新しい価値観を社会に伝える建築家の仕事とは? | 山田紗子さん〈4/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。建築家・山田紗子さんをお迎えするシリーズ最終回は、「社会に新しい価値観を提示すること」をテーマに、建築における新しさや現代の建築家にできることなどを伺いました。
建築における新しさとは何か
原田:今週は、建築家・山田紗子さんをお迎えする最終回になります。前回は山田さんの設計の手前にあるイメージや思考をドローイングでどう表現され、それが実際にいかに建築になっていくのかという話をお伺いしてきました。最終回の今回は、建築設計を通じて社会にどういう価値を提示していけるのか、あるいは建築家として社会とどうコミュニケーションしていけるのかという話を聞いていきたいと思っています。
いま僕らは山田さんのご自宅にお伺いしていますが、ここも一般的な住宅としてはあまり見たことがない建築ですよね。あまり似たものがないというか、そういったお仕事が山田さんには多いと思っています。山田さんご自身も「新しい価値観を創造する」というモットーを掲げているというのをどこかのインタビューで拝見しましたが、建築で新しいというのはそもそもどういうことなのかという話がありますよね。建築でもデザインの世界でも、先人が築き上げてきたデザインや建築の言語や文法のようなものがありますよね。それをいかに更新していくのかという、その領域における新しさはもちろんあって、それも大事だと思うのですが、そこを突き詰めすぎると自家中毒的になりやすいという状況もある。
これは普遍的にどの領域にもある話かなと思っています。その中で山田さんは建築の新しさをどう捉えているのか、それが誰に向けた新しさなのかという話が今日の主題というところですかね。
山田(紗):大きな話(笑)。
山田(泰):そもそも建築というものが凄く歴史のあるものであると同時に、いわゆる建築家という専門的な職能が生まれてからまだ百年ちょっとですよね。
山田(紗):日本だとそうですね。
↓こちらからポッドキャスト本編をお聴きいただけます
▼Apple Podcast
https://apple.co/4qhJ7QU
▼Spotify
↓続きもテキストで読む
山田(泰):そうなんですよね。もちろん、ヨーロッパの歴史を見ていくと、ルネサンスの時代とか、色々な教会だとか色んなところに建築家はいるのですが、一般の人たちにとって身近な建築家というとまた別ですよね。
特に日本はそうですが、個人の住宅がここまで建ち上がる国というのも世界的に珍しいんですよね。日本は一級建築士、二級建築士も含めると、世界的にもかなり建築家が多いんですよね。
山田(紗):そうみたいですね。
山田(泰):法的な根拠を持って建築家と言っている国というのも、実は全部が全部そういうわけではなかったりするし、日本はそういう意味では独特の世界を持った国なのかなと思うんですね。例えば、石上純也さんはポエティックで抽象的な建築をつくられている印象があると思います。彼の建築はなかなか実現しなかったり、10年、15年かかったりするのですが、その間に技術的な更新がなされていたり、ビジュアルのイメージが美しいのでそちらについ目が取られるのですが、ご自身の考えを実現する技術も含めて更新をされていたりする。
例えば、前回も話に出てきた妹島(和世)さんが切り開いてきた考え方というものもあるし、もう少し前だと安藤忠雄さんみたいな、これまでの建築の業界にはなかった考え方、コンクリートの打ち放しを仕上げ材をつけずに建築とするというようなことで建築の価値を更新された方もいらっしゃる。
建築というのは実は非常によく更新されていくと見ることができて、藤本壮介さんもそういう意味では建築の価値を更新されているかなとは思います。山田さんもやはりその文脈の中にある。では、何が更新なのかというところが、今日の大きな議題なのかなと。

山田(紗):やっぱり社会の価値観自体がどんどん変わっていくじゃないですか。それが人間という生き物にとって自然なことなのかすらも、もはやよくわからないというか。家族の単位が数十年でゴロゴロ変わったり、結婚というものがなくなってしまうかもしれないとか、そういうことも含めてやっぱり着実に変わっていると。民主主義になったり、次があったりなかったりみたいな、そうやって社会が変わっていく中で、建築がずっとそのままでいると凄く息苦しい存在になってしまうというところがあって。
