ミラノ拠点の日本人デザイナーは、なぜ「杖」の展覧会を企画したのか?【デザインウィーク関連企画③】 | 武内経至さん × 熊野 亘さん
「デザインの手前」は、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。今週のゲストは、10月12日~27日までカリモクコモンズ東京で行われていた杖の展示の企画・キュレーションを担当された武内経至さんと、展覧会に出品されていたプロダクトデザイナーの熊野亘さんです。
豊富な国際経験を持つ2人
原田:今週も秋の東京のデザインウィークに関連したプログラムお届けしたいと思います。先週は、HOJO AKIRAさんとNOMADIC COLLECTIVEの品川 及さんという企業に務められているインハウスデザイナーでありながら、個人でも制作されている若い世代のデザイナー2人にお越しいただきました。そういう意味では、今週お越しいただいているお二人は、経験豊富で実績も十分なデザイナーですよね。
山田:そうですね。
原田:秋のデザインウィークの期間中に行われた展覧会のレポートを僕と山田さんでさせて頂いた回でもご紹介をさせていただいた、カリモクコモンズ東京で行われていた杖の展示「walking sticks & canes」というものがあるのですが、こちらの企画・キュレーションを担当された武内経至さんと、この展覧会に出品されていたプロダクトデザイナーの熊野 亘さんが本日のゲストです。武内さん、熊野さん、よろしくお願いします。
熊野:よろしくお願いします。
武内:よろしくお願いします。
原田:武内さんは今日はイタリア・ミラノからご参加頂いているんですよね?
武内:はい、そうです。
原田:熊野さんはいま長野県御代田にいらっしゃって、今日もそこからですかね。
熊野:はい。
原田:ということで、それぞれ全然違う場所からZoomをつないでの収録になります。
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原田:まずは簡単にそれぞれの活動の内容を自己紹介的にお話しいただいてもよろしいでしょうか?
武内:武内経至です。僕いまミラノをベースにプロダクトや家具のデザインをしていて、もともとは日本では深澤直人の事務所で東京とミラノで働き、そこからフリーになったという経緯ですね。
熊野:熊野亘です。僕もプロダクトデザイナーで、フィンランドという北欧の国でデザインを勉強して、そこから日本に帰ってきてジャスパー・モリソンというイギリスのデザイナーのもとで働いた後にフリーになりました。いまは武蔵野美術大学で木工を教えているので東京にも行っているのですが、普段は長野県御代田町というところにデザイン事務所と住居を構え、ここを拠点に国内外のプロジェクトに携わっています。
原田:ちなみにおふたりはもうだいぶ長い関係なのですか?
熊野:いま紹介があったように、武内さんは深澤さんのところにて、僕はジャスパーのところにいたのですが、まだジャスパーの事務所が東京にもあった時に、よく深澤事務所とジャスパー事務所で集まってごはんを食べたりすることがあって、それが本格的に知り合いになったきっかけでした。
武内:そこから時を置いてお互い独立したくらいのタイミングで、「お互いがんばっているんだね」という感じでミラノや東京で会ったりするようになって、もう10数年だよね。僕はそんなに友達が多い人間じゃないんですけど、亘とはなんというか、競争心などなくお互いに何でも話せる感じで、良いところは褒め合えるし、悪いところは調整できるというか。それがなかなか日本にはないというか、クリティシズム(=批評)という文化があまりないんですよね。僕はもう海外に20数年いるのですが、そういった環境にいるとクリティシズムというのが凄く重要になるんだけど、それはお互いのデザインを伸ばすためのもので、お互いに謙遜し合うようなものじゃないんです。そういう立ち位置でデザインや生活などすべてのことを話せる友達として、僕の中では凄く重要な存在ですね。
なぜ「杖」に着目したのか?
原田:日本と日本以外の国の環境をそれぞれ知っているおふたりということで、今回の展示もミラノで行われたものが日本でも開催されたという経緯があり、日本と海外のちがいについても色々お話が聞けるのかなと楽しみにしています。
まずは今回の展示が生まれるまでの経緯について、そもそもなぜ杖に着目されたのかというところも含めて、武内さんからお話し頂いてもよろしいですか?
