【前編】CEKAIを立ち上げ、世界で活躍する映像デザイナー | CEKAI・井口皓太さん〈1〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今週から、クリエイティブアソシエーション・CEKAIのメンバーが週替りで登場。初回ゲストは、CEKAIの共同設立者で映像デザイナーの井口皓太さんです。
クリエイターの緩やかなネットワーク
原田:今日からまた新しいゲストをお迎えするシリーズがスタートします。今回は、たまにやっている「個人」ではなく「組織」「チーム」にフォーカスするシリーズです。これまでも、TakramやYOHAK DESIGN STUDIOなど、ユニークなデザイン組織のメンバーに週替わりでご登場いただいたことがありましたが、今回はそもそも「組織」と呼んでいいのかすら少し曖昧な、輪郭がつかみにくいチームのメンバーに出ていただくシリーズになります。
このチームが手がけている仕事は、おそらくどこかでみなさんも目にしているはずです。さまざまなジャンルのクリエイターが所属というか、関わっている「クリエイティブアソシエーション」という形態を取っているCEKAIにフォーカスします。今日はその1回目として、CEKAIの設立メンバーのひとりで、映像デザイナー/クリエイティブディレクターの井口皓太さんにお越しいただいています。井口さん、よろしくお願いします。
井口:よろしくお願い致します。井口です。
原田:井口さんにはニューヨークから参加いただいており、今日はリモート収録になります。今回のシリーズでは、井口さんを皮切りにCEKAIに関わるさまざまなメンバーに週替わりで出て頂き、色々な角度からCEKAIとはどんなチームなのか?ということを明らかにしていければと思っています。先ほど少し紹介したように、CEKAIでは「クリエイティブアソシエーション」という言葉を使っていて、いわゆる会社組織ともまた違う、輪郭がだいぶ曖昧なチームという印象があります。「あれ、この人もCEKAIなの?」という方が結構いて、「デザインの手前」のカバーアートを手がけてくださって、初回ゲストでもあるグラフィックデザイナーの大原大次郎さんも、CEKAIのメンバーになるみたいですね?

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井口:いまになって「メンバーですよね?」と聞くのも凄く恐縮なのですが(笑)、もともと、クリエイターたちのゆるいネットワークをつくっていこうというところから始まっているんですよね。そのために会社というものを使っているところがあります。クリエイターというのは集団で何かをやらなければならない場面がたくさんあるのですが、秘密結社じゃないですけど、クリエイターたちがゆるくつながりつつ、それぞれが個人として立っている、そんな形をつくりたくて始めた組織なんですね。実は、『デザインの手前』さんと一緒で、CEKAIのロゴマークも大原大次郎さんにデザインしていただいてるんです。その時も「クリエイティブのフリーメイソンみたいなロゴをつくってほしいです」とお願いして(笑)。僕たちはの間では「世直しマーク」と呼んでいます。そんな関係値でいまも大原さんとは仲良くさせてもらっています。
原田:それで言うと、建築家の元木大輔さんとかもメンバーに名を連ねていますよね。
山田:そうですよね。元木さんは、CEKAIのオフィスが入っている建物で個展をされていたりもしますよね。
井口:そうなんです。僕らもどこまでをCEKAIと言うのか、最近は難しくなってきているところもあります。もともとは、ゆるくつながるような形で始めたのですが、いまはマネジメントの機能もあるので、正式に契約してマネージャーがつくような体制を取っている人もいます。吉本の芸人さんじゃないですが、そういう形式を取っている人たちもいるのですが、僕らとしてはあまりはっきりと括って見せないようなスタイルでやってきたところがあります。

原田:「秘密結社」みたいな言い方をされると、なおさらよくわからなくなるというか(笑)。その辺をこのシリーズを通して少しでも理解できたらと思っています。
CEKAIという存在は謎に包まれている感じがある一方で、実は僕は井口さんのことはだいぶ昔から知っていて。井口さんが美大時代に立ち上げた「TYMOTE」というクリエイティブチームがあって、割と早い段階で取材をさせていただいているんですよね。改めて調べてみたら2010年のことだったので、もう15年前ですね。そこで初めてお会いをしましたが、当時は6人くらいのチームでしたよね?
