一人ひとりの心に作用する“現象”をつくり出す | nomena・武井祥平さん 〈2/4〉
「デザインの手前」は、デザインに関わる編集者2人が、さまざまなクリエイターをお招きし、デザインの本質的な価値や可能性についてお話しするトークプログラム。ニュースレターでは、最新エピソードの内容をテキスト化してお届けしています。エンジニア集団・nomenaの代表、武井祥平さんをお迎えする2回目は、ポエティックな印象を与えるnomenaのエンジニアリングの背景にある思想に迫ります。
連鎖する「現象」をデザインする
原田: エンジニア集団・nomenaの武井祥平さんをお迎えするシリーズ、今日が2回目になります。初回は、デザイナーとの協働をテーマに色々お話を伺ってきましたが、2回目は、「受け手それぞれが意味を見出していけるようなものづくり」というテーマで聞いてみたいと思っています。
「デザインの手前」の熱心なリスナーの方は、このテーマで思い出す方がいるかもしれません。それは、TAKT PROJECTの吉泉 聡さんです。吉泉さんの回では、「中動態的」「多義的」という言葉が出てきましたが、これは端的に言うと、つくり手が一義的に意味や機能を定義してしまうようなデザインではなく、ユーザー側がそこから何か意味を見出していけるようなデザインのあり方が、これから大事なのではないかということを、吉泉さんは「中動態的」「多義的」という言葉で表現されています。
こうしたデザインのあり方は近年色々な分野で、それぞれの人がそれぞれのやり方で実践しつつある流れがあるのかなと感じています。
実際に武井さんは吉泉さんとも協働されていますが、近い傾向を感じています。nomenaという名前自体が「Phenomenon」、現象という言葉から来ていると思います。nomenaは、自然現象のようなものやモノ自体が意思を持っているようにも見える動きというものをつくっているエンジニアリングが多いと思っています。自然現象的なものは、それ自体に一義的な意味は当然なく、そこから色々な意味を読み取っていけるようなものだと思うんですね。そうした志向がnomenaのエンジニアリングにはあるのかなと思っていて、今日はその辺りのお話を聞いてみたいなと思っています。まずは、現象的なものをつくっていくことへの武井さんの興味がどういうところから来ているのかというところから聞いていきたいなと。
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武井:僕のキャリアの中で心理学を専攻していた時期があるのですが、唯識論的というか、この世界は主体である人がどう見るか、どう感じるか、つまりその人の心の中に浮かんでいるイメージというのがこの世界なんだな、ということを当時結構感じていて、それが重要だという感覚があります。nomena という名前の由来になっている「現象」という言葉は、「自然現象」もあるし、「心理現象」というか、ものを目の当たりにした時にその人の心の中に現れる現象みたいな意味もあるのかなと。周りの環境が及ぼす影響としての現象みたいなこともあるかなと思っています。
そういう意味では、現象をつくることだったり、現象をしつらえるというか、すでにある現象をここに現出させることで、それを見た人の心の中にさらに別の現象を起こすようなものをつくりたいなと考えています。単にものをつくるのが目的ではなく、そういう現象の連鎖をつくることがやっていきたいことですね。
原田:現象をつくるという前に、「そもそもこの現象はなぜ起きているのか?」という仕組みや背景への興味のようなものがもともとは強かったのでしょうか?
