デザインの「目的」や「意味」は誰が決めるのか? | TAKT PROJECT・吉泉 聡さん〈2/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。TAKT PROJECTの吉泉聡さんをお迎えする2回目のエピソードでは、デザインの「目的」や「意味」について改めて考えながら、吉泉さんのデザイン観に迫ります。
初期の作品に感じた戸惑い
原田:今週もTAKT PROJECTの吉泉聡さんをお迎えしています。先週の第1回では、大学で機械工学を学ばれ、nendo、ヤマハを経て、現在のTAKT PROJECTを設立されるまでのキャリア、そして東北でのリサーチ活動について伺いました。デザインというものの手前に立つことや、デザインの中心ではない場所に身を置くことで見えてくるもの。そうした意味での手前の話を色々伺ってきました。今週もそれに続くようなデザインの「手前」っぽい話になるかもしれません。
前回、工学を学ばれていた時の「最適化」の話がありましたが、最適化だけでは見えてこないものがあるんじゃないかというところから、デザインへと目を向けられたとのことでした。吉泉さんは、そうした「何のためにやるのか?」ということに凄く意識的な方だと思います。そこで今回は、「デザインは何のためにあるのか」「デザインの目的は何か」といった話を改めて伺ってみたいと思います。
山田:これはもう僕の個人的な話なんですけど、TAKT PROJECTの最初期のプロジェクトを見た時に、どう捉えていいのかが正直わからなかったんですよ。
原田:分かる気がします(笑)。
山田:最初に見たのは、おそらく「Dye It Yourself」というプラスチック素材が染色されたような作品で、同じくらいの時期に、アクリルの造形の中に結線された作品も拝見しました。 オブジェなんだけど何かしらの機能を持っている。でもその機能はそもそも何のためのものなんだろう?と。とても美しい作品なのに、どこにフォーカスして捉えればいいのかがわからなかったんです(笑)。 面白いけど、これは一体何なんだろう? と。当時の僕のデザインとの向き合い方もあったと思うのですが、その戸惑いが今回お聞きしたいデザインの「目的」や「意味」というテーマに、まさに通じる気がしています。

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原田:世間一般で言われる「デザインの目的」は、何かの問題を解決するとか、美しく形をつくる、コミュニケーションを円滑にするといった大文字の目的がありますよね。でも、その目的はそもそも誰がどういうふうに決めているんだろう?と。実はそこに、デザイナー自身が関われていないことも多い気もするのですが、その点吉泉さんは自主研究的なリサーチ多く手がけられていますよね。まだ目的が定まっていない段階から動き出す、あるいは問いを立てるところから吉泉さんのデザインは始まっているという印象があります。
吉泉:そうか、戸惑いを与えてしまっていたんですね(笑)。
山田:だんだんわかっていったというのが近いかもしれません。自分の中でそれを受け入れる素地が徐々に整っていったという感じですね。
原田:目的が明確に設定されたデザインに慣れていると、「あれ?これは何のためなんだろう?」と、最初はやっぱり戸惑うかもしれないですよね。
山田:なんだか機能もありそうだし、形も綺麗だし、体験としても面白い。だけど、これはそもそもデザインなのか? なのか? 特に初期の頃はそういう戸惑いがあったのですが、これがどんなプロダクトなのか、吉泉さんから説明していただけますか?
