みんな同じじゃない方がいい!? 工芸とデザインのあいだに立ち上がる形 | 山野アンダーソン陽子さん × Straft・石井珠樹さん 〈3/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。ガラス作家・山野アンダーソン陽子さんとStraftの石井珠樹さんによるシリーズ3回目では、山野さん、石井さんとともに、デザインとクラフトのあわいを探ります。
クラフトはスポーツに似ている!?
原田: ガラス作家・山野アンダーソン陽子さんと、クラフトデザインユニットStraftをお迎えするシリーズ3回目になります。前回は日本の伝統的な素材である稲藁を用いたものづくりをされているStraftの石井さんに、活動の背景を色々伺ってきました。
3回目では、また山野さんに戻ってきていただき、Straft石井さんとクロストークという形でお届けしていきたいなと思います。今回は、デザインとクラフト・工芸のあいだというテーマでお話を聞いていきたいと思っています。
前にも例に出しましたが、過去に収録した𠮷田勝信さんと狩野佑真さんは、素材や製造方法においてオリジナルなものをつくっていて、それ自体はデザイン的な行為でありつつ、そこから生まれてくる成果物については自然に委ねていたり、製造工程によって生じるゆらぎを許容しています。つくり方自体はデザイン的である一方、生まれるものは工芸的なところがあって、そこを新しいクリエーションのあり方が見える気がしています。今回はもう少しクラフト寄りの活動をされている2組になると思いますが、デザインとクラフトというものをそれぞれどう考えているのかをお聞きしたいなと。
まずは、1、2回目で山野さんとStraftの活動についてお聞きしてきましたが、それぞれの活動やつくり方について、ご自身との共通点や異なる点なども含めて、どのように感じられたのかというところから聞かせていただいてもいいですか?
石井:つくったものが一つひとつ微妙に違うことで、見た人が自分に合うものを選んでもらえるという話が凄く素敵だと思いました。僕も同じつくり手として、そういう許容の仕方があるのかと感じました。どちらかといえば僕は、使う人に寄せた考え方というよりは、もちろんそれも考えるのですが、やっぱり人間がつくっているから一つひとつ変わって当たり前という感覚で許容しているところがあります。一つひとつ形が異なるということに対する考え方がこんなにも違うのかと感じましたね。
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原田:それぞれ違うものを「つくり手としてどう受け入れるのか」「ユーザーがどう受け止めるのか」という視点の違いがあるのかもしれませんね。
山野:私は受け手側に視点が向いているかもしれないですね。
石井:どうしても自分の場合は現代においてなぜつくるのかということがどうしてもつきまとうというか、そこに凄く意味を考えてしまうので、つくり手側の目線になるのかなと話を聞いていて思いましたね。
原田:ある種非常に現代的なデザイナーの視点でもある気がしますよね。
山田:山野さんはいかがですか?
山野:凄くふざけた感じかもしれないですが、スケボー部と言ってましたよね? 色々話を聞きながら、スポーツとクラフトが似てると思ったんです。クラフトは肉体労働者だから、食べるものを気にしたり、筋トレしたり、体幹を鍛えてみたりするんですよね。稲藁の場合はわからないですが、私たちは向き合える時間というのが限られていて、ガラスは夜溶かして、朝にはちゃんと溶けてないといけない。作業できる時間が決まっていて、24時間やりたくてもできない。窯を変えれば別ですが。
寿命が短いということもスポーツと似てる部分で、先日陶芸家の2人とグループ展をしたのですが、陶芸というのは吹きガラスに比べると寿命が長いんですね。「おじいちゃんおばあちゃんになっても展示一緒にできたらいいね」と話していたのですが、「彼らはおばあちゃんになる私を見ることができるのか?」と思ったりました。
ちょっとふざけた話ですが、マテリアルを中心に動くとやっぱりそれがあるということを、石井さんの話を聞いて考えました。石井さんが稲藁に向き合う姿勢もスポーツみたいな感じがしたこともあって、クラフトは結構スポーツなのかもなと思いながら話を聞いてました。
原田:面白い。
石井:たしかに。
山野:似てますよね?
