制御できない「自然」に委ねるデザインプロセス | we+ 林 登志也さん、安藤北斗さん〈3/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラムです。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今回のエピソードでは、we+のデザインの「お手前」として、「自然と人工が融合するものづくり」をテーマに、林登志也さんと安藤北斗さんにお話を伺いました。
自然の振る舞いを暮らしに取り入れる
原田:we+の特徴のひとつとして、自然や自然現象というものをものづくりに取り入れているという点があります。we+には「Nature Study」というプロジェクトがありますが、今日はこの辺りのお話を聞いていきたいと思います。
山田:少しカジュアルな話題からスタートしたいのですが、おふたりは小学生の頃、理科はお得意でしたか?
林:僕は結構得意でしたね。好きでした。
安藤:僕も頭の中は完全に理系でしたね。理科と数学が好きでしたね。
林:プロジェクトをやっている時はむしろ専門家がほしいというくらい素人ですけどね(笑)。
山田:その視点が大事というのもありますよね。最近取材をしていて、21世紀の小学生が一番勉強した方が良いのは理科なんじゃないかと思うことが多くて。というのも、やはりマテリアルやモノの仕組みがわかっているということは生きていく上で凄く大事だなと思うんですね。もちろん、算数もちゃんとやった方がいいですし、僕は苦手だったからあまり言えないのですが(笑)。理科で学ぶことというのは、生活の色々なところで応用が利く考え方かなと思っていて。デザインはもちろん、他の色々なことにも言えることなんじゃないかなと。21世紀の地球が抱える社会問題というのは、理科の授業で学んだことをベースにすると、色々な考えに発展できるのかなと。we+が「Nature Study」で取り組んでいることは、小学校5、6年生くらいまでに一度勉強することでもあるような気がするんですね。
林:そうですね。「Nature Study」は自然の振る舞いといったものを自分たちの暮らしにどのように取り入れていけるのかということを考えるリサーチプロジェクトです。アウトプットとしてインスタレーションをつくったり、プロダクトに落とし込んだり、カタチとして一度まとめていくということに意味があると思っています。自然物が人工物になっていくという時にどのようなあり方が考えられるのか、その可能性を模索していくようなプロジェクトです。
原田:そのひとつが、1回目のエピソードでお話しいただいた「Nature Study:MIST」というインスタレーションになるわけですね。
林:そうです。これまでも「水流」や「乾燥」といった現象に着目してプロダクトをつくるなど、色々な自然現象を取り入れたアウトプットをしてきたのですが、「MIST」ではアウトプットとしてインスタレーションをつくり、そこに至るまでの過程としてリサーチも提示するということにトライアルした展覧会でした。
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制御できない「自然」に委ねる
原田:自然への興味はどういうところから来ているのですか?
安藤:自然というのは誰もが知っている存在ですよね。霧、雨、風、火などは誰もが見たことがあるし、触れたり感じたりしたことがあるものです。そういったものを作品の素材として使っていくことで理解されやすい、共感されやすいものになるというのがある気がしていて。スタジオとして、自然物や自然現象をよく作品に使っているというのはそういうことなんじゃないかなと思います。また、僕らはチームなので、ある種の共通言語みたいなものがどうしても必要になってくるんですよね。自然現象というのは共通言語として凄くわかりやすいもので、例えば風で街中の葉っぱが巻き上げられ、くるくる回っている光景は見たことがありますよね。その現象を指し示す言葉がわからなかったとしても、あの動き面白いよねみたいな話をするとすると、一気にビジョンが立ち上がってくる。そういう意味で自然現象はある意味便利なものだったりするというのがスタジオとしてはあるのかなと。
また、we+のメンバーは田舎出身の人間が多くて、僕は山形出身ですし、林は富山出身。もともとそういう環境で育ってきたということもあるので、凄く身近な存在として自然現象を見つめられるという感覚はあるかもしれないですね。
原田:水流や風化など自然現象にある程度の部分を委ねていくっていうのは、ある種ものづくりがコントロールできなくなっていくことだと思うんすよね。工業化されたものづくりは効率を求めるものですが、そこにはすべてが制御できるという考えがある。でも、それはある種の幻想というか、本来ものづくりはそんなに全部制御できないものだという批評性を感じられる取り組みだなと思います。
林:そうですね。大量生産大量消費の次を考えないといけないという時に、僕らとしても別のデザインのあり方をそこで模索をしているわけなんです。もちろん、自分で線を描くということも非常に大切な行為のひとつですが、自分以上に上手に線を描ける自然の方々に委ねた時にどのような造形が生まれるのか。そういう話は別に僕らに限らず、ずっと昔からトライアルされてきたと思いますが、僕らの場合はそこにテクノロジーなども加えてみたりして、美しくてずっと見てしまうようなものを自然の中から抽出して、よりピュアな状態にして差し出すような、そういうトライアルをしているプロジェクトなんです。テクノロジーなり人間の手を介在させることで、自然の中では見られないものというか、よりピュアで解像度が高い見え方になるのではないかと。
安藤:批評誌的精神も含めてですが、やっぱりコントロールされ尽くしたものに対する興味が薄いのだと思います。逆に、自分たちがコントロールできない領域を楽しんでいるきらいがあって、例えば水によって形づくられる「Swirl」という照明をつくったことがあるのですが、こういうものになるはずだと思っているものとまったく違うものになったりするわけですよね。偶発性みたいものが自分たちにとっては面白くて、それを作品に取り込んでいくことへの興味が強いんです。
原田:「自然」であったり、さらに言うと「神」こそが最高のデザイナーだという話がありますが、そこには「本当に美しいものは人がどこまでつくれるのか?」という哲学的な問いが含まれてきますよね。でも、生成されるプロセスをデザインするというのは人が介入しないとできないことで、デザイナーという人間がどう介入していくのかというところに対するひとつのwe+なりの回答になっているのかなと感じます。
林:ただ自然現象を取り出しても正直つまらないというのがあって、やっぱりそこに僕らなりの介入の仕方みたいなものがたしかにあるんですよね。
「介入」のラインをどこに引くか?