吉泉:そうですね。アクリルに何かを封入するというのは、皆さんもお土産物とかで見たことがあると思うんです。でも、僕たちがつくったものは、中に電子部品が浮かんでいて、実際にそれがちゃんと回路になっていて、照明的な機能を持っているんです。中には抵抗やスイッチ、バッテリーなんかが入っていて、電気が通るプロダクトだけど、これまでとはちょっと違うあり方、形をしているというものです。

吉泉:いまお話を聞いて、「そんなに戸惑いを与えていたのか」と、逆に新鮮でした(笑)。当時、自主的な作品として発表したんですけど、よくいただいたリアクションが「これはいつ発売されるんですか?」とか「いくらなんですか?」というものでした。僕としてはそれは全く意図していなかったんです。おそらく、僕の方がずれていたんでしょうね(笑)。デザイナーがつくる特にプロダクトは、「流通して商品として売られるもの」という理解が前提にあるんだなと。なんか僕が変なことを言っている感じもしますが(笑)、商品をつくるということに帰結することがプロダクトデザインの唯一のあり方なのかというと、やっぱりそうではないと当時から思っていたんですね。ものが生まれてくる別のあり方があって、そのあり方をいまある評価軸とは違う観点から捉えることができれば、もっと色んな可能性が見えてくる。そういう「別の見え方」や「別の評価軸」があってもいいんじゃないか。そういう仮説構想的なことが、デザインにとっては凄く重要なことなんじゃないかと。それは自分の中で前回の話とつながっていて、何が最適なのか、何を評価するのかということを考えていくこと自体がデザインだと思っていたので、あのプロダクトをつくることは、自分にとってはとても自然な流れだったんです。とはいえ、それを言葉で説明しようとしてもなかなか伝わらないので、何か形にしてみる。そうすると、「これは何だろう?」とか「綺麗だけど、よくわからないな」という反応が生まれる。言葉を超えたところでコミュニケーションをもたらしてくれるような状態にすることに、デザインのひとつの役割があるんじゃないかと思って色々なことをしていた時期でしたね。
手前に立ち返ることで拡がる可能性
原田:それも前回のお話とつながってくると思うのですが、そもそもデザインにはこんな役割があるんじゃないかとか、デザイナーには本当はこういうことができるはずじゃないかといった視点は、むしろデザインの外にいたからこそ見えてきた部分があるのではと感じています。最適化の話はその顕著な例だと思うのですが、工学の世界というのは、目的が最初からはっきりしていて、それを最適に形にする手段を考えていきますよね。でも、デザインにはもっと手前から関わる余地があるというか、そういったことを体感されてきたからこそ、吉泉さんの中では自然と問いが生まれたり、投げかけができたりするんじゃないかなという気がしています。
吉泉:そうですね。それが凄いことということではなくて、自分の中ではそれがデザインだと思って始めてしまっているところがあったので。特に自分でこの会社を立ち上げてからは、自分の考えていることや感じていることを、なるべくピュアな形で反映させたいという想いが強くて。だからこそ、そういったものをつくっていたんだと思います。作品に対していただいた戸惑いのリアクションも、凄く面白いなと思います。むしろ、そういった認識のズレそのものがあるところが面白いなと思いますね。
原田:TAKT PROJECTがずっと力を入れているリサーチのプロジェクトというのは、デザインが目的化されたり、意味付けされたりする前の段階を探っていくような作業なのかな、という気がしています。
吉泉:そうですね。いわゆるデザインリサーチには、マテリアルのリサーチだったり、つくり方そのものをリサーチするようなものもありますし、最近ではデザインの中でも「リサーチ」がホットトピック的に語られることも増えています。デザインをやっている人は皆さん何かしらリサーチはしていると思っていて、それ自体は特別な行為ではないとも思うんです。自分にとってのリサーチは、前回お話ししたテーマにもつながるのですが、「何を良しとしてものをつくるのか?」という価値判断の前提に対して、自分自身の中で揺さぶりをかけるような行為なんです。つまり、「いま自分が良いと思っているものは、本当にそうなのかな?」「もしかしたら間違っているかもしれない」という仮説を常に持ちながら、その可能性を探っていくような態度ですね。そういう価値観自体を揺さぶるような原初的な意味でのリサーチというのが自分の中にありますね。何かをつくるためのリサーチであることは間違いないのですが、デザインが持つ性質を最大化するためにのリサーチができたら良いなと思っています。