井口:そうですね。もうTYMOTEの名前を出してくれるのは、原田さんくらいしか残っていないんじゃないですかね(笑)。当時も、原田さんに「一体何なの?」と言われた気がします(笑)。
原田:言った気がしますね(笑)。
井口:やることなすこと、よく分からないと言われちゃうんでしょうね(笑)。
原田:つくっているものの良さはわかるのですが、この集団が何を目指しているんだろうと(笑)。いまもネットで検索すると出てきますが、メンバー全員が馬のかぶり物をしている写真がありましたよね(笑)。
井口:そうでしたね(笑)。
山田:TYMOTEが立ち上がった当時、僕は『PEN』という雑誌の編集部にいたのですが、その頃は雑誌の功罪とでも言うか、デザイナーが少しタレント化していった時期でもあったんですよね。 名前がメディアに大きく取り上げられていたりするようになったことで、業界にそんなに詳しくない方でもデザイナーの名前を知っているような時期があって。そこへのアンチテーゼ的に、馬のかぶり物をした集団が出てきて、凄く批評的だと感じた記憶があります。別に既存の業界に喧嘩を売っているとか、そういう風には思っていないのですが、みんながあまりにタレント化しすぎていて、自分がそれを後押ししてしまっているような気持ちもなくはなかったので、登場された時に楽しかったというか。特に学生の頃から活動されていたこともあって、時代が変わっていくような雰囲気があったことを覚えています。
井口:ありがとうございます、覚えていてくださって。この頃は「パイレーツ・オブ・デザイン」と銘打って活動していて、顔を隠してやりたいみたいな気持ちがあったんですよね。若かったこともあるのですが、大学生が立ち上げたという言い方よりも、「誰だか分からない」みたいな形でつくっていこうという話をしていたんですよね。「グーチョキパー」といういま活躍しているデザインチームもTYMOTEのメンバーだったり、現代アートの世界で活動しているやんツーというアーティストもメンバーでした。割と色んなジャンルの人が集まっていて、いまのCEKAIの原型にはなっているチームだったと思います。
原田:僕の話が続いてしまいますが、以前、「Qonversations」というインタビューのサイトでも井口さんにインタビュアーになってもらって、京都の作庭家の小川勝章さんという方に一緒にインタビューに行ったり、ちょうどCEKAIをつくる直前くらいに京都の場所に泊めさせてもらったりもしましたね。
井口:懐かしいですね。あ! 思い出しました。そこで原田さんと幽霊を見ましたよね(笑)。幽霊を感じましたよね。
原田:そうですね。頭上を誰かが。あれはなかなか忘れがたい思い出ですね。
井口:そうですよね。あの時泊まっていただいた場所がCEKAIの最初のオフィスなんです。東京でTYMOTEを解散して、僕は京都に移ってCEKAIというチームを立ち上げたんですね。そこは古くて風情のある町家で、中庭もあったのですが、原田さんと1階でお酒を飲んでいたりしたときに、凄い勢いで頭上を駆け抜けていく足音がしたんですよ。明らかに飛びましたよね。庭に向かって飛んだ足音がしたんですよね。
原田:記憶が蘇ってきました。
井口:本当に怖かったですね。すいません、雑談すぎるかもしれないですね(笑)。
原田:そのくらいお付き合いがある井口さんが、いまや文字通り世界の井口皓太になっているというか。
井口:いやいや(笑)。たまたまいまいる場所が海外というだけで、別に“世界”になっているわけではないですが(笑)。
原田: いや、でも本当に東京オリンピック・パラリンピックの仕事であるとか、現在のニューヨークでの活動も含めて、昔を知っている身としては凄くうれしく思っています。
井口:うれしいですね。原田さんが来てくださった時、僕らはまだ学生で、原田さんに取材されることが凄くうれしかったのを覚えているのですが、「これをどう切り取るんだろうな」みたいな。本当に学生の時に始めたチームだったから、この人たちが一体何になるのかなというのは、結構そのまま放置されていった感じがしていて。
時代もどんどん変わっていく中で、僕らも30歳を迎える頃に、ちゃんと自分たちの仕事というか、自分たちのフィールドでやっていくべきだよねというところで解散することにしたんです。でも、当時TYMOTEの活動を見ていた学生たちが、いまのCEKAIのメンバーになっていたりするんですよね。そういう意味で言えば、あの時代が、いまのCEKAIの一番コアになっている部分なんですよね。
原田:最近はだいぶご無沙汰していたので、その後の活動も含めて色々聞いていきたいなと思っています。
グラフィックデザイナーの思考を紐解く行為
原田:まず、井口皓太さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
井口皓太さんは1984年生まれの映像デザイナー、クリエイティブディレクターです。現在はニューヨークと東京を拠点に活動し、京都芸術大学では客員教授も務められています。2008年、武蔵野美術大学在学中に「TYMOTE」を立ち上げて活動した後、2013年にクリエイティブアソシエーション「CEKAI」を設立されました。
動的なデザインを軸に、モーショングラフィックス制作や実写映像のディレクションを行い、2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックでは、大会史上初となる「動くスポーツピクトグラム」の制作を担当されました。さらに、開会式典にもビデオディレクターとして参画し、ドローン演出による3Dアニメーションを制作されました。
また、大型屋外広告として制作したNike Air Max Day2022や、ラスベガスの球体型施設「Sphere」に提供した映像作品「Adobe Summit 2025:Sphere Experience」が、世界中から注目を集めました。
これまでの主な受賞歴に、東京TDC賞、D&AD Yellow Pencil、NY ADC賞などがあります。
CEKAIシリーズの第1回では、井口さんの映像デザイナー、クリエイターとしての活動の話を中心に伺いつつ、そこからCEKAIというチームとの関係も見えてくるといいなと思っております。よろしくお願いします。
井口:よろしくお願いします。
原田:美大時代からクリエイティブな活動を続けてこられた井口さんですが、いまご紹介したように、肩書きとしては「映像デザイナー」になるんですかね?