武井:そういう部分はあると思いますね。心理学を始めてから、「あれ、いま自分はなんでこんな感覚になったんだろう」とか、「なんでいまこれを見てこう思ったのだろう」と思うことが一層増えました。空耳、空目のようなものにも多分きっかけや原因があって、そこに興味が湧くこともある。例えば、nomenaで「時計の捨象」という作品をつくって、水に浮く時計がすいすい泳ぐようなものがあるのですが、昔アメンボが水たまりに浮いていた時の記憶がきっかけになっています。アメンボは手足に細かい毛が生えているので、撥水して水に浮いているんですね。その撥水された部分の水が盛り上がって変形して、レンズの効果で光が集まる部分があることに中学生くらいの時に気づいたんですね。
それが面白いと思っていた記憶があって、それと同じ効果を「時計の捨象」という作品にも付与できないかなということを考えました。 同じように、時計の盤面に撥水処理をして、できるだけ時計を水に沈めると、水が盤面に乗っかろうとするのですが、撥水されているので水が入ってこれない。そして、時計が浮いているエッジの部分の水が盛り上がり、そこに光が当たるとレンズの効果で影が光るということをやっています。
「あれ、なんでこうなっているんだろう?」というところから、「あ、そういうことなのか!」みたいな発見まで、つまり疑問に思ったことに対して、自分の中で考察し、それが発見につながるという心の動きが凄くいいなと(笑)。それもひとつの心の現象だと思います。どちらかと言えば個人的には理系なので、そういう因果関係みたいなもののエレガントさが感じられる時にカタルシスがあるとというか、そういう感覚はありそうだなと個人的には思いますね。特に自然現象には無駄のなさみたいなものがあり、ものとして無駄のない形で完結している状態というのが凄く良いなと思う部分ですね。

原田:「なんか良いな」とか「現象的」みたいな話を聞くと、ちょっと不合理なものに思えたりもしますが、実は生命的なものは非常に合理性があるという話はとても興味深いですね。エンジニアリングと聞くと、どうしてももっとメカニカルな動きをイメージする方も多いと思いますが、実はそういう現象的なものこそが合理的でもあるというところがあるのかもしれないですね。
山田:いまおっしゃっていた作品は本当に飽きることなく見ていられるというか、 見ている側からすると次の動きがあまり予測できないので、まさにアメンボみたいな感じで、「次はどこに行くのかな」「どこに向かっていくのかな」と。nomenaの作品には比較的そういうものが多い印象があって、童心に返って目で追いかけてしまうというのか、そういう認知の部分が刺激されるところがあるのかなと思います。
自然物のような人工物をつくる
原田:ある種、生物的な予測不可能性というか、そういった動きみたいなものがnomenaの特徴のひとつとしてあるのかなと思っています。ただ、そういう現象的な質感や印象を与えるというのはなかなか簡単ではないのかなという気もします。HOWの部分で、こういう現象的なものを体現する動きのデザインの仕方のポイントはどういうところになるのですか?
武井:凄く難しいなと個人的にも思っています。比較的、自分の中でそういう現象的なものがつくれたなと実感したのは割と最近なんです。まさに、「時計の捨象」のシリーズで水に浮かぶアメンボのような時計の作品をつくった時ですね。
それまでのクリエーションでは意味をちゃんと込めたものをつくらなきゃいけないという思いがありました。それがちゃんと伝わらないとダメなんじゃないかという感覚で、ものをつくっていました。実際、特に商業的なものづくりやデザイン、インスタレーションと呼ばれるようなものを体験した後に、「で、何だったんだ、これは?」「このインスタレーションにはどういう意味があったんだ?」」みたいな感想を持ってしまうことがよくあって。そういうものにならないようにちゃんと意味を持たせたものをつくらなきゃという観念が自分の中にありました。
「時計の捨象」を発表する時も実は凄く怖くて。「なんで水に浮かせたんですか?」みたいなことを聞かれたら、「一応こういう理由はあるんですけど、伝わってないかな?」みたいな、言い訳をしようかなとか(笑)。「結局、これ何だったんですか?」と聞かれるのが凄く怖いなという感覚があったんです。でも、いざ発表してみると、「で?」という感想はあまりなくて、「あー、いいですねぇ」みたいな感じで見てくれました。「水に浮かんでいるアメンボとか池に浮かぶ水鳥とかそういうものを見ている感覚ですね」と言ってもらえることもありました。
