スケールやジャンルにとらわれず、社会に働きかけるデザイン | SKWAT・中村圭佑さん+岩崎正人さん×二俣公一さん〈2/2〉【デザインの手前×テレンス・コンラン展】
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人がさまざまなクリエイターとデザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今回はSKWATの中村圭佑さん、岩崎正人さん、空間・プロダクトデザイナーの二俣公一さんが登壇し、山田泰巨がモデレーターを務めたテレンス・コンラン展のトークイベントの後編をお届けします。
テレンス・コンランの歩み
山田:ここからは、テレンス・コンランがどのような仕事をしてきたのか、おさらいしていきます。コンランは、初期の頃からレストランを自ら経営していて、その後も生涯にわたって何度もレストランのプロデュースや経営を手がけてきました。イギリスはヨーロッパの中でも戦後復興が遅れてしまった国でした。その影響もあり、1951年に開催された「英国祭」でコンランの仕事が大きく花開きます。
山田:彼は初期から積極的にレストランを手がけていました。これは1987年の事例ですが、タイヤメーカーでおなじみのミシュランの工場跡を活用して、ショップとレストランを複合的に展開したプロジェクトです。そこでは、ミシュランのキャラクター「ビバンダム」を使った空間演出も行われました。
こうした動きは、日本の商業空間づくりにも大きな影響を与えています。たとえば、飲食と物販が一体となった複合施設のあり方や、古い建物を活かしたリノベーション型店舗など、いまや当たり前となった形式をかなり早い段階から実践していたのがコンランです。
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山田:彼は空間全体だけでなく、カトラリーや食器、手すりといったディテールに至るまで、総合的にデザインしながら店づくりを行っていました。
山田:これはロンドンにある「ザ・コンランショップ」の様子です。現在は別の場所に移転していますが、とにかくディスプレイが美しく、それを見に行くだけでも価値のある場所です。ここも2階にレストランが併設されていました。
山田:割と後期の仕事ですが、2008年の事例では、イーストロンドンのやや工業的で人があまり寄りつかなかったエリアに、上階がホテル、下階が「アルビオン」というカフェ、レストランになっている複合施設がつくられました。
私も何度かこの「アルビオン」に足を運びましたが、地元の野菜や調味料を並べ、イングリッシュブレックファストが食べられるような、地元に根ざした場所でした。地域の人たちが朝から集まる、そんな日常的な風景が印象的でした。
こうしたレストランやショップが街の中に広がっていて、食の空間だけでなく、多面的にまちを形づくっていくというのが、コンランのスタイルです。その手法は、特に日本に大きな影響を与えてきました。人が楽しめる場をつくることで街を活性化させていく。古い建物や少し人の離れたエリアを再び魅力的な場として再生させることで、まちを活性化させる取り組みをいち早く行っていました。
山田:いまの視点から見ると、ごく普通に思えることかもしれませんが、1983年の時点で、多くの人が未来志向だった時代に古いものに価値を見出し、それを魅力的な場に変えていくという発想を実践していたのは、とても先駆的だったと思います。
山田:「ハビタ」というショップは、コンランが初期に手がけたプロジェクトで、現在もその名前は残っています。私の印象では、1990年代に日本で非常に人気があった記憶があります。
ハビタは、家具から雑貨まで、住空間を総合的に楽しむためのショップであり、そこから「ザ・コンランショップ」へと発展していきました。コンランの思想が凝縮された原型のような存在です。
コンランの多様な活動を伝える会場構成
山田:今回の展覧会の構成は、岩崎さんを中心にSKWATが手がけられました。東京と福岡で共通するコンセプトはありつつ、それぞれどういった形で会場をつくっていかれたのか、まずはそのあたりを伺えますか?