井口:そうですね。いつからだったはわからないのですが、そう言うようにしています。自分がやっていることをデザインだと意識するようになったのは、割と最近だったりはするのですが。プロジェクトのクレジットではディレクターだったり、モーショングラフィックス制作だったり、アートディレクターとして出る場合などもあるのですが、個人としては「映像デザイナー」と名乗るようにしています。
原田:「映像ディレクター」はよく耳にしますが、意外と「映像デザイナー」は聞かないですよね。ありそうでない肩書きというか。井口さんの中で「映像デザイン」「映像デザイナー」の定義みたいなものはあるのですか?
井口:そうですね。例えば、「モーショングラフィックス」と言うと、企業のロゴをシュッと動かすようなことだったり、少しアニメ的な文脈も入ってくることがあるのですが、僕自身はグラフィックデザインを基礎として学んできたんですね。それが発展していく中で、ちょうど僕が社会に出た頃は、紙媒体からオンスクリーンメディアが一気に増えた時代だったんです。そうした時代のなかで、グラフィックデザインをどう展開していくかということを割とナチュラルに考えていた世代だったと思うんですね。その中で、「だったら動いた方がいいな」とか、「仲間のグラフィックをちょっと動かしてみよう」とか。もともとは、3秒とか5秒のループ映像をつくるみたいなことから僕のキャリアはスタートしていたりするのですが、やっぱりデザイン的に考えていることが凄く多いんですよね。
以前にPARTYの伊藤直樹さんが、僕を京都造形大学いまは京都芸術大学ですが、そこの特別授業に招いてくれた時に、「映像のデザイン」という講義名をつけてくれたんです。その時にハッとしたというか、自分のやっていることがそう思えたところがあったんですよね。
原田:もともとグラフィックをつくることがやりたかったのか、それとも最初から動かすことへの興味が強かったのか、その辺はいかがですか?
井口:なんとなく、自分はグラフィックデザイナーにならなきゃいけないみたいなことを大学時代は思っていたんですよね。インスタレーションをつくってみたり、プロジェクターで遊んでみたり、そういうことはやっていましたが、社会に出たらグラフィックデザインという領域しかないんじゃないかなと思ってたんですよね。僕は原研哉先生に教わっていたのですが、原先生から、「ロゴというのは、最近はなんでも動かすけど、本来は止まってるからこそ時間や空間を内包できるんだ」と言われて、「やっぱり止まってないとダメなのかな」とか思ったり。そんな体験を経て、映像をつくりながらも「自分はデザインをやっているんだ」という意識は持っていて、ずっと自問自答しながらやってきた感覚がありますね。
原田:もともとグラフィックデザインから始まってるからこそ、逆にグラフィックデザインにはできないデザインの要素みたいなものにも、映像をデザインする上で井口さんが向き合ってきたところがあるのかなと。
井口:そうですね。時間軸を持つというのは、具体的にすることだと僕は思っているんですよ。要は印象を強く植え付けてしまうところがあると思っていて。原さんが話されていたように、グラフィックデザインは色んなものを内包していて、感じ方に余白があるじゃないですか。でも、映像というのは時間をロックしてしまうというか、時間の中で印象をつくるという意味でかなり具体的にしているというか、そこが少し懸念点というか、怖いところなんですよね。だからこそ、慎重にやらなくてはいけないという意識があります。
それこそTYMOTE時代に、僕がつくったものを動かしたりもしていたのですが、グラフィックデザイナーの仲間たちがつくったものを動かすことが凄く楽しかったんですよね。そこには、グラフィックデザイナーがつくる上で考えていることをひも解いていくような感覚があって、彼らが平面に落とし込んだものを、もう一度解体して広げるようなイメージですね。そこで彼らが凄く喜んでくれたり、「動くとこんなふうに見えるんだ」と言ってくれる仲間のリアクションがうれしかったんですよね。いまもご一緒しているグラフィックデザイナーの大原大次郎さんと仕事をしたときも凄く勉強になったのですが、グラフィックデザイナーが平面に時間を止めたものを拡張するようなことが僕の仕事なんじゃないかと思っていたりします。
平面を空間化し、時間を立ち上げる
原田:冒頭でも少し話した、作庭師の方にインタビューした時に面白い視点だなと思ったのが、そもそもなぜ庭師の方にインタビューするのか?という理由なんですよね。庭というのは、視点が移動していくことで見え方が変わっていくというところに、井口さんは凄く興味を持っていて、まさにそれがモーショングラフィックスとグラフィックデザインの違いにもつながりますよね。視点が変わっていく、視点を移動させるような感覚が井口さんのつくるものには凄く感じられて、ずっとそれをテーマとして追いかけ続けてきた方なのかなという印象を持っています。
