「創作」から「捜索」へ!? デザインとツールの関係を考える | 橋本 麦さん〈2/2〉【デザインの手前×Web Designing】
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。「Web Designing」とのコラボ企画4回目は橋本麦さんをゲストにお招きし、後編ではツール開発から自ら行っている橋本さんに、デザインとツールの関係性について伺いました。
「つくり方のつくり方」をつくる
原田:今日は、『WebDesigning』と「デザインの手前」のコラボ企画4回目の後編になります。前編に引き続き、映像作家、ツール開発者の橋本 麦さんをゲストにお迎えしています。麦さん、よろしくお願いします。
橋本: よろしくお願いします。
山田+五十嵐:よろしくお願いします。
原田:前編では、TokyoTDC2025でグランプリを受賞されたミュージックビデオの話を中心に、「チマ」=繰り返し的な作業と、「ジェネ」=ジェネラティブなアプローチを行き来しながら制作を進めるという橋本さんの創作スタイルについてお聞きしてきました。
後編では、6月18日発売の『WebDesigning』8月号の特集テーマとも少しだけ関連するテーマでお話を伺いたいと思っています。ということで五十嵐さん、今回の特集テーマを教えていただけますか?
五十嵐:今回はFigmaの特集です。実際に制作者の方々がFigmaをどう使っているか、どんな使い方をすればもっと良いデザインができるのかという観点から掘り下げています。また、ロサンゼルスで5月上旬に開催されたFigmaのイベント「Config」のレポートも含めて、1冊の特集としてまとめる予定です。
原田:今日はFigmaの話をしたいというよりも、橋本さんがツールそのものを自ら開発しているという側面にフォーカスしていきたいと思っています。「ものをつくること」と「ツールをつくること」、デザインとツールの関係について聞いていきたいなと思っています。

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原田:麦さんは実際にツールを自作しながら映像をつくるというプロセスでものづくりをされることが多いと思いますが、昔からずっとこういうスタイルなのですか?
橋本:もともとは、もっとバッドノウハウ的な感じだったんですよね。あまりつくりづらいエフェクトをつくるというところから始まって、そこからだんだんスクリプトを書いたり、プラグインを自作したりするようになって。ある時から、もうアドビ使うの嫌だからスクラッチから自分でつくろうみたいな方向にグラデーションしていったんです。そうやってるうちに、プロフィールにそれらしく「ツール開発から始めることを自分のスタイルとしており…」とカッチョ良いことを書くようになっちゃって。実際はその都度やりたい質感を出すために、行き当たりばったり的にやってきたという感じです。
原田:この「デザインの手前」と『WebDesigning』の共同企画関連で言うと、過去に川村真司さんに出演いただいたことがあって、彼はよく「つくり方からつくる」という話をされるんですよね。それはもともと、川村さんが師事されていた佐藤雅彦さんがずっと実践されていた考え方です。橋本さんがツールを自作するというのも、ある意味では「つく方をつくる」というところで共通していると思いますが、そのあたりが思想的にベースになっていたするのですか?
橋本:佐藤研ワナビーなので(笑)。文字通りの意味で、佐藤雅彦先生の勝手なファンだったんです。やっぱり、ユーフラテス出身の方々とか、川村さんをはじめ、もう名前を挙げきれないくらい尊敬している方がたくさんいて。彼らは「つくり方をつくる」というものをつくったわけじゃないですか。
だとすると、その外縁にいるワナビーの自分がやれることは、自分なりの「つくり方をつくる」をつくることなんじゃないかなと。佐藤先生はもともとCMプランナーだったり、数学に関する探究もされていたり、言語的・企画的なアプローチの方だと思うんです。でも僕は、小6の時にクラック版のPhotoshopを触っていたような人間なので、手を動かすこと、コードを書くこと、ツールを自作すること、要はもっと技術的なレイヤーで、「つくり方をつくる」をつくれないかなと思っていて。もちろん、これは後づけでカッコ良くこじつけているだけで、全部行き当たりばったりなんですけど(笑)。
原田:だいたいみんな後づけですよね。
山田:そうですね(笑)。後づけだからこそ綺麗なストーリーになるという部分も正直あると思います。
