デザインは「合いの手」ひとつで大きく変わる!? | 大原大次郎さん〈3/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラムです。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今回は、グラフィックデザイナー・大原大次郎の「お手前」として、大原さんのデザインの作法や大切にしていることなどに加え、大原さんがデザインした番組ロゴの話などを伺いました。
「手抜き」をせずに力を抜くには?
原田:今日のテーマは、『デザインの手前』のひとつの側面なのですが、茶道の言葉の「お点前」を広く解釈して、大原大次郎の「お手前」、つまりデザインの流儀や作法、つくり方について聴いていきたいと思います。タイポグラフィを中心に色々なデザインされている大原さんですが、デザインをする時の取っ掛かりというか、どんな風にデザインを考えているのかというところを伺ってもいいですか?
大原:ここまでもしつこく出てしまっている「手遊び」と「手探り」なんですよね。よく「生け捕りにする」と言ったりしますが、一発で生け捕れるパターンというのもあって、手探りが多ければ良いという話でもないんですよね。会話なんかでもお互いに探り合っちゃって全然進まなかったみたいのこともあるじゃないですか。例えば、砂場で穴を掘っていたら途中で大きな石に当たってしまったから別のルートを探ろうというようなある種の引き際も大事なんですよね。その「探り」がまったくない状態というか、以前と同じ感じでやってしまうと、今度は逆に「手抜き」になると思っていて。
山田:なるほど。
大原:ただ、みんな人間なのでだんだん疲れてきたり、感情的になったりしてブレみたいなものも出てくる。それを正していくのはある種の修練だと思うんですけど、肩の力を抜くとか休むとか、そういうものって教育の場では教わらないことというか。抜きどころは自分でなんとかやってよという話かもしれないですけど、手を抜かずに肩の力を抜くみたいなやり方も、職業として何かを長く続けていく上では結構大事なことで。寝かせるとか肩の力を抜くとか、その辺が意外と見えてきていないというか。やっぱり華々しい結果とか、その辺が見えやすいですからね。スポーツ選手とかを見ているとその苦悩とかがドキュメンタリーなんかで見て取れるのでわかりやすいんですけど、魚屋さんでも洋服を扱っている人でもデザイナーでも保育士さんでもあらゆる職業で、力を入れる部分と抜く部分というのは意外とスポットが当たらないのかなと。その辺が実はお手前のポイントになるのかもと思っていて。
原田:力を抜こうとすると逆に抜けなかったりしますよね。スポーツ選手の話が出ましたが、怪我をしてしまったことで無理に力が入らなくなって良い結果が出たという話もあったりしますよね。
大原:たしかに。
原田:力を抜ける状況をどこまで自分でつくれるのかという話ですよね。
大原:諸先輩デザイナーの線とか、前回話した宮崎駿さんのような力の抜けた柔らかさみたいなものにはなかなかね。ある種の訓練なのか、人間性の部分なのか、はたまた技術的なことなのかということで言うと、多分技術だけでは到達できないところなんだろうなと思っていて。それが秘密というか、みなさんの手前の凄みなんだろうと思っていて。パフォーマンスをする人に限らず、編集の方にしても営業の方にしても、それぞれのお手前があるとすると、やっぱり休み方や抜き方、引き際の方が結構気になると言うか。
原田:その辺で大原さんが意識していることはありますか?
大原:僕も本当に力が入っちゃう方だと思っているので。例え話ですけど、筋トレ的に修練をして筋肉をつけていくのではなく、凝り固まっている身体の部分というのがあるじゃないですか。それも自分の身体の癖を知っていないと、「ここがこんなに硬かったんだ」ということもわからないと思うので。
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「デザインの手前」のロゴ制作秘話
山田:展覧会を見ていても思ったのですが、大原さんはフィニッシュ、止めどころというのはどのように判断しているのですか?
大原:僕の場合は、生々しさが消えてしまうような場合は一回戻るようなこともあります。例えば「デザインの手前」のロゴにしても、洗練されたきちんとした形というのもできるとは思うのですが、その手前の生々しい状態に戻るみたいなこともあって。いわゆるツマミのメモリみたいなものを一回最大と最小の間で振り切って、その中で探っていくというやり方をしますね。
山田:せっかくなので、番組のロゴの話も伺いたいですね。
原田:そうですね。山田さんは最初に大原さんのデザインを見た時にどう思われましたか?