井口:おっしゃる通りですね。庭に興味を持ったのは、重森三玲さんという方がつくられた庭を見たことが大きくて。重森さんのつくる庭は、凄くグラフィカルなんですよね。航空写真を見た時に、これはグラフィックとして考えているなと感じたんです。それを空間に立ち上げて、そこに人を介在させることで時間をつくっていくという考え方が、まさに僕がCGでやっていることと同じやり方だと思って感動したんですよね。つまり、平面を空間的にして、さらにそこに時間をつくっていくというアプローチですね。
そういうこともあって、京都というところで日本的な時間のつくり方や、隠して出てくる美学みたいなこととか、視点の変化によっていくらでも楽しめる日本的な考え方に凄く共感しました。予備校時代から、「井口のグラフィックは定着しない」と言われてたんですよ(笑)。僕はそこにピンと来ていなくて、動いているものの一部分を切り取っている、要はシーケンスみたいなものじゃないのかなと思っているところがありました。要するに、動画の中の一コマのようなものだと。でも、グラフィックデザイナーの人たちに聞くと、そういう感覚は全然ないと言われることが多くて、そもそも自分は動画脳なんだなと。目線をちょっと動かすだけでものは凄く変わってしまうと思う側だったので。3Dで空間と時間をつくっていくっていうのは、たぶん自分の性質なんだろうなということがやっと理解できてきた感じがありますね。
原田:自分が何をデザインしているのかということがある程度明確になってきたという話だと思うのですが、明確になったことで自分のやるべきことがよりクリアになった感覚はありましたか?
井口:そうですね。もともとはチームの中で、映像が得意だからやっているという認識だったのですが、自分でグラフィックをつくることもやりつつ、そこは動かしていくことの専門でいいなと思えたというのはあったかもしれないですね。たとえば、後ほど話すかもしれませんが、ピクトグラムを動かす仕事なんかはまさにそういうスタンスというか。TYMOTEというチームを解散して、CEKAIというチームになって、自分が個人として何ができるかということを大きく考えていた時に、固まっているものを動かすプロフェッショナルになっていくというか、そこに限定して解像度を上げていったところがあった気がしますね。
原田:そういう意味では、東京オリンピック・パラリンピックのピクトグラムは、井口さんのこれまでの活動のある種の集大成的なプロジェクトだったのかなという印象を受けます。2021年なのでもう4年前になりますが、やっぱりこれが井口さんの中でターニングポイントになっているのかなという気がします。
井口:まさにそうですね。東京オリンピックの話が立ち上がって、ピクトグラムを動かさないかという話が来たタイミングで、一度京都から東京に戻っているんですね。自分が学生の頃からずっとチームでやってきて、自分がやるべきことが決まってきた中で、職人的にパフォーマンスできる感覚があったというか、本当に注力したのを凄く覚えていますね。
山田:ピクトグラム自体が、1964年の東京五輪で世界的に広まったものでもありますし、2020年の大会でも凄く力が入っていたコンテンツのひとつというか、「新しいことをやるぞ」という気概を個人的には感じました。
パリ五輪もモーショングラフィックでピクトグラムがつくられているのですが、個人的には、やっぱり東京の方が上手いなと(笑)。パリのピクトグラムはプロダクトを動かすような感じだったので、やりたいことはわかるのですが、視認性の高さというのは東京の方が優れているなと。日本人だからそう思うのかもしれませんが(笑)。
井口:ありがとうございます。パリのピクトグラムは人体を動かすものなので凄く大変なんですよね。それをスマートに動かしたのは、さすがパリの人たちだなと思いました。その前の冬季北京五輪でもピクトグラムは動かされていて、ここから新しいバトンが渡っていったことは素晴らしいなと。歴史の中に立っている感覚みたいなことには凄く興奮しましたね。
原田:実は、東京オリンピック・パラリンピックの開会式では、先ほどプロフィールでもご紹介したように、ドローンショーの演出にも関わられていましたよね。「3Dアニメーション」といった定義もされていますが、要は2000台近くのドローンを使って、夜空にさまざまな形を変化させていくという演出で、そのディレクションをされているわけですが、これも井口さんの中では、「映像デザイン」の範疇に入るものなのですか?