石井:本当に身体を使うというか、身体の限界と常に向き合っている感じがありますよね。
山野:ハサミだけを持っていくという話があったじゃないですか。それをスケボーだけ持っていくに置き換えることもできるなとか(笑)。
ちなみに私は子供がいて、どのスポーツが合うのかと思って色々なスポーツをさせながら探している感じなのですが、石井さんも大学生の時に色々なマテリアルを試した中で自分には稲藁がしっくり来たという話もスポーツの話をしているように聞こえてきて、面白いなと思いました。
石井:ガラスはスポーツに例えると、何になるんですかね(笑)。
山野:何でしょうね。ハンマー投げとか?(笑) 凄く身体を使いますからね。あと、道具と場所も必要なので。
原田:石井さんの話の中で、稲藁をみんなで囲んでつくるという話がありましたよね。そういう意味では、同じスポーツでも団体競技になるのかもしれないですね。
石井:そうですね。
山野:それは思いました。
山田:ガラスは危ないですからね。本当に孤独な作業というか。
山野:でも、ガラスもアシスタントがいないとできないんですよ。
山田:そうなんですよね。アシスタントが横でサポートはするんですよね。ただ、山野さんがよくおっしゃるのですが、陶器と違って、土は失敗してももう1回やり直せるけど、ガラスは1回こっきりの勝負で失敗がなかなかできないと。
山野:陶芸のことを悪く言わないで(笑)。違うんですよ、ガラスはすぐに固まっていくから、立ち止まって一歩引いて、「この形どうしようかな」と考える時間がないんです。だから、ポンポン進めていかないといけないのですが、ずっと続けていると考える間もなく手が動いてくれるようになるんです。そこまで訓練を積むには凄く時間がかかるけど、そこに達すると、「やるしかない」みたいな感じになるんです。訓練と鍛錬で手が動くみたいなところがある。マテリアルのことをすべて理解してるわけではないのでわからないですが、そういうところがあるのかなと思っています。
それこそさっき原田さんがデザインとクラフトの話をしていて思ったのですが、私はデザインとアートにもクラフトが必要だと思っています。凄い昔に日芸のインダストリアルデザイン学科で一度講義をさせていただいたことがあるのですが、私を呼んでいただいた理由が、インダストリアルデザインの学生さんたちが、マテリアルとどう向き合ったらいいのかを話してほしいということでした。やっぱりインダストリアルデザインにもマテリアルというものが最終的にはつきまとうと思っているし、デザインをしたり、アートをつくったりするにしても、どこかしらでクラフトが関わってくることがあるんじゃないかと思っています。
ズレや歪みを見込んだものづくり
原田:1回目で山野さんが、アートなのか、デザインなのか、クラフトなのかはあまり関係ないという話をされていましたが、本来ものづくりはそういうもので、形を考える人が自分で手も動かしていて、全部が一緒くたになっていたと思うんです。近代化以降に、設計する人と施工・実装する人が分かれてしまい、設計者が手を動かさなくなったことが大きいと思うんですよね。近年デザインとクラフトが近づいてきているのは、その反動でもあるのかなと。
デザインの世界で素材というものが注目されていることと、工芸とデザインが近づいてきていることはおそらく地続きで、デザイナーが形を与える存在ではなく、素材自体の振る舞いに向き合ってものをつくっていこうという流れが強まってきている。その背景には、人類学者のティム・インゴルドのような人の言説もあって、デザインというものをもう少しプリミティブなものづくりとして考えてみようというところに来ているのかなと思います。
山田:いみじくもバウハウスの初期は、工業化を目指すものの、結局は「半工業」なんですよね。手工業とも言えるかもしれません。初期のバウハウスは自分たちでかなりものをつくっていて、要は製造ラインがつくれないから、陶芸、テキスタイル、ガラスなど、近現代のデザインに用いられるマテリアルの大半にアプローチしているんですよね。それくらいの時期にみんなが立ち返りたいという思いが近年強まっているのかなと思う部分があります。
山野:デザインというのは、コミュニケーション能力という感じがありますよね?
