね。現行法規だと構造材から構造材へのリユースというのはなかなかハードルが高いのですが、今回の万博に限っては、仮設建築であることとか色々な理由でそれができることになったんですね。そういう実装されたものがひとつでもあると、実社会の中でもっとそういうことをやった方がいいよねというアクションにもつながるかもしれないし、万博でやったことが次のレガシーを生んでいくということで言えば、私は今回リユースということだったり、まったく新しい構造のあり方みたいなところで、パナソニック館ではマテリアルにおいてもいままで建築では使われてこなかったようなものを色々試してみようと思っています。そういう万博でしかできないことを色々試したいというのがありますね。

山田:永山さんが意識されていたかはちょっとわかりませんが、1970年の大阪万博の時に丹下健三がお祭り広場をつくっていますが、あれもボールジョイントでしたよね。
永山:そうです、そうです。
山田:本当はあれを再活用というのか、要は当時は磯崎新さんや黒川紀章さんが新陳代謝ということを言っていて。ただ実際にはなかなかというか、1パーツだけが万博公園にいまも残っているわけですが。でもそれが50年経って、ドバイであったものがボールジョイントの特性を活かしてもう一回再活用できるという50年前に夢見ていたものが、いまになって実現したと思うとちょっと素敵な話だなと僕は勝手に解釈していました。
永山:うれしいです。実はそこはちょっと意識していました。
山田:やっぱりそうなんですね
永山:ボールジョイントというのは、まさに1970年万博で凄く使われていたシステムで、いわばすでに成熟したものなんですよね。すでに完成されたシステムを使って新しい運動にしていくという。建築は動かないものですが、今回ドバイから大阪には動いたわけですよ。「動くじゃん、建築」と。「動く」というのはそれそのものが動くのではなくて、システムの上でとか、あるいはサステナビリティへの人々の関心や興味だったり、そういう有機的なものを介在して物理的なものが動くわけなんですよね。、昔考えられていたように、物理的にものとして動かすことにターゲットが絞られてしまうとなかなか動かないのですが、有機的なもの、人を介在したり、さらに言うと「思い」みたいなものを介在にすると動いていく。建築家の役割として、自分たちが有機的な媒介物としてそこに入ることによって、物理的なものが動くんじゃないかということを、いま色々実験的に、もちろん万博のパビリオンもそうですし、ミッドタウンから始まったハンモックはいまも動き続けているんです。

山田:まだこの後も動いていくのですか?
永山:一部はさくら広場という門真にあるパナソニックさんの広場に置かれていますし、日比谷公園に移動し、そこで使われたものが今度は淡路島に移転し、まだまだその先に移転する予定があるんです。それは多分ものが動いたのではなく、私たちが介在するとともに、次に使いたい人の思いがあって動いていくところがあるんですよね。有機的なものが介在することでやっと物理的なことが動くということなのかなと。
山田:同時に社会の成熟もあって、そういうことが実現し得る社会になっているんだろうなと思います。
原田:「建築が動いていく」というのは凄く明快なメッセージだし、良い話ですね。
山田:そうですね。「建築が動く」と言うと、ガンダムが動くみたいなことを思い描くけど(笑)、そういうことではないと。
永山:本当に動いちゃうみたいなね。 「ウォーキングシティ」のような概念もそれはそれで凄く素敵なんですが、もうちょっと違うものを媒介にしながら結果的には建築が動いていけるという。
山田:なるほど。それはこれからの大きなテーマのひとつになりそうですね。
原田:3回目の今日は、色々なスケールや次元、時間を行き来する永山さんのものづくりについてお聞きしてきました。最終回となる次回は、日本を代表する建築家であると同時に2児の母であり、かつ旦那さんがアーティストであるという永山さんに、仕事と生活あるいは家族との関係というところを聞いてみたいと思っています。今日もありがとうございました。
永山:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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