井口:そうですね。モニターの中だけで完結するグラフィックを動かす仕事というよりも、時間を伴っている体験をつくることが、映像デザインの定義だと僕の中では思っています。大学時代の卒業制作も、「存在する映像」みたいなテーマだったんですよね。 当時はまだ言葉を知らないままプロジェクションマッピングのようなことをしていて、これは映像なのか物質なのか? みたいな境界を探るようなことを基礎デザイン学科でやっていたんですよね。
その時も、花火に勝る映像体験は未だないんじゃないかと思っていて、いつか夜空自体がスクリーンになる時代が来るのかもしれないということもどこかで言っていたんですね。まさかこんな土壇場というか、そんなタイミングでできるとは思っていなかったのですが。エンブレムから地球へとモーフィングしていくことを描くだけで多様性が表現できると思うという話から、いつも通りモーショングラフィックス的に考えて、2000台の粒をどう動かすかということをアルゴリズムを考えながらつくっていった仕事でしたね。
「区切り」となった動くピクトグラム
山田:ちょうどいまは、コロナ禍前後に学生だった人たちが少しずつ活躍し始めている時期で、まさにこの動くクトグラムの仕事は当時の学生や若い人に影響を与えたと思います。いまの若い世代は、モーションなグラフィックというものをに対して、井口さんが当時抱えていたような葛藤をあまり感じずに、もっと自然につくれる時代になっていると思うのですが、まさに井口さんはそこを切り開いてきた先駆者的なところがあることが、いまのお話の中に凝縮されていると感じました。
井口:ありがとうございます。ピクトグラムのモーションを頼まれた時は、若くて上手い人たちがたくさんいるので巻き込もうかなとも思ったのですが、これは上の世代の割と権威的なグラフィックデザインと僕が関わってきた歴史の中でのある種のけじめだった気がしていて。その先のもっと若い世代のモーションデザイナーが関わるものじゃないかなというか、そこに巻き込まなくてもいいのかなと思えたんですよね。
もちろんいまは、もっとアニメ寄りだったり、グラフィックデザインの文脈ではないところから派生しているデジタルネイティブの新しい映像の文脈があることもよくわかっています。でも、このピクトグラムの仕事は僕の仕事だと割り切ったところがありましたね。
原田:東京オリンピック・パラリンピックは、クリエイティブにおいて色々ないざこざがあり、デザインというものへの世間からの失望ムードが漂っている中で、この動くピクトグラムは、世界に発信できた大きな成果だったのかなという気がしています。この経験が井口さんにとって大きな区切りになったところはあったんですかね、海外に行くぞと。
井口:そうですね。制作の最中からこれが終わったら東京を離れるという話はしていましたね。TYMOTEというチームを学生の時に立ち上げるにあたって、「もし将来、オリンピックみたいなものが日本に来た時に、僕らみたいな野良というか、どこにも就職していないヤツらが関われたら、凄く面白いことになると思うんだよねと言って誘ったんですよね。
原田:TYMOTEを立ち上げる時から、そういう話をしていたんですね。
井口:そうなんですよ。その頃はまだ代理店神話のようなものも強くて、ちゃんと会社に入らなきゃいけないという空気があった中で、僕らは真逆に振って独立したわけですが、「そういう時代が来るかもしれない」という話をして誘ったところがあったので。それから10年少し経って、オリンピックの舞台に関わることになった時にこれはひとつのけじめだと思ったんですよね。当時のメンバーもそれを忘れていなくて、当時のメンバーたちの一部がグーチョキパーというチームになってパラリンピックの公式ポスターを手がけていて、それを見た時にはやっぱりジーンと来ました。たぶん僕だけじゃなくて、みんながひとつの区切りだなと思っていたと思いますね。
(後編につづく)
最後までお読み頂きありがとうございました。
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