観察をすることで、何が見えてくるのか? | 岡﨑真理子さん × 本多沙映さん〈4/5〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。グラフィックデザイナーの岡﨑真理子さんとデザイナー/アーティストの本多沙映さんのシリーズ、4回目ではおふたりのものづくりに共通するいくつかのテーマについてお話ししました。
自分の肩書きをどうしているか?
原田:2回目と3回目で、岡﨑さん、本多さんそれぞれのクリエーションについてお話を伺ってきました。今週はまた、おふたりのクロストークでお届けしたいと思います。今回と次回、2回にわたってクロストークをしていきたいのですが、今回は主にものづくりのお話を色々聞いていきたいと思っています。よろしくお願いします。
岡﨑+本多:よろしくお願いします。
山田:改めて、おふたりの肩書きについて伺いたいのですが、岡﨑さんはグラフィックデザイナーとご自身のことを定義されていますよね。
岡﨑:はい。
山田:本多さんは?
本多:よく変わっているのですが(笑)、いまはデザイナー/アーティストにしています。
山田:ご自身でそういうふうに名乗るようになったきっかけというか、肩書きを定めたタイミングはどのあたりだったのでしょうか? 岡﨑さんの場合は、建築を学ばれた後にグラフィックを勉強して、オランダでも色々経験されて、自分でグラフィックの仕事をしていこうという時に、「私はグラフィックデザイナーになる」とある種の判断をされたわけですかね?
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岡﨑: そうですね。リートフェルトの卒業制作の時、グラフィック科の学生は先生から出されるクライアントワークと、自分のプロジェクトの両方に取り組む必要があって、実務方面をメインでやる人と、自分のプロジェクトをメインにする人がいたんです。私は自分のプロジェクトをメインでやっていたのですが、それはインスタレーション的なもので、「これはグラフィックデザインなのか?」という感じのものでした。卒業後すぐは「自分はグラフィックデザイナーでやるのか?」と少し迷っていた時期もありました。というのも、周りにグラフィックデザイナーとアーティストの両方をやっている人が多くて、自分も両方やるのかなとか。でも割と早い段階で、やっぱりグラフィックにしようと思った気がします。ちょっとよく覚えていないですが、決めかねていた時期はありましたが、その後体調を崩して日本に帰国して、改めて色々考え直して、その後ネウシトラに入った頃には、「グラフィックデザイナーとしてやっていこう」とはっきり決めていました。

山田:それで言うと、本多さんはいまも…。
本多:はい、いまも一番良い肩書きを探しているところです(笑)。肩書きを決めた方がいいのかなと思いつつ、デザイナーと言うとやっぱり「そうなの」となるので、「アーティスと言えばいいのかな」と考えたりもします。色々な葛藤がありますが、オランダでの活動を経て、自分としてはデザイン領域にいるつもりでいて、デザイナーなのかデザインの中でアーティスト的なことをしている人というか、ちょっと表現が難しいのですが、その領域を行き来している人みたいな感じで言えるのが一番良いなと。詳しく言うと、そこにクラフトも入ってきて、クラフトとアートとデザインの三角形の中を色んなパーセンテージで動いているみたいな感覚が一番しっくり来るのですが、なかなか肩書きとなると難しいというのがありますね。
山田:自分の仕事がだんだん確立されてくると、岡﨑さんは岡﨑さんだし、本多さんは本多さんで、親しい関係性や距離が近い人たちには職業でラベリングされるよりも名前で認識されるようになってきますよね。ただ、例えば雑誌で紹介されるとか、カタログに載せるとか、そういう場面になると肩書きを決めて出さないといけない。そうなるとやっぱり、本多さんは毎回悩むんだろうなと。
原田:領域を横断する、越境していくというのは、いくつかのレイヤーがあると思っていて。たとえば、デザイナーやクリエイターとしての立ち振る舞いというか、たとえばデザイナーとして活動する、アーティストとして活動するというレイヤーの話がまずありますよね。一方で、ものづくりの考え方自体においても、領域をまたぐような視点があると思うんです。リートフェルトで学んだことは、まさにそういう部分があるのかなと。例えば、建築的な思考でグラフィックを考えてみるとか、岡﨑さんの回でも出てきた色んな要素を共存させる、複数の角度から物事を見ていくといったこととか、本多さんのリアルとフィクション、人工と自然といった、そういう意味での境界を行き来したり、あるいは境界の上にとどまって何かを考えていくということからしか生まれてこないようなものもあるのかなと。つくっているものはグラフィックだったりジュエリーだったりするかもしれないけれど、クリエーションにおける思考の部分ではもう少し自由に、境界を行き来されているのかなと。