山田:いやー、めちゃくちゃうれしいというか、予想していなかったというのか。なるほど、と思いましたね。
原田:止めどころという話にもつながると思うんですけど、僕も最初に見た時に凄く良いなと思ったんですけど、ずっと見ていると色んな見え方がしてくるんですよね。その塩梅が絶妙だなと。「ここはこう見えるけど、どこまで意図されているんだろう?」というポイントが色々なところにあって、僕がそう思うということは、おそらくこれを見た人がそれぞれ色々な感じ方ができるんだろうなと。それこそ完璧に形が整っている少し手前にあるからこそ、多様な解釈ができて、そこが魅力になっているのかなというのは感じましたね。
大原:良かった。緊張しますね(笑)。
山田:事前の打ち合わせでも、「手」という言葉が入っているという話は出たのですが、こういう形になるとは思いもよらなかったですね。凄く下らないんですけど、このデザインなので生命線が長いといいなと(笑)。
原田:番組のパーソナリティは僕と山田さんの2人ではあるけど、他にも色々な人たちが集まって話している感じが出るといいという、こちらとしてもなかなか難題だなと思いつつ相談させてもらったんですよね。手のモチーフを見ると、例えば親指と人差指のところにある「テ」と「サ」にはそれぞれ濁点がついていて、これがちょっと人に見えるなみたいなことを考えると、何人かが集まって話をしている感じも出ているなとか(笑)。どこまで意図されているのかはわからないですけど、なんかそういうことも感じられて、何よりかわいいし、いいなと。デザインの手前をまさかローマ字にするのか、というのも面白かったです。
山田:なんかそういう単語がありそうな感じがしますよね。
大原:ちょっと読み間違えそうなね(笑)。最近はタイムラプスで(制作過程が)撮れるのですが、それを行ったり来たりしてこの辺が良かったなというつくり方ができるのは面白いですよね。これまではコマンドZでさかのぼって、途中で保存して比較してということをしていましたけど、思考過程や自分の手順がタイムラプスで見られるのは凄いですよね。それこそ、どこまで「手前」に戻るのかというのがコンマ刻みでできるというか、ちょっと単位が変わった気がしています。ちょっと手前に戻ってスクショを撮って、それを下敷きにして書き直したりしてね。
原田:それを見てみたいですね(笑)。
山田:でも、原田さん、文章を書く時ってどうですか? たぶん僕たちも同じようなことをやっている気がするんですよね。というのも、文章をバーっと書いて、自分の中では本当は残したい言葉なんだんけど、読者にとって本当に必要なのか、本にとって必要なのかということを考えた時に、冗長になってしまう部分は、もうひとつ別のファイルをつくってそっちにコピペして逃しておいて、ちょっとでも復活できたら良いけどもう無理かなと思いながら、そういうことを結構僕はやってしまうんですよね。文章を書いていてもなんとなく体感でこれで良いかなという瞬間は来ると思うんですけど、実は色々ためらいがあって、そのためらいと向き合いながらブラッシュアップしていくんですよね。だから、コピー&ペーストができなくなると結構困る。別にオンラインの何かをコピーしているということではなくて、自分が書いた文章そのものをかなりカット&コピー&ペースをしているのが現実的なところなんだよなと。
原田:その辺は前回の道具の癖につながる話でもありますね。
「合いの手」から生まれる展覧会
原田:「手探り」「手遊び」をしながらつくっていく時に、何か最初の取っ掛かりがあって手を動かしていくと思うんですけど、大原さんにとってそれはどんな部分なのですか?