武内:実は結構(開催に至るまでが)長いんですよね。プロジェクトの経緯についてあまり表立って話すことはあまりしなかったんですけど、2019年にジャスパーがキュレーションした「Social Seating」というプロジェクトがフィンランドのフィスカースであって、僕と亘がふたりとも声をかけていただいて参加したんですけど、その時にもう頭の中には結構クリアに杖というもので何かやりたいという考えはあったんですよね。
展覧会にするのか自分でデザインするのかといった辺りはまだ煮詰めていなかったんですけど、もともと杖には興味があったんです。ヨーロッパに来て杖を見ていて面白いとかカッコ良いと感じていたんですね。どうしても日本の場合は効率的というか、少し見栄えが悪くても安いから買ってしまうような文化がありますよね。そこに対して、別に贔屓するわけではないのですが、ヨーロッパでは自分で好きな杖を買って、ファッションのひとつとして、あるいはプライドを持って杖をついている人たちがミラノなどには多いんですよね。そういうちがいを感じていたし、杖というのはこんなにシンプルなものなのに、こんなに人を表すものなんだということに興味があって、フィスカースにいた時に亘を含めて5人くらいで飲みながら話をしたんですよね。そこで自分が考えていることにみんな賛同してくれて、それが僕の力になったというのはありましたね。
その後、コロナ禍で考える時間が凄くあったのですが、特にミラノはお年寄りが凄いスピードで亡くなっていったじゃないですか。そういうことがあり、ロックダウンが終わって街を歩いてもいいとなった時に、お年寄りはずっと家の中にいたからもう筋肉がなくなっちゃったんですよね。それで歩けなくなった人も多いし、友達がいなくなってしまったとか、そういうこともあって外に出るということに対して魅力を感じなくなっている人が多いと聞いたんです。その中で僕らがデザインができることというのを考えた時に、別にものをつくるということよりも、何かを伝えたり、ミラノのために何かしたいという気持ちがあって、やろうと最終的に決めたんです。キュレーションをやったことはなかったのですが、幅を広げること、考えを広く伝えることが重要だと考えていたので、この人ならこういうことをしてくれるんじゃないかというデザイナーに一人ひとり会いに行ってお願いをしました。セシリエ(・マンツ)にはデンマークまで行って会ったし、ジャスパーにはロンドンで会ったし、(アルベルト・)メダにはミラノで会ったし、一人ひとり会える人にはちゃんと会って話して、OKしてもらえました。もちろんお金がないことも説明をして、試作代なども出せないし、全部手持ちの中でとりあえず出すということを考えているということだったのですが、それでもOKしてくれて、その上でカリモクさんがスポンサーになってくれって、試作をつくってくれたり、グラフィックで本をつくったりというサポートを全面的にしてくれました。
原田:熊野さんは企画のかなり早い段階から話を聞いていたということですが、最初に武内さんから杖というお題のことを聞いた時にどんなことを思われましたか?
熊野:最初はあまりピンと来ていなくて、まだ自分が杖を使っていないし、傘の柄の部分を杖みたいにして使うくらいしか自分の中で体験がなかったので、「杖ねぇ」くらいしか思っていませんでした。でも、経至と話をしていく中で、これから自分も歳を取って考えていかなきゃいけないという部分と、あとは杖のモノとしての魅力というのがあって、家具でもないし、ファッションの一部であるようなないような、結構ミステリアスなオブジェだなということにだんだん気がつき始めて。将来性を考えたらこれからの高齢化社会でたしかに杖というものは必要になってくるし、日本だけを見たらあまり良いものもない。あとは、杖というもののミステリアスな部分に色んなデザイナーがどうアプローチするのか単純に見てみたいというのもあったし、今回の人選を見るとやっぱりみんなプロダクトデザインというものが本当に好きでやっている人たちで、みんな各々生活というものをきちんとしながら、その中にデザインというものがきちんと自然に入っている人たちなんですよね。肩肘張ったものじゃなくて、自然にデザインというものが生活の中に溶け込んでいて、常にモノに対して興味を持って見ている人たちで。その人たちが杖をデザインするということだけでもワクワクしたし、その中に自分がどういうデザインができるんだろうというプレッシャーもありながら、その辺は凄く楽しんで。