建築というのは影響が凄く大きいと思うんですよね、場をつくる物理的なデザインなので。部屋をどれぐらいの大きさにするかとか、どれぐらい開口を空けるかとか、何と繋げるかという一個一個の判断が、そこにいる人たちの関係性とかコミュニケーションのしやすさとか、どこまで区切ってどこまでオープンにするかという、人間関係の話だけでも凄く制約を与えてしまう。いま一番理想とされている、もしくは数十年後にこうなっていくべきだみたいなところまで見てイメージせずに、10年前、20年前ぐらいの価値観でつくっていると、全然フィットしないという感じは結構あるんですよね。だから、建築をどういうものにすべきかということは、割と社会とそのままダイレクトにつながっている感覚があります。
一方で、ヨーロッパなどでは1000年前からあるような建物もあって、それが普通に使われていて、現代にフィットしていないかというとそんなこともなく、現地で上手く使われていることもある。建物自体をどんどん取っ替え引っ替えしていかなきゃいけないというわけではないのですが、その時代その時代の嗜好や慣習で使われ方が変わっていって、石造りの文化などだとそれを上手くフィットさせているということなのかもしれません。そういう部分は使っている側のリテラシーの問題でもある。一方でもの自体は大きく変えられず、ずっとそこに存在する。
建築家が建築を更新していくこともあるし、使い手が建物が建ってから50年、100年、数百年単位で使い方やそのもの自体への認識を更新しているということも同時に起こっているとは思うんですよね。
やっぱり私たちは現代において、ここに何かものを集めて形にしていく職業なので、いま何をすべきかということを、自分の生活の中で関係していく社会にしか基本的にはアクセスできないのですが、そこで培っている価値観を素直に投影していくと、どうしても凄く現代社会に影響されたものができるという感じはありますね。
新しい価値の源泉はどこにあるのか
原田:つくり手として新しい価値を見つけていく時に、どこに目を向けるのかが気になります。それは人間がつくる社会かもしれないし、山田さんの場合はそれこそアボリジニの風習とか、ゴリラとか、ある種原初から変わらないようなものにも目を向けていって、そこから新しい価値をつくっていたりもするわけじゃないですか。新しい価値の源泉を見つける時に、どこに目を向けているのかというのが、山田さんは面白いのではないかという気がしています(笑)。
山田(紗):多分色々あって、例えばいまコンペで図書館を設計しているのですが、図書館というのは昔からあるもので、そこには歴史があります。それをどう現代的に更新していくのか。図書館の歴史の中での考え方の更新みたいなものがあるとすると、まず歴史を見てみることになるんですよね。その時代はこうだったから図書館というのはこういうもので、20年前くらいはこうで、でもいまはまたそれはちょっと違うんじゃないか、みたいな。そういう目線による建物のプログラムの中での価値観の更新というのもありますし、それとはまた全然別で、自分が生きてきて東京で暮らしている中で、普段生活している中で見聞きしている問題とか、いまこういうことが課題になっているみたいなことに対して、もっとこうあるべきなんじゃないかという考えから出てくる価値観みたいなこともある。
それともまた全然別の世界というか、地球の裏側でいまでもずっと続いている全く別の場所があって、そこではこういう風景があって。でも、それが現代の価値観に照らし合わせると意外と使えるんじゃないかみたいなこともある。そういう変化球的に使っていく価値観なのかモデルなのか、そういうものがアボリジニとか全然違うバックグラウンドで成り立っていたシステムみたいなものをポンと移植してくるということもある。 多分その3つぐらいの中でちょうど合致するところに私たちが何かを見つけるということが多いですね。
原田:いまアボリジニと僕らは言っていますけど、それが具体的にどういう着想だったのかというお話もお話しいただけますか?