吉泉:たとえば、山田さんが挙げてくださった染まっていくテーブルのような作品もそうです。あれは樹脂の金型でつくったオブジェを後から草木染めで染めていくというものでした。プロダクトデザインの世界では、プラスチック成形品のようなものとして触れることが多いですが、そこでは「どう均一に色を揃えて、効率よく量産するか」ということにデザイナーとして向き合っていきますよね。でも、少しそこから離れると、焼き物の世界のように「釜を開けたら偶然こんな色になっていて、それが素敵だった」という価値観やつくる喜びがある。そんなささやかなことでも、同じ時代を生きているものづくりにも全く異なる価値観がある。自分が一歩引いて、そういう異なる価値観の存在に気づくことができれば、たとえばプラスチックだってちがう価値観を持っても良いんじゃないかと思えるわけですよね。量産とは「同じものをたくさんつくること」だけじゃなくて、「違うものをたくさん生むこと」でもいいんじゃないか?と。それも量産と言えるではないかというコンセプトがその時にパッと出てきたんですよね。そう考えると非常に自由な領域がもうひとつ生まれてくるんです。価値観の揺らぎや多様さを自分にインストールすることで、まったく思っていなかったような価値観の領域を浮かび上がらせていく。そのことが、いま目の前にある課題に対しても、実はひとつの解になり得ていることもある。課題解決から入ると見えにくいものがリサーチを通じて浮かび上がることもあるんです。
山田:デザインは、考えることが本当にたくさんあると思うので、いま吉泉さんがおっしゃったような視点は乱暴に言えば、考えなくても済んでしまうというか。やろうと思えば形をつくることはできてしまう。でもそうじゃなくて、そもそもその問いの立て方自体をもっと前提から見直していく。そういう立ち位置に立った時に何が見えてくるのかと。特に近年、デザインの分野ではそういうところからものを考えていこうという動きが強まっているように思いますが、吉泉さんはそれを非常に早い時期からされていて、それで僕は困惑したと(笑)。いまとなっては吉泉さんのお話は凄く腑に落ちるものですし、デザイン業界全体が少しずつ、そうした方向に前進しているような気もしますね。
原田:デザインのどれだけ手前に立ち返って、デザインの可能性を広げていけるかという話だと思うのですが、それは自主研究的なプロジェクトであれば、やろうと思えばできる状況があると思うんです。もちろん予算や時間といった制約はあるにしても。一方で、クライアントがいるプロジェクトだったり、メーカーと協働して進める場合は、そこまで「手前」に立ち返るのが難しいことも多いですよね。実際のところ、クライアントワークの中でもなるべく手前に立ち返るような振る舞いをされていたりするんでしょうか?
吉泉: やっていますね。僕らが活動を始めた当初は、それをすぐにクライアントワークでやることはなかなか難しかったですが、自主的なプロジェクトを発表し重ねていく中で、そうした考え方に共感してくださる方と出会い、そういった方々とお仕事できているというのが大きいかもしれません。なるべくクライアントワークでも立ち返るということを意識していますし、そこまで遡って考える可能性はあるよねという話は共有できることだと思うので、なるべくそれをやろうとしていますね。その方がもともとあった課題感に対しても、より深い意味での解決に向かうことも多いと感じています。自分の中でそう信じてやっているという話かもしれませんが。

原田:そこはやっぱり時代的な背景もあるのかなと思っていて。企業側やクライアント側の問題意識としても、「これまでのデザインの使い方は本当にこれでよかったんだっけ?」という問い直しが起きている時期なんじゃないかなという気もしますよね。
吉泉:そう思いますね。
山田:特に企業の方々は、好きな言葉ではないですが、「タイパ」とか「コスパ」みたいな効率を重視する傾向が強くて、そこにあまり労力を割けないと思うんですよね。でも、最近は企業側も「そうじゃないんじゃないか」と少しずつ気づきはじめていて。むしろ、そこに時間と労力を投資することこそが大事なんだという感覚に変わりつつあるんじゃないかと。 なので、その「どう考えたらいいのか?」という部分を一緒に模索する中で、TAKT PROJECTさんがある種のアドバイザーというか、導き手のような存在になっているのかなと思います。
吉泉:一緒に考えるという意味では、僕たちは媒介者のような立ち位置なんだと思います。でも、やっぱり僕たちの活動だけに限らず、社会全体としてもいままで通りでは立ち行かないんじゃないかという感覚がどこかにあると思うんですよね。その中で、どうやって仮説考証できるのか。どこまでを疑って再構築できるのかといったことが、いまの時代には求められているのかもしれないですね。
『Material, or』が目指したこと