原田:前編で、「チマ」と「ジェネ」の話をしていただきましたよね。繰り返し的な手作業でチマチマつくることと、プログラミング的思考でジェネラティブに、アルゴリズミックにつくるアプローチを行き来するという話をしていただきましたが、この2つの方法論をつなぐ存在としてツールがあるんじゃないかとも思っています。
橋本:そうなったら嬉しいなとは思うんですけど、実際のところは、ドッグフーディングというか、自分が必要なものを行き当たりばったりでつくってるだけだったんですよね。たとえば、コマ撮りアプリをゼロから自作したり、前編でお話ししたミュージックビデオでは、ユニコード検索+アニメーション再生機能付きのソフトをつくったり。それを支えるUIライブラリやベクターグラフィックス操作ライブラリも、必要に応じてその都度自作しています。
そんな感じで、自分が欲しい粒度の機能を持ったソフトが手に入るまで、「ラーメンを土からつくる」みたいな話ですよね。どこで打ち止めにするのかという。普通の人なら、「麺は市販でいいからスープに注力しよう」とかすると思うんですが、どうやら最近の僕は、「コンパイラ最適化」という名の土を掘り始めてしまっていて、にっちもさっちもいかなくなってきている感じです。
原田:そこに入っていけばいくほど、つくり手として手を動かす時間が削られていくというジレンマはありますよね。
橋本:そうですね。これはまた別のベクトルの「なんでんかんでん化」とも言えるかもしれません。現場から離れて経営に向かうのか、あるいはもっと低レイヤーの実装に行くのか。どのみち手を動かす現場から離れてしまうジレンマはあるなと思います。

透明化されていくツール
原田:グラフィックデザイン用のアプリケーションって色々あるじゃないですか。それらを使ってデザインすることが当たり前になっていますが、それを使うことによって、表現が実はかなり限定されてしまっているという側面もあると思うんです。アプリケーションが持つアフォーダンスのようなものがあって、なかなかそこそこに気づけない状況があると思うんですけど、そこに対してはどう考えていますか?
橋本:「ツールに発想を規定されている」という言い回しはクリシェじゃないですか。僕以外にも、たとえばジョン・マエダさんとか色んな方がすでに言ってきてますし、これを自分の思想として語るつもりはまったくないんです。まぁ、当たり前ですよね。その当たり前を受け入れた上で、それでもllustratorとかFigmaが持つ可能性空間は十分に広いし、業務にも必要十分だったりする。だからこそ、多くの人がこのツールの枠の中でやるまでですよねという現実的な折衷案をそれぞれ見出しているわけじゃないですか。それが僕の場合はうまくいかなかったという。
山田:クリシェというのは、まさにその通りだと思うんですよね。「ツールに発想を規定されている」というのは知識としては理解しているし、意識する部分もある。でも、普段の実務の中でどれだけ意識できているかというと、正直そこまでではないというか。そこに対して、どれだけ意識的であるかというところが大きな差になるのかなと。橋本さんの場合は、そこに多分色々思う部分が他の人より強いのだと感じます。
僕なんかは効率化とか作業の簡略化を無意識に優先していて、完全にクリシェに絡め取られている側の人間で(笑)、問題の構造にはあまり気づいていないというか。橋本さんのお話を伺っていると、「たしかにそうだよな」とあらためて問題の構造に気づかされるというか、自分が普段あまり考えなくなってしまっている部分に、ちゃんと意識を向けているということが大きな差なんだなと感じます。
原田:でも、その流れがどんどん加速してますよね。いかにツールを透明化していくかという方向に進んでいて、ノーコードツールもどんどん普及しているし、「なるべくツールを使っていることを気づかせないようにするというか。そういう状況に対して、オルタナティブな視点を忘れてしまうことの危うさはいま高まっているのかなという気がします。
山田:橋本さんのホームページに掲載されているとある文章を読んでいて、なるほどなと納得する部分と、同時に本当にびっくりしたんです。Flashの話ですね。この世界では道具が突然なくなることがあるんだと。家具や建築における道具で考えてみると、例えばノコギリがある日突然世界中から消えることはないじゃないですか。実際のプロの建築の現場でノコギリを手で使って木を切ることはいまはあまりないかもしれないですが、その延長にある木を切るための機械が消えることは100%ありえない。でも、橋本さんの世界では、たとえばFlashのようにある日を境に使えなくなるということが起こるんだと。そういうことは考えたことがなかったので、凄くビックリしたんですよね。
原田:ものづくりの領域によって、状況は全然違うのかもしれないですね。