山田(紗):ブルース・チャトウィンという人が『ソングライン』という本を書いていて、たまたまそれをうちの設計スタッフが読んでいて、それを貸してもらって読んだんですね。凄く伝統的な生活をしている、遊牧のスタイルを取っているアボリジニの方々が、地図を持たずに歌で場所と場所の関係性を把握しているということが書かれていました。岩山があって、そこの影に草が生えていて、それを羊とか家畜と一緒に移動していくので、彼らが砂漠の中で草を食べられる場所というのがいくつか決まっていて、そういうところを中継地点として移動していくんです。
基本的には自然の地形とか川とか、そういうもののランドマーク的なものを歌い上げていくのですが、地図ではなくて歌を通じて関係性や言葉などで全体を把握していくのは凄く面白いなと思ったんです。住宅という絶対的に平面図で描かなくてはいけない世界を、そういう目線で見るとどうなるんだろうか、みたいなことを考えました。

原田:何かあるプロジェクトが進んでいるから、それに関連したセンサーが自分の中にすでに備わっていて、そことアボリジニのような全然違うものがつながるみたいなことが多いのですか?
山田(紗):そうですね。やっぱり完全にゼロから急にそういうものを持ってくるということではないですね。なんとなくワンルーム的な間仕切りとか機能というものがあまり強くないような場所をひとつの住宅としてつくっていく時に、でもそれはずっとバラバラなままというよりもコネクトしていかなくてはいけなくて。その一体性というものをどこで担保するのかという時に、歌で全体をつなげている文化があるんだと。それを聞いてそれですべてが解決するわけではないけれど、そういう視点で家を考えてみることで設計のひとつの起爆剤になるみたいな感覚ですね。
山田(泰):これまでのお話を聞いていても、関係性をどう捉えるかということが山田さんの大きなテーマなのかなと感じる部分があります。 まさにアボリジニの歌というのが、関係性をソングラインというラインで表現しているという、やはり関係性のラインの引き方なのかなと思います。
そう考えると、建築とアボリジニの行動がつながると突然言われてもよくわからないことが腑に落ちるというか。いくつかの要素があってそこにつながっていくという意味では、人間の集合知の中のひとつに、時間を超えて過去に遡りながら学んでいったりすることもできるし、全然違う地球の反対側で、ある場所においては2,000年前、3,000年前の集落の環境がいまも適しているのではないかという捉え方だと思うんですよね。建築というより、人が場所を求める本能という意味では凄く面白いし、そこに新旧を超えた価値の源泉があるのかなと。
建築における議論と実践
原田:住宅設計におけるモノの関係性とアボリジニのソングラインも、ある種本質を抜き出すとつながるということだと思うのですが、新しいものをつくる時に、なるべく遠くのもの同士を結びつけた方が新しいものが生まれるという話がありますよね。いわゆる建築的な作法や文法というものと、アボリジニのソングラインという全く違うものを結びつけるのか、それともアボリジニというものが出てくることで、建築の文法すらも一度離れてしまうのか、その辺はどういう関係性なのでしょうか?
山田(紗):どうなんでしょうね。建築というのは、例えば日本だと木造軸組工法という確固たる工法があるんですよね。 基本的にはそれを選択する以外方法がないみたいなことになると、そこに相当な文脈がもうすでにあるとも言えます。日本文化がずっと培ってきた家の造りというものを下敷きにはすることにどうしてもなるのですが、そのシステムをどう切り取るか、どう統合するかみたいなことがまだ白紙状態の時に、そこに全然違うソングラインみたいなものを被せていくような感覚はありますね。
原田:建築的な何かをちょっと違う角度から見てみたり、切り出して使ってみるみたいな感覚なんですか?