原田:いまの日本に暮らしていると、杖というのはどうしても高齢者のためのものという画一的なイメージがあると思いますが、例えば宗教的な道具として使われてきた歴史があったり、調べていくと色んな要素があるんですよね。権威の象徴だったり、ファッションとかアウトドアの一部として使われるものであったり。そういう意味ではデザイナーそれぞれに解釈する余地が広いというか、お題として凄く懐が深いものなんだというのはちょっと見るだけでもわかって面白いなというのがありました。
武内:やっぱり歴史は凄いですよね。例えば、何千年前に人間が足をくじいてしまったら、杖がなければ生きていけなかったと思うんですね。動物に襲われてしまうかもしれないし、それが武器になったりディフェンスにもなるだろうし。多分道具としては凄く昔から普通にあったものだと思うのですが、それがだんだん杖を持っていい人といけない人に分かれていって、さっき仰ったように宗教、特にキリスト教全般で言うと例えばモーゼが海を割る時の雷鎚を突いたりというのがあるし。日本でもお坊さんたちは杖をついて歩いたり、鐘を鳴らしたり、色んな意味があって、いまで言うと音楽の指揮者はリーダーとして、あれは杖というか棒を持っていますが、もともと同じ概念から来ているもので、権威の象徴なんですよね。チャップリンは19世紀のイギリスの文化としてステッキを持っていたりする。日本ではステッキというカタカナの文化と、もともとあった杖という道具としての文化がそれぞれあって、そういう意味で凄く面白いんですよね。
それにどうアプローチするのかというところで人選の話をすると、僕の中で重要だったのは自分のエゴとか名前のためとかではなく、与えられたプロジェクトに対して本当に心で応えるような人を探しているというのがありました。だから、みんな良い人なんです。良い人と言っても全員クセがあるのですが、デザインとか社会に対する考え方はピュアだし、建築的に物事を考えられる人たちで。良い家族感があるメンバーでしたね。また同じことはやらなくてもいいし、同じグループで何かを一緒にやりたいということじゃないけれども、ひとつに繋がれたというか。
山田:杖にはこんなにデザインの余地があるのかというのは展示を見て初めて気がついたというのと、その人自身が見えてくるなと思う部分もありました。もちろん、デザイナーも世代がさまざまなので、50~60代になってくるとリアリティを持って挑むことができるだろうし、若いデザイナーはもう少しポエティックな作品になっていたりということがあって面白いなと。
武内:年代はもちろん考えましたね。いま(杖が)必要な人と次に必要になるであろう人とか、自分のことを考える人、自分のおじいちゃんたちのことを考えるような若い世代など、杖というモノを360度見られるように世代を上手く分けてやりたいというのはありましたね。
いかに「杖」をデザインしたのか?
原田:今回武内さんはキュレーションをされながらご自身でも杖をつくられていて、もちろん熊野さんもつくられているので、おふたりがそれぞれどんなものをつくられたのかというところもご紹介頂いてもいいでしょうか?
熊野:迷いに迷ったのですが、棒切れを持てばそれは杖じゃんという話で、いま御代田で生活をしていて自然が近いので、枝が落ちているだけでそれは杖だし、リファレンスは自然の中にたくさんあるわけですよね。木の棒を置くだけでもそれはそれで面白いのかなとも思うけれども、もう少し自分のバックグラウンドを考えた時に、モノと人の関係というのを常にテーマにデザインをしてきたので、杖というモノと人の関係はどうなっていったら理想なのかということを考えていきました。そして、ハンドルの部分を自分の手に合ったように自分で削っていくことができたりしたら、より近い距離感で杖と付き合っていける。自分が一番心地の良いハンドルというのはどういうものだろうと。年を老いながら自分で削りながら、一緒に年を取っていける、成長していけると面白いなということで、杖のDIYキットじゃないですけど、自分で削っていけるというものをつくりました。最終的にはハンドルの部分が木ネジになっていて、そこから外せて自分で削ったりできるんですけど、分別とかそういうことも色々考えるとやはり木ネジが面白いんじゃないかということで、柄の一番先端の部分を木のネジにして、ハンドルの裏側が逆に雌ネジになっていて、自分で回してつけれるという杖をつくりました。