大原:ずっと道具や環境、方法ということを話してきましたけど、人の影響というのを(言い)忘れていたなと思っていて。やっぱり凄く大きい影響のひとつなんですよね。例えば、書籍を一冊つくるにしても誰とどう組んで進めてきたのかという影響は大きい。個人の話であれば、「手探り」とか「手遊び」ということになるのですが、それを協働で行えるとよりドライブしていくというか。デザインの宿命として、必ずチームで物事が進んでいくというのがあるので。カーリングって凄く声を掛け合うじゃないですか。ゴールのゾーンを目指して声を掛け合っていくあの感じが、さっき山田さんが仰っていた、完成はどこにあるのかというところにもつながりますが、「合いの手」ひとつで変わっていくこともあるんですよね。そのドライブ感みたいなところだったり。今回展覧会と本をつくって感じたのが「合いの手」の重要さで。相槌も、スルーも、すべて合いの手なんですけど、それをどういう感じで打っていったのか。手拍子とか拍手もそうですけど、それがリズムになるんですよね。そうしたグルーブが出てくるところがやっぱり組む面白さかなと。
原田:「合いの手」のような展覧会といった話も本で書かれていましたよね。
大原:そうですね。個人の作品集や展覧会という感じではなくて、合いの手による展覧会ですね。
山田:少し横道にそれてしまうのですが、大原さんの個展と同時期に神田でも菊地敦己さんと展覧会をされていましたよね。
大原:そうですね。G8という銀座にあったギャラリーが終了してしまうタイミングで、ゆかりのある方たちが二人一組で展覧会を行う企画があったんですね。その会期が1組3日間だったのがもったいなかったということで、名残惜しみ会として、延長戦的にやった感じでしたね(笑)。
山田:大原さんは、アートディレクターが別で立っている中でデザイナーとして参加されることもありますが、ある種アーティストとして招聘されて作品をつくられるようなこともあると思うんですね。デザイナーの横のつながりも多く、他の方々と色々やられている印象があります。大原さんのキャリアを考えると、ご自身では多分謙遜なさると思いますが、なかなかないと思うんですね。でも、音楽的に考えていくと納得がいく部分があって。例えば、細野晴臣さんはいまも色々な人と音楽をつくられていますよね。そういう柔軟性を持ちながら、やっぱり細野さんがつくると細野さんの音楽になるという面白さがあると思うんですよね。
大原:本当に恐れ多い話ですが、たしかにデザイナーとしての振る舞いとしては考えてないところがあるかもしれないですね。自分にとっては音楽の人たちが一番のリファレンスで、あの方たちと何か一緒につくりたいというのが最初の入口だったりしたので、デザイン至上主義ではなかったんですよね。どちらかというと2番目、3番目にデザインがあるという感じで。たしかに仰る通り、音楽の方たちの振る舞いに近い感じでやっているというか、客演としても参加するし、ソロもやるし、バンドもDJ的なものも好きですし。本当に学びが多いので、別のジャンルの人たちのやり方を自分の職業に転換するというのはオススメですし、それがおそらく自分のやり方なんだろうなと。
原田:大原さんは出力を形作る入力の部分がやはり他のグラフィックデザイナーとは違うというのがありますよね。それこそTypogRAPy(タイポグラッピィ)のように音楽的な入力をグラフィック的な出力に変えるようなアプローチもこれまでのグラフィックデザインでは見られなかったことですし、そこがやっぱり大原さんのオリジナリティにもつながっているなと。
原田:大原さんの場合はグラフィックデザインにおける師匠に当たる人がいないというのもありますよね。むしろミュージシャンとのやり取りがご自身の成長にも密接に関わっているんだろうなと。
大原:そうですね。音楽というのは抽象度が高いものなので、言葉遣いとかも独特だし、雑味の捉え方とか雰囲気の捉え方というのもね。それこそピエール瀧さんや星野源くんとかもまさにそういうものを生け捕りにすることに長けていて、そういう方たちに鍛えられたので。デザインの組版や造形の技術みたいなものは自分で「手遊び」と「手探り」をしていくけれども、物事の捉え方や伝え方は音楽の方たちからの影響が凄く大きいんですよね。
山田:やっぱりそこが大原さんを大原さんにしたものなんですね。音楽の仕事が多いことはわかっていたんですけど、それがデザイナーとしての大原さんを育てた大きな要素であることが、改めて言語化されると、なるほどなという感じでしたね。
原田:その辺は大原さんにとってデザインをする動機にもつながっているのかなと思っていまして、最後の回は、大原さんがデザインをする動機、なぜデザインをするのかという、そういう意味での「デザインの手前」の話を聴いてみたいと思います。今回もありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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