原田:そういったクライアントワークともに、デザインにおける目的に通じるものとして、展覧会という形式で展開されたプロジェクトもありますよね。冒頭でも触れた『Material, or』という展覧会は、そもそも素材にはどんな用途があるのかといった手前に立ち返るような視点が示されていました。言うなれば、デザインを「素材=マテリアル」に置き換えたバージョンとも言えるのかなと。 山田さんもこの展覧会に関わっているので、そのあたりの話もぜひ伺ってみたいなと。

山田:人間はやっぱりどこかでエゴイスティックになってしまう部分があると思うんです。モノとの向き合い方やマテリアルという存在に対しても、どこかで「隷属させる」「コントロールする」といった意識が強く働いてしまう。ある意味、それは仕方のないことでもあるし、凄く古い時代、縄文やそれよりもっと前の時代から、人はマテリアルと向き合って生きてきたわけですよね。でも、特に現代においては、マテリアルと人間の関係性をこのままでいいのかと。そもそも僕たちが「マテリアル」と呼んでいるものを、本当にマテリアルと呼んでいいのかどうか。そういった根源的なレベルから考え直そうという問いがこの展覧会にはあったわけですよね。
それをデザインを扱うスペースで行ったということ自体が、ある種時代の転換点だったのではないかと。それによって、色んなことを考えるきっかけをもらったというか、僕としても非常に面白い展覧会でした。会場には若い来場者も多くて、デザインやものづくりの文脈だけじゃなくて、もっと別の分野を学んでいる方々もたくさん来ていたんですね。むしろ若い人たちの方が、マテリアルとどう向き合うか、どう捉えるかという点では、より自由な感覚を持っているんじゃないかと会期中にも色々考えさせられたりして、とても良い体験でしたね。
原田: 今回のテーマに引き寄せて、大前提の考え方として触れておきたいのが、「マテリアル」と「素材」は一緒じゃないの? と思う人も多いと思うんです。でも、この展覧会で示されていた考え方としては、「素材」というのはそもそも何かをつくるために人間が意味付けしたものであって、「マテリアル」というのは、その意味付けがされる前の、もっとプリミティブな状態のものだという認識があるんですよね。
吉泉:そうですね。
山田:これがまた翻訳するのが大変で(笑)。
原田:それがまさに今回のテーマであるデザインの目的や意味にも通じると思うんです。デザインにはそもそも目的や意味があるけれど、その目的や意味もやっぱり人間がつくっているものですよね。そういった「意味が与えられる前」の状態に立ち返ろうとする姿勢というのが、このマテリアルという考え方とも相似形になっている気がします。
吉泉:マテリアルに似た言葉は、他にもたくさんありますよね。素材、材料、原料……。でも特に「材料とか」「素材」はすでに意味付けされているものだと思うんです。つまり「何かをつくるための存在」として、すでに人間によって役割が与えられている。でも、もう少し引いて見てみると、デザインとか何かをつくる行為自体が、目の前にあるマテリアルに対して人が対峙して、つくることを通じて意味を与えていく営みなんじゃないかと思うんです。通常、デザインというと「どういう形にしようか」「どういう表現にしようか」といった部分で語られることが多いと思いますが、もっと手前の段階で、この地球に存在するさまざまなマテリアルに対して、人がどう意味を付与していくのか。そのプロセス自体も、実はもうひとつのデザインなんじゃないかと。その意味の与え方に対してもう少し解像度を上げて見ていった時、我々がどんな態度で目の前のマテリアルと対峙しているのか、その違いが色々出てくる。そこに光を当てたかったのが、『Material, or』という展覧会のひとつの面白さでもあったと思います。材料を買ってきて何かをつくるだけがデザインではないといったところを考えていった展覧会でしたね。
山田:参加された方々の中には、そういう見方があるのかと新鮮に感じられた方も多かったと思うんです。そういった意味でも色々な発見がある展示だったんじゃないかなと。実はいまそれを書籍にまとめようとしているところなんです。これは番組の最後に告知すべきことなのですが(笑)、いま動き出しているところです。単なる展覧会のアーカイブとしてではなく、もう少し考え方を進めていきたいという話をしています。展覧会をまた少し違う角度から見ていただけるような本を目指してつくっています。
原田: それは楽しみですね。
意味を剥がし、再構築する
原田:『Material, or』もそうですが、すでに決められていると思われている素材の機能や意味、そういったものを一度取り払ってみて、そこから新たに意味づけをしていく。あるいは、そもそもの意味から考え直していくようなことが、TAKT PROJECTないし吉泉さんがつくるものの中にも結構多く見られる気がしています。 実際、ご自身のものづくりの中でも、そういう考え方が強く反映されているところがあるのでしょうか?