本多:たしかにそうですね。それはもしかしたら、リートフェルトで意味のわからないことをやっていたところにつながっているのかもしれないですね。
岡﨑:それはありますね。
本多:周辺のことを色々試していたり、領域横断的なアプローチもそうですが、核心をつかないところで色々やっていたことが、意外と後から活きてくるみたいなことはあるかもしれないですね。

岡﨑:たしかに、考え方の中に違う領域の要素がどんどん取り込まれていくということはありますね。私の場合、クライアントごとに演劇だったり、文学だったり、美術だったりと、毎回異なるジャンルの人と越境してコラボレーションしていく感じなんです。そうすると、その都度ジャンル固有のものをどうグラフィックに落とし込むかというところで越境が生まれるというか、そういうことはあるかなと思っています。
本多:真理子さんの作品を見ていても、素材なんかも固執していないところがありますよね。素材感が結構あるというか、自然と何でも手に取れる感覚みたいなところは、そういう軽やかさにあるのかなと。
共通する「観察」というキーワード
原田:リートフェルトでの学びにも通じる部分だと思うのですが、本多さんの話にもあったように、表現したいものに対してあえてグルグル遠くを回りながら、中心にあるものを見つめていくような創作の態度があるんだろうなと感じます。色んな角度から物事を見ることはもちろん大事なことだと思うのですが、実はおふたりのプロフィールを見ても、「観察」という言葉が共通して入っているんですよね。観察やリサーチを凄く大事にされているところは共通しているんだろうなと。そうしたデザインやクリエーションにおける観察やリサーチについて、どんなスタンスで取り組んでいるのかを伺ってみたいなと思っていました。
山田:そもそも、観察欲を掻き立てられるものは何だろうということもお聞きしてみたいなと。
岡﨑:私は、よく歩きながら身の回りのものを観察して、写真を撮ったりするのが好きなんです。グラフィックの中でも割とマテリアルなどを使ったりするのですが、たとえば紙などもそうですし、透明な紙を重ねて写真を撮ったりということもやったりします。そういう素材だったり、光の反射や透過といった現象みたいなことに凄く興味があるんです。そういうものはいつも観察してて、それが自分のグラフィックの中でも印刷や紙の質感、造本の手触りなどに反映されているところはあるのかなと思います。
本多:リートフェルトの話に戻るんですけど、絵が描けないとかそういう話もありましたが、手が思ったように動かない人も多い中で、自分もそんなに器用な方ではなかったけれど、色々コチャコチャつくるのは好きで、例えば2つの素材を組み合わせて、その作用で何かをつくってみようというようなワークショップがあると、2つを選んでひたすらバリエーションをつくったりするんですね。まずつくってみて、ゴミみたいなクラッピーなものでも、それを観察して、分析して、面白さを引き出すという力を鍛えられたように思います。ちょっとしたフラッシュアイデアだったり、1秒でつくったようなものから何か面白さを生み出したりしていくと、センサーが働いてきたりして、たとえば、造花を見た時に裏側にあるハリが面白く見えたり、葉脈のプラスチックの付き方が斜めになっていることが気になったり。どうでもいいと思えることを大真面目に見てみるということを徹底的に鍛えられたことで、それが観察というところにつながっていった感じがしています。
原田:まさに造花をそこまで観察するというのは、わかりやすい例ですよね(笑)。なかなかそこに着目しないというか。

岡﨑:ゴミみたいな試作品をたくさんつくって、それを観察して新しいものを見つけて作品化するみたいな意味での観察と言うと、私も結構やっているかもしれません。前の回で話したように、ルールを決めて何かをつくってみると、全然きれいじゃないものや、変なものがたくさんできて、その中から選んでくるみたいな時に、やっぱり見る力みたいなものが結構大事になってくるんです。そうやって選んでくることは割と自分の取り柄というか得意分野だと思っていて、その時に観察というのを使う気がしています。
本多:なにか取っ掛かりを見つけて、とりあえず吐き出したものを観察して選んでくるということですよね。でも、真理子さんと違って、私はまだクライアントワークがそこまで多くないので、基本的にはお題を出されるというよりは自分で観察していくことが多いんです。最近になって少しずつクライアントワークも出てきたんですけど、やっぱり差し出されたものを観察するというのは、またちょっと違う難しさがあるだろうなと感じています。
実体験から得られたものを形に
原田:本多さんがおっしゃったように、プロジェクトがあることでそれがひとつの“メガネ”になるということはあると思うんですね。そういうことはやっぱり岡﨑さんには多いのかなという気がしています。「観察」と「リサーチ」というのは微妙に違うと思うのですが、例えば、横浜トリエンナーレでは、市民とのコミュニケーションなど、そこから見出されたものが結構多かったと思いますが、その辺についてはいかがでしょうか?