山田:自然によってアンコントロールになるという話をここまでされてきたと思うのですが、「余白」をどう考えていますか? 特に「MIST」は、ある種の余白を許すプロジェクトだと思っていて。デザインのプロジェクトというのは、余白の取り方に余地があった方が伸びしろがある気がするんですよね。でも、その余白をあまり許したくない人もいるわけじゃないですか。全部自分たちでコントロールしたいタイプの人もいる。そういう意味で、「MIST」など「Nature Study」のプロジェクトというのは、どうやってもある種の余白を許すというか、余白と向き合わないといけないのかなと。
安藤:それで言うと、プロセスをデザインするというところが我々のデザインのひとつの解ということになるのかなと思っていて。フォーマットや土地を用意することである程度の方向性は形づくるものの、そこから先はご自由にやってくださいというか。プロセスをデザインするところまではしっかりハンドリングしているのですが、そこで止めてしまっている感じはしますね。
例えば、かなり初期の作品で、ミラノに最初に出した「MOMENTum」という水滴がポツポツ落ちてくる作品があるのですが、これはある程度先の方までコントロールをしているんですよね。最終的には動きがコントロールできなくなるわけですが。一方で「MIST」の場合だと、ずいぶん手前のところに我々はここまでだというラインを引いていて、あとは霧の動きとしても、見る人の感覚としても自由になってほしいというところがあるかもしれないですね。
原田:インスタレーションとプロダクトではその線引きがだいぶ変わりそうですね。例えば、自然現象を使った生成のプロセスをデザインして椅子をつくりますとなった時に、生まれてきた椅子が座れなかったらそれは椅子なのかという問題もありますよね。
林:椅子であれば何かしら機能を担保する必要があると考えると、どのように座れるようにするのかというコントロールは必然的にすると思います。でも、we+における自然現象の扱い方というのは先ほども話した通りで、僕らがその自然現象において最も魅力的だと思っているものは何かという話がまずあって、それがスポイルされるような形で仮に座面が出てくるのであれば、多分そういう選択は取らないと思うんですよ。最も魅力的に見えるもののあり方の最適解はここだという話が、その都度のプロジェクトなり現象なりで選択されている気がしていて。「MOMENTum」はたまたまある程度コントロールした方が良かったけれども、「MIST」はそうではないというのも、あくまでもそれがそれぞれの作品にとっての最適な場所だと僕らが思ったからなのかなと。
実体験としての霧 / 概念としての霧
山田:「MIST」はうまく届きましたか? というのも、ちょっと意地悪な言い方になってしまいますが、東京ってあまり霧が出ないですよね。霧というのは、寒暖差があって割と山間の地域に出ますよね。僕は北海道出身なのでよく見ましたし、おふたりも出身地的に見たと思うんですね。でも、東京生まれ東京育ちの人たちにそれがどのくらい届くのかなと。
僕は最初に東京に出てきた時に、おそらく緯度の違いから来る光線の差というのを感じたんですね。東北ご出身の安藤さんにもわかるかもしれませんが、自然現象というのはシェアできるけど、実は感じ方は人によって違うのではないかと思う部分があって。
安藤:そこに自分たちとしてはあまりコミットしていなくて、ある地点における自然現象というところよりはもう少しジェネラルな意味合いでの霧と対峙している感覚があるかもしれないですね。一般的な霧の定義などはもちろんプレゼンテーションしているのですが、一方で霧という言葉が日本古来の文学作品においてどう使われてきたのかといったことのリサーチなども重ねていて、そうするといかに霧という言葉が日本人の心情を照らし合わせるに最適な言葉であったかみたいなものも見えてくるんですよね。そういうことを考えていくと、やっぱりこのプロジェクトに関しては、一般的な霧の概念みたいなところにアプローチしているのかなと。
原田:安藤さんがおっしゃっていたように、霧というものを仮に見たことなかったとしても、自然が共通言語になりやすいという話はやっぱりあると思うんですね。ある種DNAレベルで反応できるものという意味で、仮にあまり身近な自然現象ではなくても、直感に訴えかけてくる部分はあるのかなと。
林:個人的に色々な人の反応を見てると、東京の人がどれだけ霧に対する体感があったかはわからないですが、霧のインスタレーションを見てつまらないと感じていた人はほぼいなかったかなと思います。一方で、リサーチの部分をどのように感じるかというのは、結構反応の違いがあった気がします。