武井:人間は自然のものに対しては、「で、何?」と思わないですよね。そもそも、「何で水に浮いてるんですか?」みたいな疑問すら浮かんでこない。それが人為的につくられたものだと、なぜかそこに理由を求めてしまう。そういう癖というか、文化的なものがあるんだなと思いました。そこから解放されると、もっと自由にものづくりができそうだなと思いました。「時計の捨象」は自分の中では凄く大きな出来事で、そういうものをつくっていきたい。自然物のような人工物をつくるというのが、最近のテーマになっています。
方法論として、現象的なものをどうやってつくるのかというのはまだ模索の途上です。ただ、そういうものをつくろうと思ってつくったわけじゃなかった作品が、結果的にそういう性質を持っていたというのは結構示唆的だと思っています。特に、エンジニアリングは恣意性をなくすということが思想としてあると思うんですよね。「この曲線はなんでこの曲線じゃなきゃいけないのか」「こういう機能を実現するために、こういう曲面を持っていないといけない」「一つひとつのディテールが説明できるものであるべきだ」といった思想がおそらくある。そういうエンジニアとしての癖や思想がある中で、説明ができない要素を省いていくと、凄くミニマルなものが残るという感覚があります。
デザイナーやアーティストのように自分にしか描けない曲線みたいなものが描ける気は全くしないんですね。だから、造形のディテールを決める時の拠り所がそういうものしかない。「こういう機能を備えるためにはどういう形であるべきか」とか、「こういう印象を抱かせるのに最も効果的な形や色は何だろう?」とか、そういう感覚でディテールを決めていくのですが、それにも限界がある。説明ができないところは、凄くアノニマスなものに設定しておこうという感覚で、意識をしているところはしっかり設計をして、意識しないところはできるだけ意味づけをしないでおこう、そこに人為が感じられないような設えにしておこうと。そういう思考が設計の段階であって、結果的にそれがアノニマスであったり、現象的なものに見えてくるというところに関係しているのではないかということを自分の中で最近考察しています。
山田:「MOMENTum」という初期の作品で、水が動いていくような、それこそ万博の作品にもつながる元々のアイデアになっているものがあると思いますが、やはり水というのは、その考えを援用するために重要な存在なのでしょうか?
武井:水に取り立ててこだわっているわけではないのですが、「MOMENTum」をつくった時に思ったことがありました。エンジニアリングというのは基本的にはかっちりした再現性を求めるものなのですが、水みたいな不定形でカオティックな振る舞いをするものがひとつ入るだけで、凄く複雑なシステムになるんですね。
水以外だと、風や布だったり、三澤さんとやっている紙とか、そういうフラジャイルなもの、不定形なものなど、管理が難しいマテリアルがシステムの中に入ってくると、それ自体が魅力にもつながるということは結構感じているところですね。揺らぎの要素だと思いますが、あえてそういうものを機械やシステムの一部として入れていくということは新しい領域でもあるし、エンジニアリングという観点でも凄く面白いと感じますね。
山田:自然物が入ってくると、テクニカル性みたいなものが遠くに消えていって、まさに今回のテーマだと思うのですが、起こっている現象の方に目が行くんですよね。「MOMENTum」とか、BLUE OCEAN DOMEのインスタレーションは、ランドスケープを見ているというか、自然の風景を見ているような感覚がありました。
ただ、自然の風景といっても例えば京都にある寺院の庭などもかなり人為的なもので、色んな歴史や知識の中にあるものが使われていて、「こう見せたい」という見立ての世界でもあったりする。そういう意味で、「見立て」の世界にも通ずるような作品なのかなと思いました。
武井:そうですね。たしかに。
「役にたたない技術」を受容する社会
山田:nomenaの作品を見ていて、デザインをある程度勉強している人間からすると、ブルーノ・ムナーリの「役に立たない機械」というものがどうしても思い浮かびます。武井さんは、ムナーリという存在をどう受け止めているのでしょうか。1930年代のものなので、いまからおよそ100年前だと思うのですが、何か影響を受けた部分などはあるのでしょうか?