原田:コミュニケーションもデザインにおいては大事ですよね。
山野:実はクラフトというのはそんなにコミュニケーションを取らなくても大丈夫なところがあって、個人的に向き合っていれば成り立ってしまうんです。第三者に何かを伝えようとなった時も、「どうつくるのか」を伝えることが私たちの場合は結構多いんです。アシスタントと向き合っていても、「今日はワイングラスをつくります」という時に、ワイングラスの形はアシスタントにとって重要ではないんですよ。「ボディをこういう感じです。長いボディです。丸いボディです」ということは重要ではなくて、「ボディと脚が必要で、こういうつくり方をします」というだけで成り立ってしまう。
でも、デザインになると形をコミュニケーションしていかないといけないから、形を絞る必要がありますよね。なぜなら、皆さんに同じものをつくってほしいから。石井さんは藁を編む時に、たくさんつくって組み立てるという話もありましたが、「こういう形をつくってください」という時のコミュニケーションは、何かデザインされたものがあるのですか? みんなが集まってつくるという時に、一人ひとりが勝手に違うものをつくり始めたら困りますよね?
石井:いや、それも最初からそのズレを見込んで設計しています。ズレがあるから美しく完成されるものを目指していつもやっていて、例えば寸法を測ってギチギチに数字にとらわれたり、 「5センチのところで絶対に結んでください」という形にしてしまうと、つくっていてあまり気持ち良くないと思うんです。僕らは、一緒につくっている人も楽しめるようなものをつくりたいと考えているのですが、数字というよりも身体を使ったスケールでものづくりをしているところがあり、例えば「指の長さ1本分」とか、人によって幅が出るような設計の仕方をしています。その中で、自分の場合は親指の長さで端を切り揃えるとか、それくらいでいいのかなと。機械で量産されるものになると、CADを使ったり、図面を残さないといけないという話になりますが、1個1個違ってもいいのなら、別に数字はそこまで大事ではない場合もあるんです。
山田:何を複製するか、何を再現するかというポイントがそれぞれの中で設定はちゃんとあるけど、そこは個人の観点であると。例えば、山野さんで言えばガラスというのは型があれば99%以上再現ができるわけですが、ちょっとした歪みが生じることもある。藁にしても厳密ではないけどなんとなくは揃うというところがあるだろうし、山野さんのグラスも大体高さは揃っている。
山野:揃ってない時もありますけどね(笑)。
山田:でも面白いことで、先日山野さんが神戸のVAGUEというギャラリーで展覧会されていたのですが、みんなモノを見て、1個1個触りながらどれが良いか凄く悩むんですよね。言ってしまえば大体同じグラスなんだけど、でも1個1個の差異がある。多分Straftの展示でも作品を見ている方たちの中で「こっちがいい」「あっちがいい」みたいなことがあるんですよね。要はそれはコミュニケーションであり、対話で決まることで、そこにどんな魅力を持たせられるかという話だという気がするんですよね。
複製を前提としたデザイン
原田:最近「デザインの手前」でよく復元の話が出ますよね。デザインというのは基本的に複製可能性や再現性が基本にありますが、100パーセント複製できてしまうものは、もしかすると現代の受け手からするとそんなに魅力的ではないかもしれない。そう考えた時に、かなりの確率で複製はできるけれどそれを100パーセントにしないという、その塩梅を考えること自体がデザインになっているようにも感じます。複製性を少し下げたデザインというものを考えている人が一定数いるように感じます。
山田:デジタル領域でも、ちょっとしたパラメータの変化によって全く同じ複製ではないものをあえてつくるということが行われているところがあります。20世紀はそうしたズレをいかになくすかが求められてきましたが、21世紀はどちらかというと、その差異をいかにつくっていくかのかという部分において、デザインがクラフトに助けを求めているところなのかなと。
山野:いまはちょっと薄れてきていますが、もともとスウェーデンは社会主義の志向が凄く強くて、もう20数年前の話ですが、良いものはみんなが同じように持ちたいという不思議な感覚がありました。例えば、私が買ったマグカップを、「どこで買ったの?」と聞かれた次の週にはみんなが持っているみたいな。私は自分のモノとしてこれを持っていたのに、急に友達みんなが持ち出すと学食みたいな感じになってしまうんです(笑)。 そういうことじゃないと思うけど、みんなからしたら「良いものをみんなで共有して何が悪いの?」という感じなんです。
ちゃんと複製されて同じものがみんな平等に行き渡るというのが、デザインの良さでもある。私だけがズルをしてないというか、みんなも同じに幸せに楽しめて豊かになれる権利があるから、友達からは「良いものなんだから真似して何が悪いの?」と言われるんです。洋服もブーツも時計もみんな同じ、「イエーイ!」みたいな。「え? 中学生?」みたいな(笑)。本当に不思議な感覚で、「なんで人の持っているものを真似するのよ?」みたいな気持ちもあったのですが、スウェーデンの人たちにはそういうことが全くなくて、凄く面白いなと思いました。