橋本:たとえば建築では、CADというテクノロジーによって脱構築ということできたわけじゃないですか。ツールの進化によって、やれることの可塑性が拡大していった時代が70年代以降ずっと続いていたと思うんです。でも、その後、人間の想像力の方が先に限界に達したように感じていて。「このくらい機能があればもういいよね」というところで、限られた表現空間の中でツールの使い方を最適化するフェーズに入っていったのが、2010年~2020年代以降のDTPやCADなのかなと勝手に思っています。
あと、道具がどんどん消えていくという話があったと思いますが、 僕の大好きな学術論文があって。Nolwenn Maudetというフランスの研究者の『Designing Design Tools』という論文があるんですね。
その中で彼女は、30年来変わっていないPhotoshopのツールバーをバージョンごとにスクショを並べて、 「これだけ色々な機能が追加されているのに、ツールバー変わってないじゃん」というアジテーションから始まって(笑)。もっと面白いのは、20世紀初頭の左官職人のヘラの博物館の展示の写真があって、それを見ると色んな形のヘラが展示されているんですね。つまり、それぞれの職人が自分の手や身体に合うようにヘラを改造していたんですね。その時代の職人のスキルのひとつが、道具を使うだけではなく、道具を自分の身体や使い方にフィットするようにつくり変えることだったんですね。 カンナとかもそうで、カンナを自分でメンテできない大工さんはいないわけじゃないですか。それと同じことが、かつてのソフトウェアエンジニアにも黎明期にはちゃんとあったんですよね。 ちょっとしたスクリプトやエディターを自分好みにカスタマイズしたり、標準的な使い方ではなく、自分自身の行動に適した形にゴリゴリにカスタマイズするような文化があって。道具を使ってデザインすると同時に、その道具によって自分自身がデザインし返されているみたいな。この辺の話は、久保田晃弘先生がよく取り上げていて、「オントロジカル・デザイン(存在論的デザイン)」という言葉で語られたりしています。ある時から、他者のためにデザインすることと、デザインをするための環境をデザインすることが、完全に分業化されてしまったように思います。それが道具の透明化と凄く結びついているんですよね。
いまのUIはどちらかというと道具が透明化した方がいいというか、操作したい対象や情報としてみたいものが前面化するべきで、そこを媒介するインターフェースは透明になればなるほど良いという世界観じゃないですか。でも、それに対しては、HCI分野の研究者たちが、それは透明ではないんだと言い続けてきたと思うんですよね。
たとえば渡邊恵太さんが『融けるデザイン』で書かれていた自己帰属感の話は、むしろ逆に理解しているというか。「融ける」ということは、逆に言えば融けていないマウスカーソルとか、ポインティングデバイスのオルタナティブというのはまだ無数にあるはずなんです。でも、いまのカーソルの体型やスクロールの質感がイディオムとして内面化された瞬間にそれが透明になる。どんどんUX系の方々の中で「UIは透明であるべき」という考え方がアプリオリなものとして扱われてしまっている感じがするんです。
各領域で起こる「計画」と「実装」の分離
原田:いわゆる「計画」と「実装」みたいなものが完全に分離してしまったということが、近代デザイン以降の問題としてあると思うんです。それはおそらくソフトウェアの領域だけでなく、プロダクトデザインやグラフィックデザインの世界でも共通する問題意識だと感じていて。たとえば、プロダクトで言えば、ティム・インゴルド的な話かもしれませんが、設計と素材の関係みたいなものも見直されてきているし、グラフィックやコミュニケーションの領域でもデザインを言語化することによって、そこに含まれていた繊細なニュアンスや作業の質感がこぼれ落ちてしまうということがあって、こうした問題がいまあらためてさまざまな領域で見直されてきているんじゃないかと思うんですよね。
橋本:両方のチャンネルがあるわけじゃないですか。ひとつは、実装側にいるからこそ見えないメタな視点を外部からどう取り入れていくかという課題。一方で、いまはコンセプトを見る人たちがあまりにも多すぎて、そこから生まれてくる佇まいとかミクロな質感をちちくり回せる身体知の持ち主がどんどんものづくりの中心から阻害されて、制作会社の人間として使われる側になってしまった。前者で言うと、たとえばファッションの世界でいま起きている変化として、ヴァージル・アブローやファレル・ウィリアムスのように、これまでの血筋の中にいた人じゃなくて、もっとメタな視点を持ったクリエイティブ・ディレクターが入ってきていますよね。一方で、デザインや映像の世界では、ミクロな手触りをちちくり回せる人が、声の大きなエバンジェリストによってどんどんニッチに追いやられている感じがあるのかなと。