武井:そうですね。ちょうどいま21_21 DESIGN SIGHTで『デザインの先生』という展覧会がやっていて、そこで ブルーノ・ムナーリも紹介されていますよね。僕自身はデザイナーではないので、そこまで詳しいわけではないのですが、ブルーノ・ムナーリと(アキッレ・)カスティリオーニは共感できる部分が凄く多い人たちだと思って見ています。先ほどの「手を動かしながら見えてくるものがある」という観点でも、ムナーリの本を読んでいて感じる部分がありました。
デザインは「こうしてやろう」とか何かを与えるようなトップダウン的なものではなくて、社会の中にいる一般的な感覚を持った人とどうコミュニケーションするのかを考えるものだと思うんです。「こういうものがあったらどう感じるだろう」とか「こういう感覚が人間にとって大事なんじゃないか」といったことを考えていく対話的なものでもあるし、好奇心を満たす試行錯誤でもあるし、楽しいものであり、遊びのようなものであり、未知を探求するものでもある。そういう感覚を、ムナーリやカスティリオーニの言葉から凄く感じるし、「そうだよね!」と思うところが多いんですよね(笑)。生きている時代もやっていることも違うし、専門性という意味でも違うのですが、それでも通じるものがあるなと思うし、先人たちのトライアルは凄く参考になると思っています。
原田:時代とともに「意味がある」とか「役に立つ」みたいなところに人々の欲求がどんどん向かっていく中、冒頭の話に戻ると、ある種反動的に「中動態的」とTAKT PROJECTの吉泉さんが言っていたような、それぞれが意味を見出だせるようなものづくりのあり方が揺り戻し的に注目されているのかと思います。
nomenaの個展のタイトルでもある『まだ意味のない機械』というタイトルも凄く象徴的だと思っています。ムナーリの「役に立たない機械」ということに対して、武井さんが考える「役に立たない技術」みたいなものにこれから先どんな可能性があるのか、その辺りの武井さんのお考えがあれば、聞いてみたいなと。
武井:技術自体は、役に立たないものというのが結構生み出され続けていて、それがイノベーションにつながっていくこともあります。産業や資本主義と結びついた時に世の中に普及していくという現象は常に起こっていると思います。おそらく、「役に立たない技術」「役に立たない機械」というのは、割と自然発生的にいつの時代にも生まれてくるものなんじゃないかなと。
ただ、その「役に立たない機械」を見た時に、見る人の心が凄くオープンな状態になっていて、「これはこういうものなんじゃないか」と受け取れるかどうかが凄く大事だと思っています。役に立たないものを、役に立たないものとしてしか見られない心の状態になってしまうと、凄く寂しいと思います。技術自体は、おそらくどんどん生まれていくのですが、それを見た人が「こういうものに使えるんじゃないか」「こういう遊び方ができるんじゃないか」と自由に受容できることが重要になってくるのかなと感じています。
特にAIなどが普及してくると、そういう判断自体をAIに任せてしまうということも起こり得ると思っています。「これは何に使うものですか」と聞けば答えは返ってくるのかもしれませんが、そこが人間として一番楽しい部分でもあると思うんですよね。何かに見立てたり、本来そのように使われるわけではないものを違う使い方をしたり、遊びというのはそういうところから生まれているものが多いと思うのですが、そういう楽しい部分すら機械に奪われてしまう時代が来そうな予感もあって。
僕が『まだ意味のない機械』という展覧会のタイトルを付けたのは、そういう自由な想像力、自由な見立てこそがこれから重要性を増してくると思ったからです。それは凄く自動的な心の働きだとも思っていて、何かを見た時にじっと見てしまうということもそうですし、じっと見ている中でそこに勝手にストーリーを投影したりすることは割と自然に心の中で発生することだと思うんですね。そういう心の働きをもっと解放するというか、社会の中で顕在化させていくことが、より楽しい社会、より人間らしい社会への貢献になり得るんじゃないかと考えていますね。
「技術」の魅力を純粋な形で取り出す
原田:1回目でデザイナーのイメージを形にするという役割としてのエンジニアリングの話をお聞きしましたが、nomenaはオリジナルの作品もつくられていますよね。そういう作品では、ここまでお話しいただいたようなところからつくっていくことも結構あるのでしょうか?