武内:そういうアプローチは亘にしか多分できないから、亘がいるというのもあるんだよね。「そう来たんだ」って。「こういう感じかな」というのがあるんだけど、みんなやっぱりその上をいくようなもので。形の良い悪いじゃなくて、その人の出汁が出るようなものを見せたいというのがあったので、凄くクリアで僕は嬉しかったです。
山田:武内さんご自身はどのように考えてデザインされたのですか? キュレーションしながら自分のデザインも考えるという二足のわらじで大変だったと思うのですが。
武内:僕がやりたかったことは、キュレーションというか展示会のコンセプトとまったく同じで、杖のネガティブな印象を払拭するというのが一番意味があると思っていました。歩きたくなるというのが杖の隠れた機能のひとつだと思うんですね。「歩くための道具」だけど、「歩きたくなるための道具」で、例えばカッコ良い車だと乗りたくなるじゃないですか。それと同じで、杖を持っていたらもっと外に行きたくなるかもしれないとか、そういう気持ちを発生させることがこの展覧会における僕のひとつのテーマだったので、ポジティブに人が動きたくなるものをつくりたいというのがありました。「UP!」という名前は、「高める」とか「立ち上がる」という意味合いなのですが、それは物理的に立ち上がることでもあるし、精神的に立ち上がることでもある。色んな意味で「いまから行こう!」というような印象というかイメージをずっと頭の中で持っていました。
ペーパーコードにしようと思ったのは、グリップをペーパーコードにしているのがデンマークとかでもあったりするので、それがあれば杖としてよりグリップがしやすいし、ペーパーの方が持った時に温かかいし、滑りにくかったりするんですね。そういった意味で価値を与えつつもファンクションは消さないように。デザインのためのデザインではなく、やっぱりインプルーブしていきたいというのがあったので、「どうせ使うならこっちの方がいいでしょう?」という風にしたかった。本当にそれだけですね。新しい杖をつくろうということよりも、みんながこれを使って、これが重要で必要だってわかった時に、「自分だったらどうやってもっと人が使えるようにできるかな」ということの問いかけの杖です。
デザインは生活から生まれる出汁
山田:今回の展示を見て、家に椅子が何脚あっても良いように、杖も何本もあっても良いんだということもひとつの気づきでした。役割によって何を使うかという選択肢もこれだけあるような未来もあるのかなと思いました。
武内:靴を選ぶみたいものですよね。今日は靴がこの色だからこの杖にしようとかね。ファッションのひとつとして。イタリア人のおじいちゃんたちはベルトの色たくさん持っていていたりするんですよね。
熊野:イタリアのおじいちゃんおばあちゃんはオシャレだよねぇ。
武内:色選びにしろ、モノ選びにしろね。どこに行ってもおじいちゃんたちがジャージで歩いているようなことがないですからね。国民的にそれが許されないんじゃないかと(笑)。素晴らしいことだと思います。自分を高めるというか、そういうことにポジティブなんですよね。お店に行ってもまずファブリックを触って感触を探って、これが良いとか良くないとか判断をしている。それこそが「デザインの手前」かもしれないですよね。
熊野:そういう人たちがこの杖を見たらどう思うんだろうね。
武内:ミラノ・トリエンナーレでの展示は最初はやっぱりデザイン関係の人ばかりでしたが、後半になると特に土日にローカルのおじいちゃんおばあちゃんとかも入ってきて、杖を取ろうとするんですよね(笑)。
熊野:やりそうやりそう(笑)。
武内:そういう意味では、東京ではいくつかの杖を手に取れるようにできたことは良かったですね。
熊野:あれは良かったよね。
武内:実際に使ってみてくださいという感じで。さすがに1個しかつくれないようなものは無理ですけど、実際にその場で杖をついてもらって感じてほしいというのがあったので、今回それができたことにカリモクでやった意味があったと思いますね。
熊野:杖をデザインするって結構ニッチというか、これまでない市場だし、かなり玄人系のプロジェクトなんじゃないかなと思ったけど、蓋を開けてみると「杖ってこういう風にデザインができるんだ」というか、何か気づきの始まりみたいなところが展示の雰囲気をつくっていて、それは良かったなと。
武内:刺激を求めている人からすると、展示会としてつまらないと感じるかもしれないですけど、モノが何を生み出すことができるのかなという興味を持って見たら多分心に伝わると思うんですね。それが重要だったし、やっぱり展覧会をやる意味というのは、次の世代の人たちも何かにトライしてほしいということもあって。