山田(紗):そうかもしれないですね。 逆に建築界で行われている議論の文脈というのは、私自身はもともと建築学科ではなかったこともあって、あまりそれをフォローしてそこからやるということをやってこなかったところがあります。それが活動の中心になっている方ももちろん結構たくさんいて、それこそ建物を建てなくても言語で建築文化を更新していくような人もいらっしゃいます。ただ、私はあまりそういうことしたことがないというか、モノを具体的につくっていく中で、色々言語化できない判断だったり、お施主さんが言ったことだったり、雑多なものがたくさん混ざっていく中で、出来上がってからむしろ考えるようなことが結構多くて。ソングラインというものがどこまで自分たちの設計に影響しているかとかすらもよくわからないような状態だったりするんです。
原田:それは建築にしてもデザインにしてもあるなと思っています。デザイン界隈でもものをつくるのとは違うところで、いまのデザインあり方を議論している人たちがいます。建築は学問的な側面が強いですが、デザインもデザイン学、デザインスタディーズ的な界隈があり、そこと良い関係性ができると良いのですが、全然別のことを話したりやったりしている状況もある。
そこが上手くつながっていくと、領域自体が更新されていくのだと思いますが、議論だけ先立ちすぎてもなかなかついていかないみたいなところもあるんだろうなと。

山田(泰):建築の場合、恐ろしいのが議論がどんなに進んでも、それをフィジカルに表現すると、どうやってもその議論に追いつかないというか。
山田(紗):たしかに。
山田(泰):議論だけが上滑りしてしまうというところがどうしてもある。ここまでの4回分の話にも通底すると思うのですが、人間という動物はそこだけでは計り知れない何かがある。ただ、同時に人間は思考する動物でもあるので、思考を重ねていくことの重要性もあるし、一方で思考だけでは解き明かせない何かがあるという、その矛盾というか二律背反とどう向き合っていくのか。
特に建築界は議論を重ねるタイプの方もいれば、実践でつくっていかれる方もいて、そこがある種の面白さでもある。新しい価値の更新というよりは、それぞれの世代や状況に応じて、その時その時に先を少し見ながらものをつくっていくことが、凄く重要だなと思います。
山田(紗):そういう意味では、それが価値観でもあるのですが、あまりつくり込みすぎても良くないというところもあるんですよね。どんどん価値観は変わっていくし、使い方も変わって、公民館だったものが図書館になったり、それが集合住宅になったりする。やはり建築は物理的に存在しているので壊すのは簡単ではなく、重宝もされるのですが、不必要になってしまった小学校がなくなることもある。だから、転用しづらいものをつくっておくというのは、そもそもあまり合理的でもなくて。
使い方が開かれていたり、そういうことだけで建築というのはもう十分なのではないかという気もするんですよね。その価値観自体が現代的なのかもしれないですが(笑)、そういう部分は最近特にあるのではないかという気がしますね。
現代の建築家はどう振る舞うのか
原田:建築家が社会とコミュニケーションしていく時に、かつてほど新築や公共性の高い建築を手がけられる機会がどんどん減ってきているじゃないですか。それこそ新築よりリノベーションだったり、仮設性の高いものをつくるというか、つくらざるを得ないというか。
もう少し新しいものをつくることができれば、建築はそれだけ社会的に意義の高い存在なので、そこでストレートにメッセージを出したり、価値を提示することはしやすいと思うのですが、シンプルにその機会自体が縮小しているところがある。そういう状況の中で、建築家として社会に何か価値を提供していく時に、いままでと同じやり方だとプレゼンスがちょっと下がってしまうのかなという気もしています。
山田(紗):リノベーションと新築の違いが最近あまりなくなってきているんですよね。新築をつくる時も、与条件とか周辺環境というのがほぼリノベーションの時の躯体のようなものになってきていると捉えるのが、昨今の価値観なのかなと思います。だから、まったくユニバーサルに、北海道でも東京でもニューヨークでも同じ形態で提案するということは、多分いまの建築家だとほとんどないんじゃないかなと。
いまは地域とか何かに根ざすということが当たり前のようにやられることだと思うんですね。私たちもそこに根ざすというか、そこに軸足を置きながら、どこまでジャンプしていけるかということをやっているので、まったくゼロから建てるということは全然ないんですよね。多分いまの30~40代の建築家で、本当に何もないところに建てろと言われて建てられる人はいないんじゃないかというくらいですね。
山田(泰):最初に話したヤギが、RCの壁があると拠りどころだと思ってもたれかかるというように、全くコンテクストがない状態でデザインをしていくことは凄く難しいですよね。