岩崎:東京・福岡両会場に共通する前提として、僕らが最初に掲げていたのは、テレンス・コンランという人物がいかに多面的な活動をしてきたかを伝えることでした。
僕自身も最初はザ・コンランショップを通して彼の存在を知りましたが、周りの人たちは本から知った人もいれば、家具から入った人もいて、それぞれ異なる視点でテレンス・コンランを見ています。その多角的な見え方そのものを、今回の展示構成にも反映させようと考えました。
岩崎:展示をご覧いただいた方はおわかりになると思いますが、会場の各所にインタビュー動画が点在しています。各章ごとに、家具の目線、建築の目線、プロダクトの目線と、それぞれの立場からコンランを語る映像です。訪れた人が、どこからどうテレンス・コンランという存在を感じ取っていくか。それを各自で持ち帰ってもらえたらいいな、という思いで構成しました。
東京ステーションギャラリーでは、展示空間が2階と3階に分かれていて、それぞれ性格の異なる空間になっています。3階は白い壁で天井も高く、家具やテキスタイル、プロダクトなど、比較的小さなスケールの展示が並びます。ここでは、イギリスの住宅空間を連想させるような空気感を意識しました。たとえば、空間全体を構成する素材のひとつとして、レンガを基調にした住まいのスケール感を表現しています。
一方、2階に降りると空間の印象が一変します。壁も天井も黒く、照明もぐっと抑えられていて、天井高もやや低め。ここでは、建築やレストランなど、よりスケールの大きいコンランの仕事を紹介しています。
展示構成のイメージとしては、2階は都市空間のメタファーとしての単管の足場を用いて、そこをグルグル巡るような構成にしています。2階と3階ではスケール感や見せ方にメリハリをつけていることが大きな特徴になるかなと思います。
山田:東京駅構内にある東京ステーションギャラリーは、もともと明治時代のレンガ造りを活かした歴史的建造物です。その歴史を感じながら展示が見られるという意味でとても魅力的なのですが、今回は白く大きなホワイトキューブの中で展示が構成されていました。二俣さん、実際に今回の福岡会場をご覧になっていかがでしたか?
二俣:東京の会場と比べると、今回の福岡の会場はかなりオープンなスペースですよね。実は昨年、ここでアーティストのKYNEさんの展示があり、その時に僕も会場構成を担当したことがあって、空間のスケール感はある程度把握していました。
今回、改めて展示を拝見して感じたのは、東京の時よりも展示の前後関係、つまり物事の流れや因果関係が明確に感じられる構成だったということ。物語を辿るように体験できるので、とても見やすかったですね。
それと、展示の後半になるにつれて、空間の中に部屋のような区切りが強まってきて、それぞれの空間でテーマがはっきりと立ち上がっていたのが印象的でした。一つひとつのセクションを巡っていく感覚が楽しかったですね。
あとはやはり「ストア」の存在ですね。これは中村さんからもお話があったと思いますが、美術館の中にあるストアスペースが展示の世界観に侵食していて、展示を見た後に、その延長として商品があり、持ち帰られるモノがあるという状況がつくられていたことが凄くコンラン的で良かったなと。ストアが展示空間と視覚的に繋がっていて、展示の一部のように見える構成になっていたのが良かった。展示と売り場が分断されていない、空間としての連続性がしっかり意識されていて、それ自体が展示として成立しているように感じました。
山田:入ってすぐにゴールが見える構成というのも、なかなか珍しい展示の見せ方だなと思いました。東京ステーションギャラリーは、良い意味で屋根裏部屋のような雰囲気がありますよね。空間は狭く、天井も低めで、当時の建築技術を考えるとそれも当然なのですが、奥行きもそれほど取れず、古い建物の中を抜けていくような、ある意味でとてもヨーロッパ的な展示空間だと感じます。一方で、福岡の展示はかなり天井も高く、開放的な印象でした。
二俣:そうですね。今回、展示の構成に足場を使っていたのが特徴的でしたが、東京の会場が構造的に制限が多かったというのも理由のひとつなのですか?