もちろんミラノサローネだから、みんなの頭の中の半分くらいが家具になっているのですが、これだけ家具というものが確立されてたくさんつくられている中で、また次の家具をまた出してということは、それはそれで経済的効果はあるかもしれないですが、それだけでいいのかなというのは結構感じていて。次のことにチャレンジすることも重要だし、一回やって成功するか失敗するかはわからなかったんですけど、次の世代の人たちがこういうアプローチの仕方もあるんだねという風に見てもらえれば、それはそれで良いのかなと思いましたね。
武内:物理的なデザインの仕方というのは一人ひとりが練習して上手くなっていくものだと思いますが、いまの世の中で重要なのはやっぱり視点だったりアプローチの部分で、どうやって自分たちの社会を見ているのかということが重要だと思うんですね。そういった意味では、アプローチをシェアできたのかなと思います。
日本人の視聴者さんに本当に考えてほしいのは、サローネで何かやるんだったら、ただいま家具をやってからつくるのではなくて、何を持ってそこに行くのかということをしっかり考えていないと流されてしまう。メディアからピックアップされることを目標に発表するという感じになってしまうと、結果としてそれでいいのかもしれないですが、そのためにわざわざ日本からミラノに来て、どれだけカーボンやエナジーを使っているのという話になってしまう。
あとは、デザインをするということにフォーカスしてしまうから、要はヨーロッパの考えとかでいくと、亘が御代田にいる理由もそうだと思うんだけど、デザインというのは生活から出てくる出汁みたいなもので、つくるというよりは生むものというか。自分のフィルターを通して生きている生活の中から生まれてくるものだという感じで僕はやっているんだよね。だから、自分が生活していないものはつくれないという意識が結構あって、だからとりあえず色んなものにトライしてみようというのがあるんだけど、やっぱりデザインをするというプロセスだけで考えると分業になってしまう、全部が。携帯とかコップをデザインするとか。でもコップを使う生活から入って、こういうコップがいいよね、これでお茶を飲んだら美味しいよねと考えられるからそういうコップが生まれるわけで、ただ良いコップをデザインしようと思ってもできない。個々の持っているライフスタイルや文化で、こういう生活をつくりたいという一心が強いと思うんだよね。生活を生みたいがためにデザインをするというか。
熊野:日本、特に東京というのはそんなに家に人を招いたりしないけど、イタリアやヨーロッパは常に人を呼んで、自分がこういう生活をしているということを共有するじゃない。そういう土壌があるからデザインがあるというか。日本は閉鎖的な時代が長かったけど、その辺がもっとオープンになってきて、こういう生活をしているんだよというのを共有できるようになってくると、また変わってくるんじゃないかなと思うんだよね。そういう意味ではコロナで家の中で過ごす時間が増えて、みんながこれまでより家の中のことを考えるようになったというのは、良いスパイスになったのかなと。
展覧会を通じて社会と関わる
山田:デザインイベントの数はミラノが世界一で、星の数ほど展示がありますよね。そういう意味でなんとも言えない部分があるとは思いつつ、やっぱり東京にはないミラノの強さというのは、今回のような自主企画で、かつ武内さんが仰ったように、椅子とかビジネスとして発展していく可能性があるプレゼンテーションだけではなく、もう少し社会に訴えかけていくような展示というのが、やっぱりミラノにはあるんですよね。東京にまったくないとは言わないけど、やっぱりほとんど東京では見られない。それが今年この展示を東京で見られたことの良さだと思っていて、やっぱりデザイナーが普段から何を考えるのか、社会とどういう風に接点を取っていくのかということを常日頃考えていないとこういう展示やプロダクトはつくれない。だからこそ、これを東京でやることに意味があると思うんですね。
ミラノではこういう展示に僕はなるべく足を運ぶようにしていて、数多く見ているのでそういう展示がミラノにはあるなという印象があるのですが、武内さんはこういう自主企画でかつデザイナーが社会的にコミットするような展示というのは数とかどう感じていますか?