岡﨑:私の場合は、まずお題がガッと来て、それに対してリサーチをする感じなので、自発的ではないのですが、それでもやっぱり観察を重視しているところがあります。横浜トリエンナーレの時も、まずはキュレーターの方からいただいたコンセプト文を読み込んで、関連する書籍も読んで、ヒアリングを重ねたりしながらつくってきました。その中で、横浜市がやっている市民コンサートのようなものに出かけて、おじいちゃん、おばあちゃんがたくさん来ている中でそこに机を置いて、ペンと記入用紙を準備して書いてもらうようなことを何回かやったりしました。そういう実地の体験というか、パソコンの中で自分ひとりでやるようなこと以外のことを取り入れていくことで、自分の想像を超える発見があるのはいつも面白いなと思ってやっています。

本多:私も自主的なリサーチとは別で、お題をいただいてリサーチをすることもたまにあって、両者は結構違う感じがしています。自主的なリサーチの場合は、フェイクファーの作品をつくろうと思ったときに、実際にその産地を訪れてみたんです。そうすると、やっぱりネットなどで情報だけを見てもわからないことがたくさんあって。その場でつくっている人の話を聞いたり、素材ができる過程を見たり、その土地の温度感を肌で感じるだけでも、何を伝えたいのかが変わってくるんですよね。その周辺にある情報をどうつなげていけるのかということが見えてくるところがあって。皆さんやっていると思いますが、リサーチにはそういう側面があるので、どうしてもそういうことを挟まないとつくっていけないなというのはありますね。
逆にお題をいただくケースだと、例えばある建物が改修になる時に、レガシーを残していくものづくりをしたいということでお声がけいただいたことがありました。その時は、建物が壊れていく過程を追ったり、リサーチというよりは現場にいる、体感するということをしていく中で、もともと興味があったものではないけど、そこに入り込むことで感じられるものがあって。そうした体感や感覚的なものを形にして価値にしていくという時に、自分なりの感覚が大事なのかなという気がしています。パソコンで得られる情報をまとめるというよりは、その感覚値を形にしていきたいというのはありますね。
岡﨑:その感じのリサーチの話でいうと、音楽のドローンのコンサートのポスターをつくったことがあったのですが、その時は「クリエーション」というのですが、音楽家の人たちがその場に集まって即興的に音をつくっていく合宿みたいなものに連れて行ってもらったんですね。その場でやっている様子などを生で見ながら、まだその時点ではどうなるか決まっていない状態のところから見せてもらって、演奏者や2人の作曲家の人でやっていたのですが、その人たちが話していることから出てきたキーワードを拾いながら、つくっていったことがありました。例えば、演劇などのグラフィックはまだ中身ができてない状態で想像でつくることも多いんですね。広報物というのは一番最初に出るから。その時に、そうやってつくるところの途中を見せてもらってつくったものというのは、やっぱり凄くフィットしたものになると思っているし、実体験という意味でのリサーチは凄く大事だなと思います。
どこまで「意味」を与えるのか?
原田:リサーチや観察は、つくるものに価値をつくったり、意味を与えていく源泉になるものと思うのですが、実際におふたりはつくるものにどれだけの価値や意味を持たせようとしているのかということもお聞きしたいです。
おふたりは作品に意味を与えすぎないというか、そのちょっと手前で止まるようなところがあるというか、「これはこういう意味なんです」と全部を伝えるというよりも、あえてその手前で止めて、受け手に委ねているようなイメージを持っています。
前回のTAKT PROJECT・吉泉さんの回でも、意味を与えるのではなく、つくったものから意味が生まれるというような話が出て、それを吉泉さんは「中動態的」という言葉で表現していました。 そういったデザインやクリエーションのあり方はいま凄く大事になっている気もするのですが、おふたりはその辺をどう考えますか?