山田:展示内容を少し補足すると、会場の手前にリサーチの空間があって、奥に霧が人工的に再現されたインスタレーションが広がっていて、インスタレーションは圧倒的なんですよね。その往来が面白いというか、インスタレーションを見た後にまたもう1回リサーチを見ると、「なるほど、そこにそういう考えがあったのか」というのがわかるし、それを読んでからまたインスタレーションを見るとまた見え方が変わってくる。その両方を見せていて、凄く面白い行き来がありました。
安藤:お話をしていて思ったのですが、「実体験としての霧」と「概念的な霧」の違いというのも結構興味深いですね。
原田:いまはメタバースというか、ゲームの中での天候みたいな話もありますよね。その中の自然現象を受け入れている世代が増えてくると、自然の概念はまただいぶ変わってくるのかもしれないですね。
日本らしいデザインとは?
原田:日本人には自然に対する繊細な感性がありますよね。自然の移ろいや四季みたいなものに繊細で、例えば俳句みたいなアートフォームがあるように、そうした表現は日本人の得意なところだと思うんですね。we+は海外で発表する機会も多いですが、自然と共生するようなものづくりというところが、日本らしい感覚としてとらえられるようなことはあったりするのですか?
林:結構日本的と言われることはありますね。
安藤:特に「Drift」という砂鉄の時計の作品くらいまでは日本っぽいと言われることがありました。でも、最近はあまりないかもしれませんね。
林:「Urban Research」のようなプロジェクトは日本らしいという感じは正直しないですが、「Nature Study」系と言いますか、やはり自然現象を扱っていくと、どうしても一点集中で見せるようなアプローチが多かったりもするので、そういうアプローチを取るとなぜか日本ぽいねという話になりやすいのかもしれません。
安藤:「自然に委ねる」といった言葉が出てくると、日本ぽく聞こえるのかもしれないですね。
山田:そうですか。僕は逆で、「Heap」というツクツクの座らされたら罰ゲームのような椅子があるのですが、あの辺りからフォルムとして人に媚びることをやめたのが良いなと思っていたんですよね。日本は、可愛らしいとかキャッチーさというものがデザインの中で他の国以上に求められるところがあるんですよね。でも、見る人の心地良さだけがデザインではないので、そこに向かわなくなったという意味でひとつの大きな転換点だと思っていて。例えば椅子であれば、座りたくなるとか、寝そべりたくなるとか、包まれて心地良いとか、カンファタブルであることが日本的なデザインに求められる要素なんですね。we+はそこを手放しているじゃないですか。そういう意味で、特に近年の作品は日本の文脈から切り離されて見られるのかなという気がしていたんですけど。
林:アウトプットの形としては山田さんが言われた通りで、正直日本で受け入れられる形とかあり方というものは全く気にはしていません。それよりも東京の素材という意味での土着性だったり、東京の僕らだからこういう感覚をいま感じているといった、東京ベースのスタジオということはかなり意識しているというか、必然的に意識したものにはなっていくのですが、アウトプットについてはその通りなのかなと。
安藤:もともとプロジェクトを発表するモチベーションとして、機能的なものをつくるということにまったく興味がなくて。そんなことを言うと凄く乱暴に聞こえるかもしれませんが(笑)、情緒的に心地良いという機能とか、物理的に座りやすいという機能とか色々な定義があるとは思うのですが、それよりもどれだけ新しい視点が入っているかとか、見る人にこういう可能性や選択肢もあり得るよねということを提示できるかというところが、我々にとってプライオリティが高いんですよね。「座りにくそうだね」とか、「こんなのつくってどうするの?」と親にはよく言われるのですが(笑)、椅子という作品を通してその先に何を言いたいのかというところを重視している感じですね。
原田:ここまでwe+の「お手前」として、自然と人工が融合するデザインについてお聞きしてきましたが、いま安藤さんの言葉にもあったように、「視点を提示する」というところで、最終回はwe+が描く未来の話を聞いてみたいと思います。引き続きお付き合いください。ありがとうございます。
林+安藤:ありがとうございます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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