武井:そうですね。nomenaの場合は、技術起点のことが多いかなと思います。例えば、時計に関連する作品だと、時計が持っている動きや構造の魅力がそもそも人を魅了するものだなと思っていました。それをもっと純粋な形で取り出して顕在化させられるといいなということを考えていました。他の作家さんがどういう発想でものをつくっているかについてはあまり深く考えたことはないですが、自分たちの場合は、技術として面白かったり、魅力的な部分をより純粋にわかる形にするという感覚が強いかもしれません。
特にセイコーさんと取り組んだ時計のシリーズでは、若い世代で腕時計をつける人が少なくなっているという話がまずありました。時間を知るということ自体がスマートフォンなどでできるようになった時代に、腕時計の役割が相対的に減ってきているという考察があるのですが、腕時計の魅力は時間を知ることだけではないだろうと思っていました。身につけるだけで気分が上がったり、そもそもこんなにメカニカルなものを身につけることは腕時計以外だとペースメーカーぐらいしかないんじゃないかと(笑)。それ自体が凄く面白いですし、なぜ人間はそれに魅力を感じてしまうのかということを、より純粋な形で取り出すということをやっているのかなと思います。
山田:いまお話に上がった「連鎖するリズムのコラージュ」は、1メートル四方程度の壁面に機構が色々付いている作品ですよね。腕時計の仕組みをある程度知っている人からすると、歴史的な仕組みが点在していて、それらが連動していることがわかります。よくある機械式時計のネジを少し回すだけで、1メートル四方大の作品がぐるりと動き出す。そうするとついつい見てしまうんですよね(笑)。見ていることに意味があるのかと問われたら別にないのですが、人の好奇心というものが確実に刺激されている。オートマタなどもそうですが、かなり昔から人間というのは機械というか、動くということ自体に対してずっと好奇心を持ち続けているのかなという気もします。
たしかに時計というのは時間に追われている立場からすると凄く役に立つ機械ですが、時間を気にしなくていい人からすると、ある意味「役に立たない機械」というか(笑)。それでいて凄く趣味性の高いものでもある。そう考えると、「役に立つ/立たない」ということは、視点が変えれば全然また変わってくるものなのだと思いますね。

原田:どうしても「役に立たない技術」は日の目を見にくいというか、先端研究の中だけで行われているものになりがちだと思います。もう少し一般の人が触れられるところで、役に立たない技術や機械が見えてくると、捉え方自体が変わってくるんじゃないかなとnomenaの活動を見ていて感じたりしますね。
山田:ムナーリにはもう一冊名著があります。「役に立たない機械」は作品群の名前ですが、それに通じるような内容の本で、『ファンタジア』という発想力についての有名な本があるんですよね。これも今日のお話に凄く通ずる部分があるなと思っていて、いかにクリエイティブであるかということだったり、もっと自由な発想だったり、発想の根幹について説かれている本です。
まさかnomenaの回でこんなにムナーリの話をすることになるとは思っていなかったのですが(笑)、興味がある方はぜひ読んでみてほしいなと思います。
原田:nomenaの武井祥平 さんをお迎えするシリーズ2回目は、「受け手一人ひとりが意味を見出せるものづくり」というテーマで、nomenaのある種自然現象的で、ポエティックな印象を与えるものづくりの話と、その背後にある設計の思想についてお聞きしてきました。
次回3回目では、nomenaがエンジニアの集団であり、日々さまざまな技術を用いたものづくりをされているというところと紐づけながら、現代のデザイナーやエンジニアが日々進化していくテクノロジーとどう向き合っていくのかというテーマを、武井さんのテクノロジー観も紐解きながら聞いていきたいと思っています。
武井さん、今日もありがとうございました。
武井:ありがとうございました。
山田:ありがとうございました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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