原田:お国柄、世代、時代など、色んな観点で考えられそうな話ですよね。日本人にもみんなと一緒「イエーイ」という感覚はあるわけじゃないですか。ただ一方で、日本ではデザインというものが差異化するための手段としても使われて、「これを持っているからみんなと違う」みたいなところもある。いまのスウェーデンの話は、デザインというものがすでに社会の中にベースとしてインストールされているという前提があるのかなと。
山野:たしかに。
山田:例えば器というのは、子どもの頃から、いわゆる作家物というか、日本は陶芸の作家さんがたくさんいる国なので、「このご飯茶碗はこの人のもの、お父さんのもの、お母さんのもの」みたいになんとなく個体が定められているところがありますよね。日本は食器に関してそれが強い気がします。もちろんレストランなどに行けばみんな同じようなお皿にはなりますが、家に関しては少なくともご飯茶碗みたいなものは一人ひとりに定められている。
一方でフィンランドなども社会主義国だから均質なところもあるのですが、Artekのスツール60というアルヴァ・アアルトの椅子などはみんな好きな色にペイントしているんですよね。それがいまセカンドサイクルとして出回っていますが、日本の人は買った椅子にペンキで色を塗るような発想はおそらくないですよね。
原田:あんまりないですね。
山田:日本人は食器がパーソナルなものだけど、もしかするとフィンランドの場合はスツールがそういうものになっているかもしれないし、例えば持ち主が亡くなってセカンドサイクルで出てきた時に、次の人に思いがつながっていくようなところがあるのかなと。その辺は国によって色々あるのかもしれないですね。

山田:おふたりはそれぞれデザインを勉強してきていますよね。石井さんが2回目でお話しいただいた内容からもデザイン的な応用がクラフトに活きていることが感じられたのですが、デザインを学んだことが現在の活動にどのようにつながっているとお考えですか?
山野:デザインを学んだことで量産とのバランスだったり、量産することの意味などを考えるようになりましたね。同じものをたくさんつくる技術というものが、自分たちの産業の首を締めているということに気づけたのはデザインを学んだからです。最初に原田さんが言及してくれたように、私は一歩二歩引いて自分のマテリアルを見ている気がします。おそらく、このマテリアルが好き、つくりたいという気持ちだけではデザインと結びつかなかったと思います。やっぱりデザインというのは社会を見るというか、社会からいまどのように求められてるのか、求めているものにどう応えるかということが重要で、そういう意味ではデザインを学んだことで社会性を持てるようになった気がします。
原田:石井さんは名刺に「藁作家」とも書かれていますが、作家とデザイナーのどちらかに軸を置くのかということは何か意識していますか?
石井:この名刺は、稲藁の活動を本格的に始める前後につくったもので、「肩書きどうしようかな?」と凄く悩んだ結果、世の中にない肩書きがいいかなと思ってつけたものです。だから、軽いノリで「藁作家」と書いたところがあったのですが、未だに自分が何者なのかわからなくて。
だから、山野さんが1回目の時にクラフトなのか、デザインなのか、作家なのか、その立ち位置がわからないまま活動していると話されていたのを聴いて、凄く勇気がもらえました。自分ははっきりしないと不安で仕方がないという感じで、どこにポジションを取ればいいのか、自分の居場所がないんじゃないかと思っていたのですが、それを問いながらやり続けてる方がいらっしゃって、それでいいのかなと。
山田:山野さんの場合は、私は山野陽子よ、と。
山野:違う、そんなことない(笑)。私は「ノンテリトリアル」、テリトリーがないと思っています。スウェーデンにいると日本人だと言われるのに、日本に帰ってくるとスウェーデン人だと言われて、実際に日本人っぽくなくなってきていると思うし、もともとそうじゃなかったのかもしれないですが、自分の肩書きや呼ばれ方というのは、場所ごとの環境によって変わりますよね。だから、自分では決められないものがあると気づきました。
石井:おそらく10年、20年経ってから、その人が何をしたかで肩書きというのは定まってくるのかなと。
モノの機能をどう捉えるか
原田:モノの機能の話も聞いてみたいと思っています。2回目の時に、石井さんからデザインにおける機能と象徴についてのお話を伺いましたが、ご自身がつくられるものにおける機能をそれぞれがどう捉えているのかという話です。おふたりの間には違いがあるような気もしていて、やはり山野さんの場合は、受け手によって機能が変わるという考え方が強そうな感じがするんですね。それに対して、石井さんはモノの機能をどう捉えているのでしょうか?