本多:そうですね。あまり説明がつきすぎてしまうものは、やっぱり余白がないというか、「そうなんだ」で終わってしまう優等生的な感じがありますよね。その場では理解はできるけど、あまり後まで引かないというか、感情が動かないというか、自分の中に価値として残っていかないところがあると思うんですね。
サステナビリティの話でも、数字を追っていくことは私よりももっとできる人がたくさんいると思うんです。例えばゴミの量を減らすとか、効率的なプロセスを開発するとか、そういうことができる人はたくさんいるけど、私にできるのはむしろ、何か美しいとか、思わず手元に置いておきたくなるようなじ雰囲気があるもの。平たく言えば感性に訴えかけるものだと思うのですが、そこをつくっていくことだと思っています。それが余白なのかはわからないですが、ちょっとスペースを残しておくようなつくり方をしているのかもしれません。でもたしかに、真理子さんの作品にもそういうところを感じています。グラフィックのことはよくわからないですが(笑)。

岡﨑:私はかなりガチガチにロジカルにつくるのですが、グラフィックデザイナーの人はもっと感覚的で、説明しないものをつくることを凄く大事にしている方が多いんですよね。リートフェルトでは、ディスカッションばかりしたり、一応全部説明するんですよね。説明というわけではないけど、つくり方にそもそもセオリーがある感じでなんですよね。私もWebサイトには結構言葉を書いているし、グラフィックデザイナーの中では割と言語化をする方だと思うのですが、最終的に「そういうことか、わかった!」という感じになるものにはしたくないという気持ちは凄くあって。だから、もしそれができているなら、うれしいなと思います。
原田:やっぱりおふたりは、どちらかというとコンセプチュアルなものをつくられているタイプだと思うんですね。だからこそ、意味をどこまで伝えるのかというさじ加減が難しいところだなと感じていて。そのさじ加減ひとつで、伝わり方は全然変わってくるんだろうなと。
本多:たしかに。オランダ語というのは凄くローコンテクストで、ダイレクトなコミュニケーションなんですよ。一方で、日本語は凄くハイコンテクストで、言葉の中にいろんな意味が含まれている。オランダではすべてを言葉にするというところがあって、それもちょっと関係しているような気がしています。日本に帰ってきて感じたのは、凄くポエティックな作品が多いというか(笑)、色々な言葉がポエムに見えたんですよね。ダイレクトに言わずに、ふわっと表現する言葉がデザインのコンセプト文でも結構使われているなと外に出てみて感じるところがありました。
山田:例えば、ミラノのデザインウィークなんかでも、日本のデザイナーの作品は、「余白や行間を読んでください」という作品が多過ぎて、多分海外の人にはそれが伝わっていないんですよね。日本の人はそれを一生懸命考えるけど、「だから何?」までは向こうの人は自分たちではあまり考えなくて、見た瞬間に得たものをそのままというところがある。でも、まったくゼロというわけではなくて、そこは面白い部分ですよね。
本多:そうですね。たとえば私の石の作品なんかも、向こうで見てもらうと「凄く日本的だね」と言われることがあって。ちょっと含みがあるというか。でも、日本に帰ってくると逆に「オランダっぽいね」と言われたりもするんです。両方の教育を受けてきたことで、自然とハイブリッドになっているのかもしれません。

岡﨑:「日本っぽい」というところでいうと、本多さんの作品は良い意味で詩的な感じがありますよね。スパッとしたコンセプトがあるんだけど、最終的なアウトプットがまとっている詩的な雰囲気みたいなものはちょっと日本っぽいのかも。一方でスパッとしたコンセプトはオランダっぽいから、多分その両方が混ざっているということなのかなと。
山田:同時に、いまは社会全体としてすぐにわかるものが求められている時代じゃないですか。そうではない余白のあるものに出会ったときにこそ、深い喜びがあると思っています。もちろん、すべての人がそうではなくて、簡単な方が良いという人もいっぱいいると思うのですが、おふたりの作品にはそこで一回立ち止まらせるようなところがある気がするんですよね。
原田:いま岡﨑さんが話してくださった本多さんへの印象は、多分岡﨑さん自身のつくるものにも共通するところがある気がしています。考え抜かれたコンセプトと、余白のあるアウトプットというのは、オランダと日本の両方で学んできたことが現れているのかなとお話を聞いていて凄く感じましたね。
本多:たしかに。
原田:今日は岡﨑さんと本多さんのものづくりにおける共通点や違いについて、色々お聞きしてきました。次回はいよいよ最終回となりますが、引き続きクロストークで、ものづくりを支える周辺の環境の話というか、働き方や活動のスタイル、活動の規模、あとは生活と仕事のバランスなどについて聴いてみたいなと思っています。本日もありがとうございました。
岡﨑+本多:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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