岩崎:基本的にレンガはノータッチで、独立して立たせないといけないというのはありました。
二俣:保存のために触ったり加工したりしてはいけないということですよね。
山田:そう考えると、ハードルの高い空間だったんですね。
岩崎:足場はフレキシブルに形を変えることができるということも含めて、選定したというのはありますね。
中村:そもそもの前提として、通常の展示というのは、ギャラリーなどでは壁に作品を設置して、壁に沿って鑑賞者が歩いていくというのが一般的なスタイルですよね。
でも、現代社会のあり方を考えた時に、そうした展示の方法、たとえば、展示のために壁を立てたり、仕切りを設けたりするけれど、展示が終わったらそれらをすべて廃棄してしまうといった状況自体を打開したいというのがずっとありました。
SKWATの活動でもそうですが、僕たちは既存のものを活用したり、通常なら捨てられてしまうようなものを再利用したりすることを大切にしています。展示構成も同様で、壁に依存せず、展覧会が終わった後にも軽やかに撤去できて、無駄が出ないあり方を考えています。その意味で、今回のように少し奥まった場所に構造体を組んで、そこに展示物を設置できるという構成は大きなメリットでした。
山田:この考え方は、最初から福岡の展示でも踏襲しようという方向で進めていたんですか?
中村:はい、もちろんです。先ほども岩崎から話が出ましたが、都市計画や都市の再構築といったコンランの思想が詰まっているセクションが展示内にあります。そういった部分を来場者に感じてもらうために、あえて工事中のような仮設的な空間を足場で表現しています。街中で見かける工事現場の足場の中に入り込んでいくような、そういう感覚をこの展示空間でも体験してもらえるように単管を使っています。
山田:今回の展示は、空間をぐるりと何度も回遊できるようになっていますよね。一度展示を見終わっても、もう一度戻って見たくなるような、何度でも楽しめる空間に感じました。
東京会場をご覧になった方でも、福岡ではまったく違う印象を持つはずで、とても良い展示構成になっていると感じました。どうしても巡回展だと、前の展示構成をそのまま踏襲することが多くなりがちですが、もちろんベースは共有しながらも、空間のあり方や体験がまるで別物のように仕立てられていることがとても新鮮で、楽しく拝見しました。
テレンス・コンランとは何者か?
山田:建築や空間のデザインには、状況を読み解く力が求められます。その点で言うと、テレンス・コンランという人物は、空間のスケールを超えて、都市規模のプロジェクトからカトラリーのような小さなプロダクトまで、ミクロとマクロの視点を自由に行き来できる人物だったと感じます。
今日登壇いただいている皆さんの活動も、いわゆる建築家やデザイナーに求められる領域を超えて、より広い範囲に関わっていこうとされている印象を受けています。
特にSKWATのおふたりにとっては今回の展覧会を通して改めて感じたこと、考えたことが色々あったのではないかと思いますが、それぞれの視点で、テレンス・コンランの活動や印象に残ったことや感じられたことがあればお話しいただけますか。
岩崎:テレンス・コンランは「デザイナー」と一言で表されることもあるのですが、実際にはプロダクトデザインから建築、都市計画まで、非常に幅広い分野で活動されていた方で、そうしたジャンルにとらわれない姿勢に強く惹かれました。
僕たちSKWATも、DAIKEI MILLSという設計事務所をベースにしていますが、中村がラジオ番組をやったり、本をつくったりと、空間づくりだけでなく社会に対して多様な表現方法で働きかけることを大切にしています。何かを伝える時、ひとつのアウトプットに固執しない。多様なメディアや形式を通して社会に影響を与えていくという姿勢こそ、テレンス・コンランから学べることであり、僕たちが体現していくべきことだと感じています。
山田:そういったジャンルにとらわれない活動は、なかなか理解されづらい部分もありますよね。そもそも「SKWATって何ですか?」と聞かれた時、どう答えているんですか?
岩崎:それはいつも迷うのですが、最近は「活動名」として説明するようにしています。職業名ではなく、「何をしているか」という活動から定義される存在として考えています。
山田:SKWATは、まさにゼロから考えるというか、何もないところから一緒に始めて、空間や価値をつくっていくという意味では、本当に理想的なパートナーだと思います。中村さんはテレンス・コンランをどのように読み解かれましたか?