吉泉:そうですね。すでに意味ができているのであれば、実はそれほどデザインする必要はないというか、極端に言えば、あとはバリエーションをつくるだけになってしまうと思うんです。世の中にすでに流通していて、意味が受け取られているようなものに対しては、洗練のためのデザインという側面が強くなるかもしれません。
僕自身のデザインに対する解釈としては、「こういうふうに考えることもできるのではないか」という仮説を立てていくような営みなんです。目の前にあるもの自体にはもともと意味はなくて、それに人間が意味を与えてきた。その意味を一度引き剥がすことができるかどうか、いったんフラット、ニュートラルな状態にできるかということが大事だと考えていて、それは毎回何らかの形で試みているような気がします。
最初の回で話したアクリルの中の電子部品のプロダクトもそうです。本来、電子部品は電子基板の上に実装されているもので、すでに目的化されていて、意味づけられている。普通はそれを前提に、外装をどうするかというプロダクトデザインの流れに入るわけですが、そこにはすでに構造としての制約がある。でも、その電気的な機能を担うもののあり方そのものを一度解体して、意味を剥がし、再構築してみたらどうなるだろう、という試みがそこにはあります。そうすると、電子部品も素材、マテリアルとして見えてくるようになる。そういったことをプロジェクトの中でもやっていますね。
山田: 基板にするというのは、どうしても最短経路で効率よく回路を動かすことが主目的になると思うんですけど、そうではなくて、基板そのもののあり方をもう一度考え直すという。あと、ちょっとスピリチュアルな話に聞こえるかもしれないんですが、マテリアルそのものに本来なりたい方向性みたいなものがあると仮定した時に、僕たち人間はそこに無理やり「こっちへ来い」と方向を与えて形作っているようなところがあると思うんです。マテリアル自身の「なりたい形」に素直に向かっていけるようにしたところで何ができるのか。吉泉さんたちの活動はそういったところに魅力があるなと感じています。
吉泉:ありがとうございます。いまの山田さんのお話はまさに『Material, or』の中でも大切にしていた視点だと思います。 「ものがなりたい形」という言い方をすると、確かに少しスピリチュアルに聞こえるかもしれませんが(笑)、僕たちがマテリアルと対話する中で自然と何かが立ち上がってくるような状態はあるんじゃないかと思うんです。これまで僕は「意味を与える」という言い方をしていましたが、結果的に「意味が発生する」ようなつくり方があると感じていて。結果的にそうなったという。
その感覚を持たずに「意味を与える」ということだけでデザインを捉えると、どうしても人間がすべてをコントロールして何かをつくっているという概念から抜け出せない気がするんですよね。そうではなくて、マテリアルと向き合った時に、どちらか一方からではなく、双方の関係の中から自然に何かが生まれてくるような、そういう状態を僕は「対話」と呼んでいるのですが、それは「意味を与える」とは少しちがっていて、「意味が生まれる」あるいは「意味が発生する」といったプロセスがあるのではないかと。 その「意味の発生」をデザインが引き出すことができる。そういったデザインのあり方もあるのではないかということは、『Material, or』の中でもよく話していたところでした。
原田:今日は、デザインにおける目的や意味、あるいは素材における意味といったテーマについて、吉泉さんがディレクションされた展覧会の話なども交えながら、色々聞いてきました。来週は、今日の内容とも地続きになっていくと思うのですが、吉泉さんのデザインに対する考え方が、実際にどのように形に落とし込まれていくのか。そもそも形というものがデザインにおいてどんな役割を持っているのか。そんな実践により近いお話を聞いていきたいと思っています。今日はここまでありがとうございました。
吉泉:ありがとうございました。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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