原田:それは多分ツールの話と不可分なのかなという気がします。これはぜひ麦さんにお聞きしてみたいと思っていたことなんですが、プログラミングは一般的に目的を実行するための「手段」として捉えられがちですよね。でも、たぶんそれだけじゃないと思うんです。コードを書くという行為自体が、創作に直接フィードバックを与える、そんな感覚があるんじゃないかと。僕自身はプログラムが書けるわけではないのでなかなか実感としてわからない部分もあるんですけど、その辺りについて聞いてみたいんですよね。
橋本:僕自身、もともとは美大の映像学科出身で、理系的なバックグラウンドはまったくないんです。だから、ちゃんとしたソフトウェアエンジニアから見たら、僕はほんとスクリプトキディみたいな、チャチなワナビーみたいな感じですが、コーディングやプログラミングをツールとして捉える考え方と、表現のメディアとして捉える考え方があると思うんですね。久保田先生とかとお話しする中でよく話題に上がるのは、リテラシーとしてのコーディング、プログラミングというものがあるよねと。読み書き能力や図表を読み解く力と同じように、世界の認識の仕方そのものを変質させる「メンタルモデル」としてのプログラミングというのがあるというか。
原田:そこはもしかしたら、プログラミングが書けない人にとっても学べることがあるんじゃないかと。
橋本:そうですね。これはもう書くしかないと思うんです。 これは技術者エリーティズムみたいなものと紙一重だと思うし、「コード書けない人が口出すなよ」という排他主義みたいなものと同根だと思うので言い方が凄く難しいんですけど。
原田:やっぱり書いてみないと見えてこないことがある?
橋本:いまはテキストでコードを書く方法だけじゃなくて、 たとえばビジュアルプログラミングみたいなものとか色んな方法があると思うんですね。僕は、ノーコードと言われるようなツールはそういうメンタルモデルを手に入れる上では全く役に立たないと思っています。例えば、Figmaだと課金しないとプロジェクト数に制限がありますが、 世のコーディング系のツールの多くはオープンソースで凄く門戸が広いんですよね。美大生だった僕でも触れる程度には。だから、まずはちょっとでも触ってみてほしいと思うんです。 「プログラミング的なメンタルモデルって何なのか?」という問いには全然答えられていないんですけど(笑)、少なくともデザイン思考よりは役に立つと思っています。
「良さ」の山を登る交通手段
原田:前編でご紹介した、麦さんが手掛けたミュージックビデオについて、Unicodeという膨大な空間を圧縮するというか良い加減に畳み込んで、その先は「チマ」の作業に委ねるという話がありましたよね。その空間を畳み込むためにツールがあるのかなと。これは、デザインとツールの関係を考える上で凄く大事な話なんじゃないかなと。
橋本:さっき話題に出ていたプログラミング的なメンタルモデルや世界の捉え方に通じる話ですよね。プログラミングと言うと、凄く形式張った数学的なカチカチしたイメージがありますが、僕にとってはもっと空間的なイメージに近いんですよね。たとえば、デザインの対象物にはこういうパラメーターが存在していて、これだけの“つまみ”を触れるんだということが頭の中に出来上がってくるわけじゃないですか。例えば、そのつまみの数が2つだったら、空間的には2次元の平面になり、3つだったらカラーピッカーとかRGB、HSVのような3次元空間になる。ここで生まれてくるのは、3次元の可能性空間のイメージなんです。
僕らがやろうとしていることは、その与えられた空間の中で、定性的な良さ、デザインや映像としての調子良さ・気持ち良さを最適化していくことなんですよね。たとえば、XとYの2次元平面の中で、「良さ」というものを標高として設定したら、山が描けると思うんですよ。その山をどのようにしててっぺんを踏破するかという行為に、デザインというものを抽象化・一般化できると思っています。
原田:「ここが良さそうだ」という頂上に向かっていく行為が、ある種のデザインであると。
橋本:漠然とした言い方だとは思いますが。制作と言った方がいいかもしれません。
原田:たしかに「デザイン」というよりは「制作」ですね。

橋本:ツールとかプログラムとか僕らが制作に没入する環境というのは、一体何を規定しているのか?というと、その可能性空間の中でどう山登りができるかという、その質感なんですよね。凄く険しい山があったとしたらアイゼンやピッケルが必要になるわけじゃないですか。逆に、山がひとつしかなだらかな低地だったら、山頂までロープウェイを敷いてもいいわけです。つまり、良さの山なりに対してルートや手段を規定しているのがツールなんです。だから、ツールというのは、登山道具でもあるし、オフロード車でもあるし、整備された山道でもある。僕はそんなふうに捉えていて。