中村:僕も学生の頃にイギリスに滞在していたことがあって、そうした経験から、テレンス・コンランが考えていたことや、型にはまらないようなあり方には共感する部分が多いです。結局、「型にはまらない」ということは、そこに何らかのジレンマがあって、それを打破しようという意志の表れだと思うんです。彼もきっと、最初はいっぱしのデザイナーになろうとがんばっていたけれど、ある時点で「自分はそちらの道ではない」と決断したタイミングがきっとあったのではないかと。僕自身も、才能もセンスもあるとも思っていません。でも、自分にできることを考えていった結果、自分が歩んできた道を、ちょっと違う形でアウトプットし続けていくというところに行き着きました。そういう自分を肯定してあげるという部分が共通しているところかなと思っていて、勝手に親近感を覚えていますね。
山田:中村さんが「センスない」と言ってしまったら、世の中の99.9%の人がセンスがないことになってしまいます(笑)。でも、今回の展示を見ると、コンランは本当にあらゆるスケール、家具やテキスタイル、食器のような小さなものから空間や都市までとても見事にデザインされていますよね。そうした幅広い視点を持つこと自体が、デザイナーにとって実はとても重要なことだと思います。どうしても多くの人は自分の専門領域に閉じこもりがちなんですが、コンランはその壁を越えて、非常に早い段階から都市スケールで物事を捉えていた。それが結果として、都市をつくるというところまでつながっていったのかなと思うんです。
SKWATの活動もまさに、都市に対してどう関わっていくのかという問いを投げかけているように感じます。東京でも日本でも、あるいは世界的に見ても、なかなか類を見ないアプローチなので、これからの展開も本当に楽しみにしています。
二俣さんはテレンス・コンランについてどうお考えですか? そもそも彼のことは、いつ頃からご存知でした?
二俣:学生時代ですね。福岡で学生をしていたのですが、当時ザ・コンランショップがオープンしたタイミングで実際に通っていました。
プロダクトデザインなどの実物を見ようと思ったとき、正直、あの頃はザ・コンランショップに行くのが最も確実だったんです。だからかなり通いましたし、そこでしっかりと彼のことを知ったという感じですね。やはりそこで思ったのは、プロダクトを手がけながら、建築や都市計画までやっているその幅の広さですよね。単にデザイナーとしてそれをやっていたというよりは、もう少し上位概念というか、もっと包括的な視点を持っていたのではないかと。もしかしたら、自分がプロダクトだけに留まらず、もっと街や社会と接続する部分に関心があったのかもしれない。「自分はそういう役割の方が向いているかもしれない」と考えたんじゃないかな、と想像しています。
あと、いつも感じるのは、エレガントな人だなということです。SKWATの2人がその辺りをどう捉えているのか、ちょっと聞いてみたいなと思っていて。今回の展示構成を考える上で、そういうエレガンスみたいなものを意識した部分はあったのか、それともシステマティックに設計していった感じだったのか、興味があります。
中村:まず、この展覧会自体、「テレンス・コンランとは何者か?」を一面的に語るものではなくて、「彼の多面性をどう見せるか」ということが出発点にありました。
僕たちとしては、全部を理解してもらう必要はないと思っていて、会場の中にある色んなセクションのうち、たとえひとつでも心に残ったらそれで十分だと考えていました。展示を見た後に「この椅子、良かったな」とか、「この映像、なんか印象に残ったな」みたいな、ちょっとした感覚でも持ち帰ってもらえればそれでいい。そういう開かれた展覧会にしたかったんです。
これは個人的な感覚なのですが、現在のコンランショップ・ジャパンの代表である中原慎一郎さんが、現代のテレンス・コンランなんじゃないかと勝手に思ってるんです(笑)。中原さんの活動や姿勢をどこかで重ねながら、展覧会をつくっていった部分があったかもしれません。そんな裏テーマを、じつは誰にも言わずに持っていました(笑)。
山田:初めて聞きました。東京での展示の時にも、そんな話はなかったですよね(笑)。
中村:はい……。今回初めてお話ししました(笑)。
山田:岩崎さんはどうですか?