武内:やっぱりいまは少ないと思います。東京と比べれば多いとは思いますが、それは世界中から集まってきているということもあるし、やっぱりデザイナーとして生きていくことって結構みんな必死だと思うんですよ。特に家具だけで生きていこうとすると、ある意味サッカー選手みたいなものだと思うんですよね。そこまでの人口はいないにしても。
そういう中で、ミラノはいま酸欠状態だと思ったし、新しい風が吹かないとこのままではダメだなとか。自分の勝手な妄想ではあるのですが、誰かが何かをしないといけないんじゃないかと思った時に、自分がそう考えたなら自分でやればいいんじゃないかとふと思ったんですよね。他人事ではないんだからと。ミラノというのはエンツォ・マーリがいたり、ブルーノ・ムナーリがいたり、メッセージを込めてデザインをするという場だなというは改めて思ったので、何かやらないといけないという感覚があったんですよね。それが杖と一緒になって頭の中でパチっとハマって、こうすればいいのかと。自分が杖をつくるるのではなくて、やっぱりキュレーションして色んな杖がないとメッセージとしては大きくなりきれないから、みんなの力を借りて、ひとつの強いメッセージをつくって、一発でドンとやらないといけないなと。
何本かの杖を展示しただけでは多分誰も見に来ないだろうし、そこにはやっぱり場所も人も必要で、そういうことを全部考えることがデザインなんじゃないですかね。結果はついてくるものなので。個々の杖をデザインしたということもありますけど、それよりも僕が集中していたことは、メッセージをどうやってみんなに一番良くシェアできるかということでした。そういうメッセージのあることをやってくれる人が少しでも増えれば僕はとてもうれしいですね。本当にいま特にやるべきことなんじゃないかなと思います。
熊野:こないだの東京でのトークイベントの時、最後に「何か質問ありますか?」と言ったら、うちの学生だったんだけど、「別に新しいアイデアではないじゃないですか」と言ったんですよ。「どの杖も新しい杖というわけではなくて、何か各々が考えていることが形になっていると。どうやってデザインしたんですか?デザイナーが込めたものは何なんですか?」ということを聞かれて、すぐに「メッセージ」だなと思ったんですよね。今回の展覧会では、どの作品も「どうだ、新しい杖だろう」と言っているものはひとつもなくて、各々が考えている杖に込めたメッセージを具現化しただけであって、それが別に新しいものではなかった。それはコマーシャルじゃないという部分もあるんだろうけど、健全な形というかものづくりの原点みたいなところが見える企画で、そこが凄く秀逸だったのかなと思いますね。
原田:さっき武内さんも仰っていたように、個人で杖をひとつつくって伝えられることと、色々なデザイナーの視点やメッセージを展覧会という形で伝えることでは、伝えられるものの質が全然違うと思うんですね。そういう意味で、社会にメッセージを発信していくこととか、これからの社会を考えていくというところにデザイナーの役割があるとしたら、自分が作品をつくるだけではない未来への発信やメッセージの伝え方があるということが武内さんの中でひとつ見えたことは凄く重要なことなのではないかという気がしていて。そして、それは武内さんに限らず、デザイナーが社会にコミュニケートしようとした時にこういう形もあるんだということは凄く重要なことなのかなと思いました。
武内:自分の中でも実験だったんすけどね。40代後半になって、ちょうど人生半分を越したくらいかなと思っているのですが、そうなった時にこれまで自分を育ててくれた人もいて、これから育てていかないといけない人たちもいるというタイミングだったから、実験的に社会にどうやって関われるかなということをやったというか。実験というのは失礼な言い方かもしれませんが、トライしたかったというのはありましたね。
原田:今日は10月12日から27日までカリモクコモンズ東京で行われた杖の展示「walking sticks & canes」の企画・キュレーションを担当された武内経至さんと、展覧会に出品されていたプロダクトデザイナーの熊野亘さんをゲストにお招きし、展覧会の舞台裏の話や、デザイナーとして自主展示をするということについて色々お話をお伺いできました。
来週も引き続き東京のデザインウィーク関連の企画をお届けします。11月27日から12月1日まで日本橋三井ホールで「DESIGNTIDE TOKYO」というイベントが開催されるのですが、その主催者の一人であるログズ株式会社の武田悠太さんをゲストとして起こし頂く予定です。「DESIGNTIDE」は今年12年ぶりの復活ということもあって話題になっているイベントですが、実は「デザインの手前」でも関わっている企画があるので、その辺も来週ご紹介できればと思っています。
今日は武内さん、熊野さん、どうもありがとうございました。
武内+熊野:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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