一言で言うのは難しいのですが、ツールの裏側にある技術とかコードとか構造を知るというのは、地形そのものの構造に気づくことなんですよね。自分はいまどんな山のどこにいて、どんなルートで登らされているのか? それを自覚する契機として、技術やツールがあると思っています。
原田:なるほど。山頂までの交通手段としての「ツール」みたいなことですね。
橋本:僕らが知っていた次元とはまったく違う方向に、新しい次元が見つかることもあると思うんですね。たとえば、グラフィックデザイナーの人にとっての色理解は、CMYKの4次元だけじゃないと思うんです。紙の種類や印刷の光沢感によっても色の印象はガラッと変わるわけで、その光沢具合という要素は色にとっての新しい次元とも言える。でも、ディスプレイ上のRGBカラーピッカーは、オンスクリーンでデザインをしている人の色理解を3次元に畳み込んいるという言い方もできるわけじゃないですか。特色や銀箔といった概念はそもそもそこには存在しない。僕は、「アートをやっているんで」「デザインをやっているんで」という人こそ、技術やツールについてもっと積極的に関わった方がいいんじゃないかと。それが、思考法や発想法みたいなものを知るよりもずっと早く、まだ誰も登っていない山を探しに行くための手段になると思うんですよね。
原田: つまり、ツールが単一だと向かうべき山も単一になってしまう。でも、ツールに多様性があると、こっちに向かっていたら、「あれ? こんなところにも別の頂きがあった」というように、違う良さに気づける可能性が開けるということですよね。
山田:前編でお話しされていた、全部のつまみを自分で触りたいという話にやっぱり繋がっている気がするんですよね。輪ゴムをひっかけて一括でつまみを動かしたら全部同じ感じでチューニングされて、それだとやっぱり面白さが生まれない。一つひとつのつまみをどこに設定していくのか。山登りに例えると、どのルートから登っても良いということですよね。もちろん本当の登山では危険もありますけど、クリエイティブにおいては、誰も通ってないルートで登る手もある。最終的にどこにたどり着きたいか、つまり目的がちゃんとあるならば、そのルート自体をチューニングしていきながら辿っていくことができるのかなと。そのチューニングによってどんな多彩な世界を広げていけるかということが凄く重要だし、それを手放すと面白くないというか、そこにこそ可能性を見出したいというか。
原田:ポイントは、山頂が1つじゃないことだと思うんです。山頂が1つしかなかったら、目的を達成するための手段としてのツールになってしまう。でも、ツールが多様だと違う頂上が見出されやすくなるというか。プログラミングを「目的を実行するための手段」として使うと山頂が1つになってしまうけど、プログラミングそのものが創作にフィードバックすると考えると、別の高みや可能性が見えてくる。そこが実は大事なんじゃないかと。
橋本:そうですね。山田さんがさっき、「合理的だけどつまらない」という話をされていたと思うんですが、実はそこも含めて「合理性」という概念を拡張してあげないといけないんじゃないかと。定性的な調子良さ、面白さ、退屈じゃなさというものをデザインの合理性にうまく合流させられていないことこそむしろ問題なんじゃないかなと。そもそも僕の場合、制作というものが経済的に成立してないんですよ。自分がやっていることがハナからして経済的に合理的じゃないということが起点にあるので、否が応でも映像としての退屈じゃなさみたいなも含めて合理化するほかなかったというのがあるんですね。
多分これは今後色々なドメインで起きてくる話だと思うんですよ。たとえばAIのツールを使えば、めちゃくちゃ速くたくさんのコンセプトアートみたいなものが大量に生産できるし、色んなアイデアもできるんだけど、なんか自分の実存が満たされないみたいな。そのはけ口が、サウナとかブッシュクラフトとかカレーづくりみたいな方向に行くのではなく、つくるということそのものの表現空間を広げるというか、ものをつくることを自己目的的に楽しむということも含めて、これは合理的なんだと自己正当化する方向にその労力が割かれてほしいなと思ってしまう。⋯なんなんですか、この話は。