岩崎:僕がすごく意識していたのは、テレンス・コンランの持つユーモアの部分です。それを空間にどう体現させるかということが結構悩ましかったんです。最初の構想段階では、会場内に設置するモニターでさまざまな立場の人たちがコンランについて語るということに関して、「業界の有識者」だけに限らず、たとえば「え? テレンス・コンランって誰ですか?」っていう全然知らない人も含めて、色んな人に語ってほしいと思っていました。「ザ・コンランショップは知ってるけど、それって人の名前だったんだ!」みたいな本音みたいなものを散りばめることで、むしろ彼の多面性や存在の広がりが、より立体的に伝わるんじゃないかと。
最終的には、美術館という場での伝え方や、鑑賞体験の質などを踏まえて調整しましたが、構想当初はテレンス・コンランという人物の裏側まで丸裸にしたいという強い気持ちがありました。
山田:映画やドラマでもありますよね。たとえば、黒澤明の『羅生門』のように、ひとつの物語を複数の語り手の視点から紐解いていくスタイル。つまり、語り手がひとりではなく、多様な視点が重なることで、物語の全体像が立ち上がってくる。そういう物語の構造があるように、コンランはひとつの視点から語ってもあまり意味がないんですよね。テレンス・コンランにとっては、たとえば野菜を育てること、家具をデザインすること、街をつくること、これらはきっとすべて並列なんですよね。特に今回の福岡会場では、その多視点性がより自由に楽しめるような展示構成になっていると感じます。東京ステーションギャラリーも素晴らしい空間なのですが、構造上どうしても一方向の動線になりがちで、一度進んだ場所に戻るのが少し難しいんですよね。その点、福岡の展示では、Wikipediaのように、あるトピックから別の場所に飛んで、また戻ってという行き来の自由さがある。色々な寄り道をしながら展示を楽しめる構成になっているんじゃないかなと思います。
たとえば、展示の一番奥まで進んでから最初に戻ってくると新しい発見があったり、真ん中あたりでインタビュー動画を観ながらちょっと休んでみたり。展示の中にたくさんのヒントが隠されていると思うんです。みなさん、すでにご覧になっているかもしれませんが、ぜひ2回、3回、4回と会場に足を運んでいただくと、その度にまた違った発見があるはずです。
場づくりにおける「公共性」とは?
山田:会場の皆さんの中で御三方にご質問がある方がいらっしゃれば、この機会にお願いします。
来場者:大変素晴らしい講演をありがとうございました。現在、修士課程で学んでいまして、地理学の講義を受けた際にまさに公共空間や消費空間の話が出てきました。少しテレンス・コンランの話題とはそれてしまうかもしれませんが、SKWATのおふたりと二俣さんのご活動に深く興味を持ちまして、ご質問させてください。
先ほどのお話の中でも、「公共性」や「地域性」というキーワードが中心的に語られていたと思います。その中で御三方が考えていらっしゃる「公共性」というものが、具体的にはどのようなものなのか。ぜひ詳しくお聞かせいただければと思います。
中村:凄く良い質問をありがとうございます。「公共性」は、僕ら自身もずっとトライアンドエラーを繰り返しているテーマで、本当に難しいんです。国や地域によっても全然捉え方が違いますし。たとえば、青山の地下のスペースで「誰でも自由に使える室内公園」をつくった時の話をしましたが、実は全然機能しなかったんです。誰も使ってくれなかった。「なんでだろう」とずっと思っていたんですね。
学生時代にイギリスで過ごして、公共空間が人々に開かれていて、自由に使われている様子を見てきたので、それを東京でも再現しようとしたのですが、うまくいきませんでした。考えてみると、「尖りすぎている」とか「暗すぎる」みたいな問題もあったかもしれません。やっぱりその土地その土地にあったやり方というのがやっぱり「公共性」という言葉には付随していて。たとえば亀有では、その失敗から学んで、現在は凄く良い形になっています。
結局、公共性というのは「土地の顔」がすべてなんじゃないかと思っています。それを体現するためには、もともとそこに根付いているローカルの人たちに、泥臭いですが時間をゆっくりかけて会話するということ以外多分何もないんです。亀有はオープンするまでに1年かかっているのですが、工事に1年かかったという意味ではなくて、毎日のように地域の人たちと会話したり、近くの飲み屋に通ったり、工事の合間に道端で話したり、そんな泥臭い時間を積み重ねたんです。そうすることで、完成した時に「なんか変なものができた」ではなく、「ああ、ようやくできたね」と言ってもらえる空気をつくることができました。それが青山と亀有の決定的なちがいで、やはり公共性という意味ではそうした土地性が一番大切だと思っています。