磯崎新さんが建築を評価する時に、歴史の文脈の中に自分の作品がどうあるのかが説明できないと彼はそこに興味を持たなかったという話があるのですが、それも凄くよくわかるなと。やっぱり何かしらの立脚点があるべきだということだと思うんです。そういう意味では拠りどころというか、多分建築に限らずものをつくる上で、特に現代のように人がたくさんいて、コミュニケーションが必要になる状況からいくと、やっぱりトリガーがないと難しいよなと。逆にトリガーのないものが人の何かに訴えかけるものになり得るのかというと、またちょっと難しいのかなと。

原田:それを受け手である私たちはどういうふうに受け止めていくといいんでしょうね。昔ほどわかりやすくはなくなっているじゃないですか。こういう文脈、こういう社会像が良い、みたいなことを提示しやすい時代ではない中で、建築家それぞれが現在の文脈の中でどうリアクションするのか、応答していくのというところはあると思うのですが、それを私たちはどうやって受け止めるのが良いのだろうかと。
山田(紗):なるほど。その地域にこういう人がいて、こういう活動があって、もともとこの敷地は歴史的にはこうだったというような文脈がある程度共有されていないと、わかりにくいものが増えているかもしれないですね。そういうものが雑誌などでボンと出てくるみたいなことはたしかにあるかもしれないですね。
原田:言ってしまえば「多様化」みたいなことなのかもしれませんが、その多様性の中で、これが新しいとか、これが新しい価値になる、みたいなことが、ある種見えづらくなっている時代ではあるのかもしれないですよね。
では、そこで建築家はどう振る舞うのかみたいな話はなかなか難しいんだろうなと(笑)。
山田(紗):たしかに。いまは応答的な態度というのが主流になっているから、難しいですよね。多分何かには応答してように見えるのですが、それが何なのかはわからないし、ひとつのデザインだけではなくて、色んなことをやっていたりする。リノベーションというのはやっぱりそうだと思うのですが、こういうルールで一気につくってこうみたいな、そういうわかりやすさはたしかにあまりないかもしれないですね。
いま建築家が立たされている状況だと、色んな現実的な課題を要求されることが多くて、ワークショップで4団体それぞれに意見を聞いてそれを反映してくださいとか、SDGsにきちんと応えてくださいとか、全部建築でやらなきゃいけないみたいなことになっていくと、色んなことに応えなくてはいけないので、結果わかりにくくなっていく。それをメディアに載せてもわかりづらいみたいな(笑)、結構大変なことになっているなと。
原田:つくったものだけで価値を伝えることが難しい状況ですよね。どちらかというと、「どんな活動をしている建築家なんだろう」みたいなところに人々は新しい価値を感じやすいのかなという気はしています。
山田(紗):なるほど。
原田:建築家像みたいなものにしても、これまでになかったタイプの建築家が少しずつ増えてきていると思うのですが、その人の活動とか振る舞いの方が、社会に対して価値を提示するという意味では、つくったものをボンと見せられるよりは汲み取りやすい気はします。
山田(紗):そうかもしれないですね。
原田:ここまで全4回にわたって建築家・山田紗子さんに色々お話を伺ってきました。今回が最終回になるので、山田さんの今後の展望や具体的な告知・お知らせがあればお願いします。
山田(泰):今日が2025年、ゲストをお招きする最後の配信になるので、2026年の展望などを伺えればと思います。
山田(紗):2026年4月から個展が始まるので、いまその準備の真っ最中です。個展の準備をする中で、改めて自分たちが何を目指して活動しているのかということを、書籍をつくったりしながら問い直すきっかけになっているので、それをぜひ見に来ていただきたいです。
東京・乃木坂にあるTOTOギャラリー・間で、4月16日から7月12日まで開催予定なので、ぜひ来ていただいたり、書籍を買っていただけたりするとうれしいです。
原田:2025年ゲストをお迎えするのは今日が最後になります。今年も1年間「デザインの手前」を聞いてくださり、ありがとうございました。2026年に向けても色々考えていますので、引き続きご期待いただければと思います。
山田さん、今日はありがとうございました。
山田(紗):ありがとうございました。
山田(泰):ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
「デザインの手前」は、Apple Podcast、Spotifyをはじめ各種プラットフォームで配信中。ぜひ番組の登録をお願いします。
Apple Podcast
https://apple.co/3U5Eexi
Spotify
https://spoti.fi/3TB3lpW
各種SNSでも情報を発信しています。こちらもぜひフォローをお願いします。
Instagram
https://www.instagram.com/design_no_temae/
X
https://twitter.com/design_no_temae
note
https://note.com/design_no_temae