五十嵐:いや、メチャクチャ面白いですね(笑)。全然違う視点からですけど、さっきのツールやプログラミングの話にも凄く通じている部分があるなと感じました。ちょっと表現があまり良くないかもしれないですが、「使いづらい」とか「面倒くさい」というのが実は大事な要素なんじゃないかと思うんです。橋本さんの言葉を借りれば、それが透明化を避けていくことにもつながる気がするし、凄く抽象的な言い方になりますけど、自分の身体と世界との関係をどう結ぶかという話まで拡張している気がしていて。つまり、ツールというものが「世界をどう捉えるか」というものの媒介に成ると僕は理解したんですね。ツールとして機能するために何が必要なのかということを考えると、目指しているところはきっと合理性なんだけど、合理性じゃないところにツールとしての良さがあるということも凄く価値があることなんじゃないかなと。
橋本:それを含めて、合理性だと思うんですよね。
五十嵐:そうですね。
橋本:マッチポンプでもいいと思うですよね。世の中では「デザインがどう変わっていくか」ということが客体的に語られがちだと思うのですが、逆に僕らがどういう感じでデザインをしたら心身ともに調子が良いかということをまず第一にして、そこから客観的な価値を捏造するくらいでいいと思っています。
五十嵐:面白い(笑)。
山田:ちょっと自分の話に寄せてしまって申し訳ないですが、ミラノサローネとかもそうなのですが、特定の世代までは、メーカーで家具を量産品として出すことがゴールだったんですよね。でも、ある世代以降のデザイナーたちは、そもそもゴール設定自体がまったく違っていて。「面白いものがつくれればそれでいい」「量産できるならしてもらってもいいけど、そこは本質じゃない」というような、態度の変化が明らかに起きていて。
そもそも上の世代が考えていたゴールとは全然違うところにゴール設定を持っていっているから、対話が成り立たなくなっているのかなと個人的に感じているところがあって。そもそも椅子というのは人類の有史以来、とんでもない数がつくられていて、わざわざ新しいデザインを起こす必要は正直ないところまできているのですが、それでもつくりたいという欲求はある。その中で、ある部分には人の心を揺り動かすようなものが出てくるのですが、上の世代はすぐに「若い人はクラフトが好きだ」とか、「アート的なプロダクションが好きだ」みたいな読み方をしてしまう。でも、彼らの中にあるモチベーションはたぶんそこではなくて、既存の枠組では語りきれないものをつくろうとしているだけなんです。家具のデザインの文脈は割とその境目に分断が起きていて、でもその部分の次の言語化がまだ図られていないなと感じています。ビジネスベースに乗せるという言い方になると、彼らの本質的なものが伝わらなくなってしまうというか、別にアートをやりたいわけでも、ビジネスを否定したいわけでもないと。
いま橋本さんの話を聞いていて、なぜか凄く腑に落ちる部分が僕にはありました。ものをつくる人のあり様やアティチュードの部分だと思うのですが、その大事な部分というのを感じました。上の世代はすぐ変容ということを言ってしまいますが、別にそういうことでもなかったりするんだよなと。
原田:この話はハイコンテキストな議論に聞こえるかもしれないんですけど、実際にはそれぞれの立場から解釈できる話でもあると思っていて。そこがちゃんと伝わるといいなと(笑)。
ツールの話に戻すと、ツールというものは、単なる効率化や目的達成のための道具ではなくて、もっと広く創作のためのメディアやインターフェースとして捉え直してみるといいんじゃないか、と。そういう視点を持つことは、きっとあらゆるジャンルのものづくりにおいて大事なことなんじゃないかと、今日の話を通じて改めて感じました。
橋本:「ソウサク」はどの字を書いて「ソウサク」ですか?
原田:「創作」という意味で使っていました。
橋本:よくダブルダイヤモンドみたいなやつがあるじゃないですか。いわゆる意識高い系のフレームワークみたいな。「Exploration(探索)」と「Exploitation(活用)」という話ではないですが、目的がひとつに定まっていてそこに向けて収束していくための道具と、そもそも目的を探すためにたゆたうための道具があって、後者がものづくりの世界において全然足りていないところがあると思うんです。いまのDTPやオンスクリーンデザインにおいては、つくるべきものは決まっているという前提で、最短距離での実装に特化した仕様になっていることが多い。ツールを使うことによって思考したり、問題のフレームについてとらえるようなツールがまだまだ足りていないと思います。
原田:そうですね。そういう意味での「捜索」というのもありましたね。
橋本:原田さんの話を勝手に解釈してしまいました(笑)。
原田:凄く大事な話だなと思いました。後編は、ツールとデザインの関係というところから色々お話を聞けたかなと思います。今日はどうもありがとうございました。
橋本:ありがとうございました。

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