岩崎:僕は2019年の卒業制作のテーマが「スクワッティング」だったんです。それをきっかけに中村と一緒にSKWATの活動に関わるようになりました。当時は東京オリンピックを控えていて、ザハ・ハディドや隈研吾の件などを通じて日本社会と公共建築の乖離みたいなものを学生なりに感じていました。みんなでつくるって凄く難しいことなんですよね。職能として建築家がいて、その人たちが建築をつくり、それを使う人と階層的に分かれているということではなく、なるべく関係性をフラットにつくっていきたい。中村の話にもありましたが、亀有ではそれを1年かけてやりましたが、それは僕らも地域にいて時間をかけないとできないことだと思うんですね。学生の頃に公共建築物を目の当たりにした時に感じたモヤモヤの解決方法を日々模索している感じです。
山田:ありがとうございます。いわゆる商業空間というのはやはりクライアントがいて、明確な目的や役割がある場所ですよね。そうなると、先ほどのお話にあったような「公共性」や「地域との関係性」とは、少し結びつきにくい部分もあるのかなと思います。
ただ、二俣さんが手がけてこられた空間、たとえば警固神社のブルーボトルコーヒーなどを見ていると参道とつながっていたりとか、商業空間でありながら社会と自然につながっていくような力を持っていると感じています。その辺りも含めて、いまのご質問のお答えいただけないかなと。

二俣:商業空間であっても、運営する当人たちの意識が少しずつ変わってきていると感じます。もちろん、ひとつのブランドのショップとして運営されている以上、どうしてもクローズドな空間になりがちではあります。ですが、プライベートとパブリックの境界が以前より曖昧になってきているのを感じています。
「公共性のある場所です」と明示するだけでは、実は公共性は生まれないと思うんです。むしろそこを所有し、開いていこうとする人がどんな意思を持っているのか? どんなことを考えて、何をやろうとしているのか? そういった意思をきちんと表明し、周囲と対話していく中で、少しずつ共感する人が集まってきて、自ずと公共性を持つ、開かれていくというところがあると思うんです。
たとえば、誰かが無言でスペースを提供して、「どうぞ自由に使ってください」とだけ言われても、たぶん誰も来ないですよね。SKWATが手がけた青山のプロジェクトもそうだと思いますが。亀有は取り組みの集大成として結果が出ているわけですが、自分たちはこういう思いでこの場所を開こうとしているんだということを前面に押し出すことで、人々との会話が始まって、そこで生まれる関係性が公共性につながっていく。
空間をつくる側が、その場所に対して責任を持ち、どうしていきたいのかを語って具現化していくことがとても大切だと思うんです。そういうことの積み重ねによる場所が増えていくことで、街が開かれていく。そんな感覚があります。
山田:どうしても仕事には、1つひとつ締切がつきものですよね。時間の制約があってオープン日に間に合わせるというのが大前提になっている。でも、今日のお話を聞いていて思ったのは、もっと長い目線で丁寧に積み重ねていくことの大切さです。
たとえば亀有の空間も、オープン日ありきではなくて、良いものをつくるために、必要な時間をかけていくこと、手数を踏むことの良さを強く感じたんですね。それは、コンランの活動にも通じると思うんです。コンランの人生は、半世紀以上にわたる活動の蓄積です。今回の展覧会には、そうした時間の厚みが表れています。もちろん展覧会では、成功例ばかりが取り上げられがちですが、実際にはコンランも数多くの失敗を経験したはずです。そこから何を学び、どう改善し、進んできたのか。
そこに皆さんの活動と通じる部分があるように思いますし、展覧会の中にもヒントがたくさん散りばめられていると感じました。
福岡展では、会場構成も含めて何度見ても新たな発見がある展示になっていると思います。最初は分からなかったことも、もう一度最初に戻って見てみると違った景色が見えてくる。そんな読み返しのできる空間になっていると感じました。テレンス・コンランという一人の人物を通じて、空間をつくるということ、社会とつながるということ、その仕事の奥深さに触れることができたのではないかと思います。
ということで、本日はここまでとさせていただきます。ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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