石井:自分自身があまり機能的なものをつくらないというか、時代に合わせにいった結果、素材でそれを求めるべきなのかということを考えています。昔だったら道具に近いものが稲藁でたくさんあったと思うのですが、いまの時代で藁の道具をつくるべきなのかと。
原田:機能的な観点から考えた時にということですよね。
石井:はい。機能より別の部分に何かがあるのではないかと思っていて、そこは結構悩んだりしますね。これまでプロダクトデザインを勉強していて、機能を中心としてモノを考えてきたのですが、藁で椅子をつくった時に、日常使いできないものを自分はつくっていいのかなと。機能と象徴のバランスの取り方でいつも凄く悩んでしまいますね。まだ明確にこうあるべきだという答えが出せてない状況ではあります。

原田:山野さんはモノの機能というものをどのように考えていますか?
山野:できるだけ構わないようにするということが自分の中にはあります。この方がかっこ良い、この方が良いというものをガチガチに決めすぎてしまうと、自分好みのものしかつくれなくなってしまう。世の中には自分好みではないモノが好きな人もたくさんいるから、自分で機能をコントロールしたり、想像することができないことも多くて、それが楽しい。想像できないことは、当然つくっている最中も想像できていないわけですし、できるだけ想像しないでつくるということを心がけています。
原田:逆に機能を限定しすぎてしまうと、逆に受け手が他の使い方をしづらくなるということですか?
山野:いや、そうしたとしても...。
原田:するものはすると。
山野:はい。ワイングラスをつくっても、ペーパーウェイトとして使う人もいるわけじゃないですか。レシートが飛ばされないようにワイングラスで留めようみたいな。私が仮にそうしたとて、全く違うことに使われることってあるわけだから、あまりそこに時間と労力をかけないようにしています。「この形のワイングラスはこうあるべき」ということに囚われすぎないようにしているし、ありがたいことに型を使っていないので、「このくらいの数を吹かないと型代がペイできない」というのがなくて、だからこそ1個1個違うものがつくれるという良さがあるんです。一人ひとりがそれぞれ違う生活、違う使い方をするということでいいんだと思えることが、自分でコントロールしないということにつながっていくのかなと思っています。
でも、多分石井さんたちもそうだと思いますが、つくっていると「これが美しい」みたいな価値観が自分の中でどんどんできてしまうじゃないですか。自分が求めるものをガチガチに固めないというのは、結構努力をしないと難しいんですよね。ずっと同じマテリアルと同じように向き合っていると、自分たちの視野が狭まってきてしまう。できるだけ視野を狭くしないようにするというのは、結構努力しないとできなくて、デザインを考えるということにおいても、デザイン、デザイン、デザインとなってしまうとあまり良くないですよね。世の中の人はみんなデザインされたものを使っているけど、デザインのことを考えている人だけのものになってしまったりすると、本末転倒なんじゃないかなと思います。
原田:ガラス作家・山野アンダーソン陽子さんとクラフトデザインユニット・Straftのシリーズ3回目は、両者をつなぐメインのテーマでもある「工芸とデザインのあいだ」について伺ってきました。
最終回となる次回は、「グローバルとローカルのあいだ」について聞いてみたいなと思っています。山野さんはスウェーデン拠点にされていて、今回のように日本に一時的に帰ってこられるスタイルをずっと続けられている一方で、Straftはインドネシアで作品を発表されたり、今後シルクロードに行くということも聞いています。お互いに地域の産業や文化に根ざしたローカルな素材を扱いながら、グローバルに活動されている側面があるので、その辺について色々聞いてみたいと思っています。今日もありがとうございました。
山野+石井:ありがとうございました。
原田:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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